第23話_六番街とを繋ぐ鍵
数日会えないとは言え、イルムガルドは遠征に出たのではなくタワー内に居た。つまり通信端末は問題なく使うことが出来るので、時間が少し空くとイルムガルドはアシュリーに他愛ないメッセージを送っていた。
『一日の間にこんなに万歳したことない。変に疲れた』
『それは大変な仕事ね。一体何をしているのかしら』
『高い服作ってくれてるらしい。ずっと着せ替え人形だよ』
『イルを着せ替えにするのは楽しそう。今度うちで私の服も着てみる?』
『いろんなところが余りそうだね』
『そうね……私も無駄に傷付きそうだわ』
アシュリーにも仕事があり、イルムガルドも缶詰になっているのでそんなに長い時間、端末で遊んでいられない。だから二人は返事が無くとも構わないような内容を、ぽつぽつとのんびりしたペースで送り合った。それが寂しさを募らせたか紛らわせたかは二人にしか分からないことだが、イルムガルドがタワーから出られなかった四日間、飽きる様子無く続けられた。
『解放された。明日行ける』
『お疲れ様。早く会いたいわ』
『早いけどお昼過ぎから行ってもいい?』
『勿論。そろそろかと思ってお休み取ってあるから、良かったら泊まってね』
『泊まる』
簡潔に応じるそのメッセージを受け取ったアシュリーは、幸せそうに目尻を下げていた。
喜びはイルムガルドも同じなのだろう。普段からこの街の住人にしては早く眠る習慣がある彼女ではあるが、その習慣よりも早く寝支度を済ませて布団に入る。どれだけ早く眠ろうとも明日が早く来るわけでもないだろうに、イルムガルドなりにその待ち遠しさを紛らわせたのかもしれない。
それを証明するかのように、イルムガルドは昼過ぎどころか正午ちょうどにアシュリーの部屋を訪れた。
「――いらっしゃい、久しぶり」
「うん」
甘い声に蕩けるような笑みを返して、二人は玄関で身体を寄せる。熱を上げて燃え上がるわけではなく、親愛を示すように緩く互いの身体を抱いて、頬を寄せ合い、額を擦り付け、何も言わずに少しの間、見つめ合った。
「遠征より長かった気がするよ」
「ふふ、着せ替えは退屈だったのかしら」
「あーそうかも」
珍しくキスを交わすこともせずにただ寄り添いながら、二人はその場でほのぼのと会話をする。声を聞くことも、顔を見ることも、勿論互いの体温や気配を感じることも数日振りであるから、一つずつを埋めているのだろうか。いずれにせよ、遠征ではこの程度の期間を離れることは数回あったのに、今回は特別に恋しく思っていたらしい。
「ねえ、イル、来たらこれをあげようと思っていたの」
「ん?」
少しだけ身体を離すと、アシュリーはイルムガルドの手の平に鍵を乗せた。疑いようも無くこの部屋の鍵だろう。それ以外、イルムガルドに必要そうな鍵は何も無い。しばらく固まって手の上を見つめていたイルムガルドは、ゆっくりと眉を真ん中に寄せた。
「不用心じゃない?」
「今更?」
イルムガルドの反応に、アシュリーは思わず笑みを浮かべた。出会って二度目でイルムガルドを部屋に引き入れているし、隣に置いたままで何度も眠っているのだから、そんな指摘をするなら、もっと以前からされるべきなのだ。それが分からない彼女でもないだろうに、困った様子で眉を寄せたり下げたりと、世話しなく表情を動かしている。
「家賃でも迷惑を掛けてしまったし、あなたには権利もあると思って。これからは好きに出入りしてくれていいから」
「えー、うーん、でもお客呼ぶ時はちゃんと連絡してね、わたし絶対に鉢合わせしたくない」
その返しに、今度こそ声を出してアシュリーが笑う。イルムガルドの最大の憂いはそれだったらしい。
「だから、もうイルだけだったら。それに、お客を部屋に呼んだことは無いわ」
「……わたしは?」
「お客にしたことないでしょ?」
「あー、まあ、そうだね」
二人の間で行為への対価が支払われたことは一度も無い。納得したような返答をしつつも、まだ手の中で鍵を弄んでいるイルムガルドに身体を寄せ、彼女が時折見せるシニカルな表情を真似るようにアシュリーは片眉を上げた。
