第30話_零番街で星が落ちる

 その日、街はそわそわと落ち着かない空気が充満していた。

「あと一時間だぞ、ああ、緊張してきた」

「お前が緊張する理由があるかよ」

 小馬鹿にするように笑う男も、声が妙に弾んでいて、少なからず興奮はしているのだと分かる。広場は人で溢れ返っており、またもやモニターが設置されていた。だが、彼らの指す『一時間後』は、モニターが映し出される時間ではない。

「凱旋パレードなんて初めてだよな、本当に本人達が顔を出すのか?」

「そうじゃなければ待った甲斐が無いだろう!」

 まだ一時間もあるのに、興奮した老若男女の話し声が広場には飛び交っている。今日、日が暮れる少し前に奇跡の子らが帰還する。その際、戻ってくる奇跡の子ら十二名による凱旋パレードを行うとWILLウィルが発表した。

 このような試みは、先程の男が言う通り初めてだ。それもこれも、帰ってくるメンバーにイルムガルドが含まれていることが大きいだろう。彼女のお陰で今、奇跡の子らに対する注目や人気が高まっている。それを後押しするような動きが政府には多い。戦争ばかりが続き、強まる政治不安から国民の目を逸らす為なのかもしれない。

 彼女が遠征に出てから、今日でちょうど三週間が経っていた。イルムガルドのチームにしては随分と長かったことでも分かるように、大きな戦いだった。イルムガルドらが行く前に既に十二人が送られていたが、その内、一名が死亡、三名が重傷で離脱している。その穴を埋める為、そして戦いを終わらせる為にイルムガルドのチームが送られた。

 表向きにはそのような説明だったが、実際は少し違う。戦場に雨季が来たことから、レベッカの能力がかなり有利に働くことが考えられ、急遽、軍の方からレベッカが指名されたのだ。普段の何倍もの効果と戦果を上げたレベッカと、『むちゃくちゃ』なイルムガルド、そして常に安定的な戦果を上げるウーシンとフラヴィが加わったことで、戦況は大きく変わったという。

 アシュリーも四番街の広場には足を運んでいた。奇跡の子らの凱旋パレードは遠目に少し見える程度の位置だが、僅かでも動いているイルムガルドが見られればいいのだろう。彼女が知りたいのは何をおいてもイルムガルドの『無事』だ。今回は凱旋パレードの告知からそれが分かって当然安堵はしているが、動いている姿を見るに勝る安堵は無い。

 一時間後、四番街の広場へ繋がる門付近が騒がしくなる。同時にモニターが光を放ち、門付近の映像を映し出せば広場が歓声に包まれた。大きく開かれた門に、悲鳴とも取れるほどの人々の歓声。荷台のある軍用車四台が緩やかな速度で入り込み、荷台には奇跡の子らが四名ずつ立っている。前三台が先に戦場へ送られていた子達、そして最後の一台にイルムガルドのチームが乗っていた。前の子達にも温かなおかえりの声が騒がしく掛けられているが、最後の一台に対して掛かる声はやはり悲鳴に近い。イルムガルドを除いたとしても、ウーシン、レベッカ、フラヴィは元々人気が高いのだ。

 奇跡の子らはいずれもよく名前や顔を人々に知られているものだが、それはモニターで彼らが映し出されるせいであって、こうして直接声援を掛けられることは、どの子供も経験が無い。一様に照れ臭そうに、そして戸惑いながら手を振り返している。英雄然とした顔で堂々と手を振るウーシンや、ものすごく楽しそうに手を振っているレベッカは特殊な例だ。フラヴィは前の子らとあまり変わらず、気恥ずかしそうな顔で小さく手を振っていた。しかしイルムガルドはと言うと、このようなパレードでも相変わらずで、運転席の方へ背を預けてぼんやりと立っていて、だらりと下がった腕が人々へ振られる様子は一切無い。アシュリーからその姿はまだ遠目にも見えないけれど、モニターに映し出されていて少し笑う。ただ、大きな声で「イルムガルド」と呼び掛けられると視線を向けて人々を沸かせていたので、人気者はそれでもいいのかもしれない。少なくとも人々は嬉しそうだ。

 高齢者が歩くような速度で車が広場に入り込むと、アシュリーの目にも小さくイルムガルドは確認できる。一度広場で止まり、少し長く披露の時間を取っていた。

「イルムガルドー! 服は大丈夫だったのかー!?」

 大きな声が響き、人々が少し笑う。いつも戦闘後には服がぼろぼろになっている映像が多かったが、今着ている服は綺麗な状態だ。声が上がった方向へちらりと視線を向けるものの、特に応える様子の無いイルムガルドを見兼ね、レベッカは彼女を引き寄せた。

