第13話_一人きりで北の戦地
その日、タワーは騒がしかった。半ば駆けていると言えるくらいの速度で廊下を歩くレベッカの後ろを、難しい顔をしたウーシンが同じ速度で進む。身体の小さなフラヴィはそれに遅れ、少し離れた位置から二人を追っていた。前二人はぎりぎり歩いている形をしていたが、彼女は明らかに駆けていた。そうでなければ追い付けない速度だったからだ。彼らが進めば、職員らが驚いた顔で避けてその道を開けていく。ただ、その背を見送る頃には「またか」という表情を浮かべて、各人が顔を見合わせていた。
「司令!」
「レベッカ、一体どうした。騒がしいな、今は立て込んでいる――」
司令室に入り込んだレベッカの姿にデイヴィッドは振り返ったが、言葉で示している通り彼は忙しそうにしていた。近くには職員が三名控えており、更に二名はレベッカ達の様子に驚きながらも、急ぎ足で部屋を出て行く。何かの対応に追われている様子だが、訪れたレベッカの表情、そして同じく部屋に入り込んだウーシンとフラヴィがデイヴィッドではなくレベッカばかりを見つめている様子に、何かを察してデイヴィッドは肩を竦める。
「今度は何を怒っているんだ、レベッカ」
「一個しかないだろ! 何でイルを一人で行かせたんだ!」
デイヴィッドはレベッカの言葉に目を細めた。
今日、イルムガルドはチームではなく、たった一人で戦地へと向かうべくタワーを発った。奇跡の子が単独で任務に出されるというのは前例が無い。一度チームに編成されてしまえば、そのチームでしか行動させない。それが覆ったことを、レベッカは憤っていた。いや、彼女が実際に怒りを覚えているのは通例を破ったことでは無いのだろうが。
「どうしてお前がそれを知っているんだ」
「出て行く時、たまたま擦れ違ったからだよ。イルに直接聞いたんだ」
「なるほど」
以前、デイヴィッドが彼らに共有していた通り、他のチームの戦況が危うい。その時はこのチームを支援として出すかもしれないと話していたが、結局はイルムガルド一人だけを支援として送る判断となった。
「アタシらも行けばいいでしょ、何でわざわざ一人で行かせるの」
ぴりぴりと怒りを纏うレベッカから、ウーシンとフラヴィは目を逸らさない。二人はやはり、レベッカの暴走を止める為だけに此処に居るのだ。レベッカが憤りでもってこの司令室を訪れる際には、このような様子をした二人が必ず付き添っていた。
「人手が足りていないんだ。四人で行動させるには、支援としてこちらもチームを編成しなければならない。だが今はそれが回らない。俺も、他の対応で動けない状態なんだよ」
だからまずはイルムガルドと少数の職員だけを支援として送り、それでも状況が好転せず難航しそうであれば追ってレベッカらと追加支援チームを送る予定であると説明し、デイヴィッドはレベッカを宥めようとした。しかし、彼女の表情は変わらないどころか更にその厳しさを増した。
「具体的に、何日でその追加支援を送るの?」
「……それは」
指摘に、デイヴィッドは眉を顰めた。彼にとっては痛いところを、レベッカは突いたのだろう。彼は『予定』と言っても具体的なスケジュールをまだ立てていない上、全く準備もさせていないのだ。その緩さが、レベッカの神経を逆撫でした。デイヴィッドは近くの職員を振り返ったが、その職員も手元の端末を操作しながら、難しい顔をしていた。
「サポートだけなら四日後に五名ほど派遣できる見込みですが、医療班も必要となると、……二週間は必要かと」
「問題があってもそんなに長くイルを一人で戦わせるつもりだったってこと?」
語気を強めたレベッカが足を一歩前に出せば、ウーシンとフラヴィの緊張が高まる。そこから先へは踏み込まなかったとは言え、レベッカの怒りが最高潮に高まっていることがその場の全員に伝わった。デイヴィッドは手にしていた資料を近くの机へと置き、真っ直ぐにレベッカへ向き合う。耳触りの良い言葉をその場で選ぶような不誠実では、決して逃げられないことを理解したのだ。重苦しい溜息が響き、デイヴィッドは軽く俯いた。