「それとも、イルもそんなものを持っていると、他の女性に咎められるのかしら?」
その言葉にイルムガルドは破顔した。彼女は出会った頃からこういうやりとりをやけに好む。すっかりそれを理解してしまったアシュリーもまた、楽しそうに目尻を下げた。
「わたしもアシュリーだけだよ」
甘い言葉は、本当はただの事実でしかなく意味を伴わないかもしれないと、アシュリーは分かっている。それでも、これが二人の戯れだ。笑みを深めることで応えれば、イルムガルドが肩を竦める。
「……ほんとに貰うからね」
「ええ」
合鍵はイルムガルドの手で丁寧にジャケットの奥へと仕舞い込まれた。普段からこの部屋では乱暴に脱ぎ捨てられることの多いその服だが、ファスナー付きの内ポケットなら落ちてしまうことも無いだろう。きちんと閉じられたことを確認するようにアシュリーが指先で入り口を撫でるのを見て、イルムガルドは嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
再会の和やかさはしばらく損なわれず、昼食を未だ取っていなかったアシュリーと共にイルムガルドも食事をし、いつものように紅茶を飲む。会えない期間に交わしたのと変わらないような他愛ない話をしながら二人はのんびりと時間を過ごして、そこだけを切り取れば彼女らの関係はまるで姉妹のように仲睦まじい友人でしかない。
しかし二人がベッドに入らないという選択をすることは無く、夕が近付くほどに二人の会話の空気は変わり、煽るような誘うような言葉が混ざるようになるとどちらからともなく口付けを交わしてベッドへと移動した。身体を重ねる時間は、普段よりも幾らか長かった。
「アシュリー」
「なあに」
互いの呼吸が落ち着いた頃、イルムガルドが甘い声で名前を呼ぶ。それは行為の後だから甘く感じるのか、本当に声色が違うのかは身体が温まってしまったアシュリーにはよく分からない。考えようとしたか、諦めたのか。首を傾けながらアシュリーはその声に応じるが、イルムガルドはどうしてか困った様子で眉を下げ、微笑んでいた。
「売りをしてるのは、いつから?」
その問いに、アシュリーは目を丸める。そんな風に踏み込んだ問いはあまりに珍しい。同時にアシュリーは少し笑って、「売りはもうしていないわよ」と念を押す。言い方がまるでまだ継続されている職業だからだ。『足を洗う』と敢えて意識をしているわけではないのだろうが、少なくともアシュリーはそれを再開する予定も、その気持ちも無い。
「知りたい?」
返しは意地悪だったかもしれない。案の定、イルムガルドは更に困った顔をして苦笑した。ただ、アシュリーがそれを問うのは気分を害したわけでも、答えたくなかったわけでもなく、嬉しかったからだろう。イルムガルドは察していないようだ。
「あんまり聞いちゃいけないのは分かってるんだけど、ちょっと気になった。アシュリーが嫌なら、答えなくていいよ」
申し訳なさそうなその顔を手の平で包み、アシュリーは幾つもキスを落とす。伝えようとしたのかもしれないが、彼女達にとっては行為の後のいつもの触れ合いに過ぎない。そのこともおそらくは自覚しているだろうアシュリーは、殊更明るく、歌うように言葉を返した。
「あなたが私に興味を持ってくれるなんて嬉しいから、大歓迎よ」
イルムガルドが柔らかく微笑む。甘い言葉を口にする合図のような、いつもの彼女の表情。
「アシュリーのことなら隅々まで知りたいよ」
流れるように返る言葉と共に、背に回されていたイルムガルドの手がお尻の辺りまで落ちていく。
「身体の話かしら」
「全部だよ」
どうしたってやっぱりイルムガルドの言葉はアシュリーには甘く聞こえる。何処までが本当で、意味を持つのかという疑問を振り払うように緩く首を振って、アシュリーはまたイルムガルドに唇を寄せた。二人は少しだけ無言でキスを交わし、互いの肌を温め直すように寄せ合う。もしかしたら、この話をただのピロートークとする為の儀式だったのかもしれない。