「この車に乗る前に着替えただけだよー! 今回もぼろっぼろだったー!」

 回答に人々がまた騒ぐ。しばらく大人しくレベッカに肩を抱かれていたイルムガルドは、車が四番街の広場から移動する時には背を預けていた場所に戻ることなく、荷台の手すりに腕を置いて、ぼんやり人々を見下ろしていた。振られる手に応えようとはせず、人というより、いつもと違う視点で見る街に目を向けているように見えた。しかし、レベッカはそう受け取っていなかった。

「イル、誰か探してる?」

 周りへと手を振る合間に、レベッカは小さく隣へ問い掛ける。イルムガルドは彼女を見上げ、無言で首を傾けた。

「なんか時々視線が辺りを巡ってるからさ」

「……別に、何も」

「そう?」

 二番街の広場も四番街と同様に彼らを披露し、そしてタワー前へと辿り着く。その場所まで至ると、入ることの出来る住民も限られている為、ほとんどの者が身近な広場で中継を見つめていた。アシュリーも四番街の広場に留まったままで、モニターを見つめる。

「……イル?」

 小さくアシュリーが呟いた名前を拾った者は、騒がしい広場内には一人として居ないだろう。彼女がそうしてしまったのと同じ戸惑いを受けた者が、同様にざわついていたのだから。イルムガルドはタワー前で車が止まってすぐ、彼らの功績を讃えるアナウンスが流れている真っ最中で車から降り、見えなくなった。

「ちょっ、イル! イルってば」

 慌てて振り返り、レベッカは彼女を呼び止めたが、イルムガルドは振り返らない。その背が車から離れ、控えていた職員や総司令デイヴィッドの元へと歩く足が止まらない。戸惑いながらも、レベッカは前を向いた。

「イルムガルドは忙しいからごめんねー! 今日はありがとうだってさー!」

 レベッカの言葉に、残念そうな溜息も混じったが、人々からは喜びの歓声と共に「お疲れ様」等の声が上がっていた。

 そしてこの時、咄嗟に誤魔化したレベッカの判断は正しかった。数分後にレベッカがさり気なく振り返るもイルムガルドの姿は無くなっており、結局、彼女が車へと戻ってくることは無かったからだ。


「――イルムガルド、仕事中だぞ、どうした」

 降りてきた彼女に対し、デイヴィッドは静かにそう声を掛ける。ただの気分であれば説得するつもりだったのだろうし、何か異変でも感じているのであれば報告を聞こうとしたのだろう。それでも、彼はイルムガルドが続ける言葉を予測していなかった。

「……倒れそう、具合が悪い」

 車の向こう側で響く歓声で、それは聞き取るのがやっとの小さな声だった。デイヴィッドは驚き、屈むようにしてイルムガルドの顔色を覗き込む。眉を顰めている以外、顔色についてはよく分からない。デイヴィッドの背後からも職員が注意深く見つめているが、誰にもそれは判断できなかった。しかし、仮病を使うような子ではない。

「分かった、行っていい」

 短くそう言って、イルムガルドをタワーへと歩かせる。そして職員へと顔を向けた。

「二人、付き添え。可能な限り自分の足で歩かせ、決して騒ぎを起こすな」

「はい」

 デイヴィッドが求めている内容を正しく理解した様子で職員らは力強く頷くと、焦りを押し隠してそっとイルムガルドの後ろを歩いて行った。

 パレードが終わり、先程のイルムガルド同様に奇跡の子らが車から降りてくる中、レベッカは急いた様子でデイヴィッドへと駆け寄ってくる。彼女が問いたいことは勿論、理解していたのだろうけれど、デイヴィッドはそれを押し留めるように彼女に手の平を向け、奇跡の子ら全員をタワーの中へと誘導した。

「ご苦労だった。遠征後に凱旋パレードもあったせいで余計に疲れただろう、精密検査はこちらから順に呼び出すこととする。体調に不安が無ければそれぞれ部屋に下がって休んでいてくれ。以上だ。後の指示はこちらの職員に従うように」

 デイヴィッドは穏やかな笑顔でそう告げて、傍に控えていた職員に目をやる。任された職員はそれぞれに「体調は? 相談したいことは無いか?」と優しく問い掛けていく。特に問題は無いと答えた者から順に、部屋へと戻るように指示していた。その傍らで、デイヴィッドがレベッカを見下ろす。