アシュリーが娼婦を始めたのは十六歳、今のイルムガルドと同じ年の頃だった。この街の学校は、専門的な教育に進む者を除けば一般的に十五歳で卒業できる為、仕事をするようになってすぐのことだ。一人暮らしを始めたのもその頃であり、アシュリーが完全に独り立ちをしてからはもう六年が経つ。
「改めて考えるともう長いわね、このアパートも」
「わたしと同じ年の頃かぁ。……初めても売りだったの?」
「ふふ」
普段のイルムガルドらしくない踏み込んだ質問に笑いながらも、アシュリーは答えることに憂いを見せない。特別、聞かれて困ることだと思っていないのだろう。
「幸いだったかどうかはともかく、初めての相手は恋人だったわよ。十五歳の時。売りを始める前には別れていたわ。切っ掛け、だったとは思っていなかったけれど、今思えば少し理由になっていたのかもしれないわね」
その説明に、イルムガルドは沈黙してアシュリーを見つめ、何度か目を瞬いた。妙な間に、アシュリーは首を傾ける。しかし口を開いたのはイルムガルドが先だった。
「どんな人?」
「恋人のこと?」
頷きが一つ返り、アシュリーは表情をあまり変えることなく思い出すように視線を天井に向けた。ううん、と小さく唸って、そして彼女は迷いながら言葉を選ぶ。
「そうね、少し、強引な人だったわね」
同級生からの熱烈なアプローチに流されて付き合ってみたものの、身体を重ねてから少しずつ相手の態度が変わり、対応が変わり、雰囲気は悪くなる一方だった。そのまま別れることになったとアシュリーは淡々と語る。彼女がこの街の男性について日頃語っている内容を考えれば、『変わった』というのは横柄になったなどの変化なのだろうが、どちらが別れを言い出したかなどの詳細を彼女は特に語ろうとはしなかった。
イルムガルドはと言うと、質問をしておきながら反応は一つ「ふうん」と相槌を打つだけ。表情もいつも通りで、妬いている様子も無い。彼女らしいその反応にアシュリーがまた少し笑う。
「ところで、イルの初めてはいつなのかしら?」
「あー、十三の時。わたしは売りだったよ」
「それは、……良い趣味のお姉さんね」
「あはは」
それぞれの街にそれぞれの文化はあるだろうし、女性ばかりの街というのがどのようなものかアシュリーには見当もつかない。それでも、十三歳の少女に女の抱き方を教えてベッドを共にするという状況は流石に特殊な性癖を感じさせる内容だ。だが、それについてイルムガルドにとやかく言っても仕方がない。
「ならイルは、三年も故郷で女を抱いていたのね」
「そうだね」
答えるイルムガルドは楽しそうに笑っているが、アシュリーは少しだけ面白くなさそうに口を尖らせる。
「イルはいつも、抱いてばかり? 抱かれたことは?」
「んー、無いよ」
その言葉に、身体を徐に起こしたアシュリーは、イルムガルドへ覆い被さるようにして移動する。身体の上に乗った柔らかな胸へと視線を落としていたイルムガルドは、予想できるはずの展開には考え至らない様子だった。その感触に気を取られていただけなのかもしれないけれど。
「私もあなたに触ってみてもいい?」
「え、いや、えー、興味あるの?」
「勿論、そうじゃなきゃ言わないわよ」
目を何度も瞬き、明らかに戸惑った様子のイルムガルドを見下ろすアシュリーは、言葉を撤回する様子は無い。「えー」や「あー」といった意味の無い言葉を何度か繰り返した末、折れたのはイルムガルドの方だった。
「別に、嫌じゃないから、アシュリーがしたいなら、いいよ」
了承にアシュリーの目尻がふわりと垂れ下がる。しかしイルムガルドは戸惑いを残していた。完全に覆い被さって唇へとキスを落とし、口付けをいつもと同じように深めていくだけで、今までひと欠片も見せたことがないような緊張が彼女から感じられる。抱かれたことが無い、というのは本当のことなのだろう。
「ん、う」