「お前達は少し残ってくれ」

 示されたのは勿論レベッカ、ウーシン、フラヴィの三名だ。

「……司令」

「こっちに来い」

 他の奇跡の子らが全員居なくなって、ようやくと思いレベッカが顔を上げて口を開くも、まだ質問は許されなかった。遮るようにデイヴィッドはそう言い、普段、奇跡の子らが使用することは無い要人専用エレベータの方へ歩いていく。それは総司令であるデイヴィッドやその側近、または政治的立場の高い関係者だけが使用できるものだ。傍目から見ても面倒そうなIDチェックと申請書チェックを通り抜け、頑丈なエレベータへと乗り込む。中に入ったのは、デイヴィッドと、彼に近い二名の職員、そしてレベッカ達の計六名。彼らを乗せたエレベータの扉が完全に閉じられ、動き出すと同時にようやくデイヴィッドが重苦しく口を開いた。

「イルムガルドが倒れた」

「なっ――」

 驚愕したのは、最初から心配していたレベッカだけではない。フラヴィも、ウーシンも彼女と大差なく目を大きく見開き、デイヴィッドの顔を凝視した。

「レベッカ、先程はフォローさせて、すまなかった。しかしイルムガルドはただの気まぐれで立ち去ったわけではない。民衆の目の前で倒れてはいけないことを、あの子は理解していたんだ」

 史上最強と謳われ、登録されて幾らも経たない内に多くの戦果を上げたイルムガルドの人気は凄まじい。彼女のもたらす明るいニュースによって、今までの度重なる暗いニュースの印象を少しずつ拭っていたこの時期に、彼女が倒れたとなれば全てが覆る。国民からの政治批判は想像を絶する規模に至るだろう。政治的な意味をどれだけイルムガルドが理解していたかは定かではない。しかし、自分が倒れる瞬間を見せることは許されないと、それだけは、彼女は知っていてくれたのだ。

 イルムガルドはあの後、タワーまでは自分で歩いたものの、入り込むと同時に崩れるようにして倒れ込んだ。幸い、それを目撃したのは数名の職員だけ。付き添った者が口止めをし、緊急時のエレベータを使用して秘密裏に治療室へと運び込んだ。

「それで、イルは今、どういう状態なの?」

「医療班が対応しているが、意識は無いままだと聞いている」

 レベッカは一瞬、階数表示を見つめた。治療室のある階への到着を待ちきれない思いがあるのだろう。明らかな動揺がその目に宿り、意味も無く狭い空間の中を彼女の視線が彷徨った。

「あいつ特に怪我とかしてなかったよね、どうしたの? 戦場で結構濡れたから、熱とか?」

「やばい菌でも貰ったのか!」

「いいや、熱なども無ければ、何かに感染した様子も無い。……医師らは『過労の状態ではないか』と言っていた」

 同じチームで共に過ごしていたレベッカ達は明らかに怪訝に眉を顰めた。三週間に及ぶ遠征でも、彼らは正しく食事を与えられていたし、睡眠も、休憩も取っていた。どうしてイルムガルドだけが、倒れてしまうほどに疲労するのか。原因と思しきものが今彼らの記憶に浮かばない。また、過労は容易く数値に出てくれるものではなく、『ではないか』と付け足してくる医師らも、明確な原因を掴めていないのが分かる。しかしデイヴィッドには一つだけ、思うところがあった。

「あの子は……そもそもと思わないか」

 難しいを顔で壁を睨み付けるように話すデイヴィッドは、レベッカ達へ視線を向けない。今、誰よりも焦りがあるのは、おそらく彼なのだ。レベッカは彼の横顔を見ながら、ハッと息を呑んだ。

「……奇跡の力?」

「ああ」

 デイヴィッドが深く頷く。そして、悔しさを滲ませたような溜息がエレベータ内に響いた。

「これが、あの子の『限り』なのかもしれない」

 奇跡の力には『限り』がある。

 しかし明確には分かっていない。そうであろうと考えられている、と言うのが正しいだろうか。そしてその『限り』は多様であり、レベッカのように「水が無ければ発動しない」という単純な使用制限である者も居れば、レイモンドのように「無意識に帯電する」など、使用外に影響がある者、またはモカのように、使うほど身体の機能に支障が出る者。――イルムガルドが、モカと同じ類の『限り』なのではないかと、デイヴィッドと職員は危惧しているのだ。レベッカはモカの症状を知らないながらも、そういった『限り』を持つ者も居るという話は知っている為、すぐにそれに思い至った。