アシュリーの手の平が身体を滑り、胸の頂に触れるとくぐもった声が漏れて、イルムガルドの眉が寄る。
「やだ?」
「や、ええと、慣れない……」
「かわいい」
「うーん、そういうのも」
イルムガルドが苦笑するのに合わせてアシュリーも笑う。けれど眉を下げている様子も、少し赤い頬も、アシュリーからすればそうとしか言いようが無い。手と唇で幾らか胸を弄った後、アシュリーはその唇を胸から臍、その下まで滑らせていく。イルムガルドは慌てて少し身体を起こした。
「わ、ちょ、えぇ、口でするの?」
「嫌?」
「いや、えー、あー、抵抗ないの?」
「男のモノを舐めるよりは、全然」
アシュリーはあっさりとそう答えて身体を沈めてしまうけれど、イルムガルドは何度身体を重ねても口で行為を進めようとしたことが無い。元よりそれが苦手なのか、今まで仕事で抱いてきた中で使った経験が無いだけなのかは量りようも無い。また、アシュリーにはそのつもりも無い。彼女がまだ「えぇ」と困り果てた声を漏らしているのをアシュリーは無視して、ほんの少しだけしかまだ濡れていない場所に舌先で触れた。
イルムガルドの反応は、胸を触っている時とは雲泥の差だった。つい先程まで、くすぐったそうにしながら戸惑っていただけだった彼女が、両手で顔を覆い、耳や首筋までを真っ赤に染め、段々と呼吸が早まり、普段聞けないような声を零し始める。そんな様子にアシュリーは満足そうに目尻を下げる。しかし、アシュリーがそこに指先を宛てがえば、イルムガルドは両手を伸ばしてアシュリーの肩を押した。
「あー、そ、そこまで」
「もう降参?」
普段の執拗な時間を思えばあまりに早すぎる制止に、アシュリーはくすくすと笑う。彼女の顔を隠していた手は今アシュリーの肩に乗っているけれど、晒された顔の熱は全く下がっていない。
「うーん、抱く方が好き、これすごく恥ずかしい」
眉を下げたイルムガルドは、赤い顔と相まって泣き出しそうにも見える。その彼女に対して無理強いしようという様子はアシュリーには当然無く、イルムガルドの上から立ち退いた。
「まあ、そうね、私も抱かれる方が好きよ」
そう言って元の位置に戻るように隣に寝そべれば、イルムガルドはほっとした表情を見せる。ただ、そのまま隣に並んで一緒に眠ろうという顔はしなかった。ベッドにすっかり横たわっているアシュリーを見下ろして、その傍に肘を付く。
「なんかむずむずするから、抱き直してもいい?」
すぐ目の前にイルムガルドの顔が迫っていた為か、アシュリーは声を出して笑いはしなかった。けれど堪え切れなかったのだろう。その肩が何度か震えている。そして言葉で答えを返すことは無く、腕をイルムガルドの首にのんびりと回した。
「でも」
「ん?」
いつも通りの位置で安堵したのか緊張感を失くしていたイルムガルドだったが、アシュリーは先程の時間を蒸し返した。
「時々は私も、触っていい?」
「えぇー……」
「イルが可愛かったんだもの、時々」
中に入り込むようなことはしないとアシュリーが優しく囁き、「お願い」と甘くねだり続けていれば、口をへの字にしてから、イルムガルドが少し低い声で答える。
「……時々ね」
その頻度がどの程度になるかを二人は確認しなかったけれど。次回があるならばその『時々』についてどちらかが押してどちらかが折れるのだろう。今回の結果から、どう転ぶかは推して知るべしである。
一度は行為を終えていて、それは普段よりも長いものであったはずなのに、二度目を求めたイルムガルドは熱を抑えることをしない。先程の慣れない時間があまりにイルムガルドにとって上書きしたい思い出だったのか、それとも、彼女の言う『むずむず』には別に意味があり、それが理由になったのかは、知る由もない。二人にとってはもはや意識の端にも無いだろう。彼女らの下で軋む安いベッドは、今夜も中々終わりを見せない行為に、弱々しく鳴いていた。
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