「イルムガルドにはあの速度でも耐え得る強靭な肉体がある。しかし中身はどうだ? あれだけの運動量で、代謝が常人のそれであるわけがない」

 頻繁に行われる検査で、イルムガルドの体重が増えていないことは職員らも把握していた。その為、食事について正しく摂取しているかを本人に細かく聞いていたし、食堂の使用履歴も確認していた。しかしイルムガルドは指導が必要なほど偏った食事をしておらず、食事を抜くようなこともほとんど無い。食堂を使用しなかった日については、確認する限りイルムガルドが「外で食べた」と答えたことから、『様子を見る』という形で留まっていた。

 彼女の能力として必要なエネルギーはそれだけでは足りないのか、それとも、食事に関わらず、どうすることも出来ない『限り』であるのか。モカの件についても治療という治療が出来ていないように、奇跡の力については分かってないことが多く、もしも原因や治療法がこのまま分からなければ、イルムガルドは快復させられない可能性もある。

「ねえ、待って、司令、アタシ……」

 不意に、何かに気付いた様子で慌てて顔を上げたレベッカに、デイヴィッドは首を傾ける。

「前にイルが共有スペースで寝てるのを見たの、自販機のところ。変なところで寝てて、びっくりしたけど、タワーの生活にも慣れてくれたんだって、簡単に考えてた。この間、司令の椅子でも寝たことあったでしょ、でも、あれ」

「――クソ」

 デイヴィッドは言葉半ばで彼女の考えに気付き、悔し気に眉を顰めて唇を噛んだ。

「イル、もう起きていられないくらい弱ってたんだ。アタシが、もっと早くに気付いてたら、こんな」

「レベッカ……」

 思い詰めた様子で顔を覆ったレベッカを、フラヴィは心配そうに見上げている。彼女だって、司令だって、妙な場所で眠っているイルムガルドを見ていたのに、誰も気付いていなかった。レベッカだけの責任であるわけがない。彼女はそれがたった一回、他の者より多かっただけだ。

 ポン、と柔らかな電子音と共にエレベータが到着し、六名は廊下へと出る。このまま真っ直ぐ北へと廊下を進めばイルムガルドが治療されている部屋に辿り着けるが、デイヴィッドはそこへレベッカ達三名を連れていくつもりは無かった。ぐっと強くレベッカの両肩を掴み、顔を上げさせる。

「いいかレベッカ、お前のせいではない。今それを教えてくれたことで、不調は前から出ていたことが分かった。イルムガルドが倒れてしまうまで気が付かなかったのは、俺達、大人の責任だ」

「だけど……」

「大丈夫だ、今、医療班が全力でケアに当たっている。大丈夫だよ」

 その言葉に一切の根拠も無い。デイヴィッドの笑顔にも、隠しきれない焦りと不安が浮かんでいる。これは今全員が、自分の不安な心に言い聞かせている言葉でしかない。レベッカはそうと知りながら、いや、それに気付いているからこそ、自分の不安と後悔を飲み込んで、何度も頷いた。

 デイヴィッドはそのままレベッカ達に自室で待機するように指示した。彼らも遠征帰りであり、精密検査の必要もあれば、休息の必要もある。イルムガルドが倒れた今、他の誰も倒れるわけにはいかない。イルムガルドの治療を円滑にする為にも、レベッカ達は体調を崩さないように努めてくれと言い含め、彼らを解放した。


 その頃アシュリーは、六番街でイルムガルドからの連絡を待っていた。

 凱旋パレードの途中、彼女が姿を消してしまったことはアシュリーにとっても少しの不安要素だった。レベッカが言ったような急用かもしれない。だけどもしもそうじゃないとすれば、イルムガルドに何かあったのではないかと。それを証明するように、彼女の通信端末にはあれから何の連絡も来ていない。

 普段、イルムガルドは遠征から帰ると必ずその日の内に戻ったことを知らせる連絡と、次に会える日を伝えてくれた。今回に限って言えばアシュリーは自身の目で彼女が戻ったことを確認したのに、待てど暮らせどイルムガルドからは連絡が無い。凱旋パレードの翌日、待ち切れずにアシュリーの方から「凱旋パレードを見ていた」と連絡を入れた。しかし、三日が過ぎてもそれに返事が来ることは無かった。

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