「どちらかと言えば、イルムガルドならばすぐに片付けて帰って来るだろうという考えだった。考えが甘かったことは認める。……すまない」
「あの子が強いのはアタシらだってよく分かってる。それでもあの子はまだ入ったばっかりだし、まだ子供なんだよ!」
自分よりも遥かに歳上で、上背もある大人に対しても一切怯むことなくレベッカは怒鳴り付ける。大人達は一様に視線を落としていた。まるで大人に怒られている子供のような顔で、大人達の方が黙り込んでいた。彼女の言い分は正しいのだ。だから彼らは今、レベッカを納得させられるだけの言葉が出せなかった。
その様子を見つめ、怒りを増幅させたレベッカは、半ば前のめりになっていた身体をむしろ退いた。その場の大人に幻滅したのだと分かるには十分な動作であり、表情だった。そのままレベッカは彼らに背を向ける。
「司令も医療班も要らない。アタシがイルを守りに行く」
「おい、待てレベッカ、お前を一人で行かせるわけがあるか」
ウーシン達にとって、この部屋に乗り込んだレベッカが誰にも手を上げることなく立ち去ってくれるのは喜ばしいはずだが、立ちはだかって彼女を止めたのはウーシンだった。その彼を、レベッカはいつになく強い瞳で睨み付ける。
「邪魔するならウーシンでも許さないよ」
「そうじゃないだろう!」
「レベッカが行くなら僕らは同じことをしなきゃいけないだろ、落ち着いてよ」
フラヴィが緩くレベッカの服の裾を引いた。彼女を振り返ったレベッカは流石に睨み付けるようなことはしなかったが、いつもの柔らかな表情にはならない。不満そうに唇を噛んでいるレベッカを見下ろした後、ウーシンはその視線をデイヴィッド達へ向けた。
「サポートの為に増員が必要な理由は、奇跡の子が増えればそれだけ観る対象が増えるからだろう、司令」
「……そうだ」
「なら俺らが行く代わりに、今居る者を下げればいい」
不思議なことだが、大きな声で叫ぶように話す普段の彼よりも、こうして静かに話すウーシンはその場の緊張感を跳ね上げる。彼がもしもレベッカのように怒ったのなら、イルムガルド不在の今、誰にもそれを安全に止めることは不可能だからだ。職員は彼に対し、殺傷能力の高い武器でもって応戦するしかなくなる。
「その場所を明け渡させろ。あいつが行くなら、このチームが出るべきだ。つまり増員は不要だ。飛行機と操縦士くらいは居るんだろう」
彼からの提案に対し、デイヴィッドは両手を上げて降参を示した。この三人を納得させられる他の手段が、大人からは出なかったのだ。
「分かった、お前達の言うことは分かった、言う通りにしよう。だが、せめて明日の昼まで待ってくれ」
彼らが立て込んでいることは事実であり、レベッカ達と話す為に今仕事を止めている余裕も、実際は無いのだろう。そんな状態で彼らを送る段取りを付ける時間は全く無かった。また、当初デイヴィッド達が考えていた通りイルムガルドが容易く戦場をひっくり返してくれるのであれば、レベッカ達を送る手間や時間を作る必要も無くなる。忙しさの中、やはり大人達はできればそうであってほしいのだ。
イルムガルドは後一時間もすれば前線に到着する。そして準備が整い次第、本日中に一度は出撃するだろう。明日も日が昇れは最低でも一度出撃をするだろうから、明日の昼までに少なくとも二度、イルムガルドが出撃できる。そこで成果が出ない場合、ウーシンが提案した通りに進めることを、デイヴィッドは彼らに約束した。
「絶対だよ」
「ああ、必ずだ。明日の正午、全員この部屋に集まってくれ」
その言葉にようやく納得した顔を見せたレベッカが部屋を出るのに従い、ウーシンとフラヴィも立ち去った。自動で閉まる扉が静かになったところで、大人達が一斉に溜息を零す。
「司令……」
「あの子らがあそこまでイルムガルドに執心するとは思わなかった。……喜ばしいと思うべきだな、全く」
先程置いた書類を改めて手に取り、仕事すべきページを探すようにぺらぺらと紙を捲っていく。しかし、彼はすぐに話を切り替えなかった。
「指摘通り、これは大人側の事情だ。イルムガルドに無理を願い、過度に期待をしてしまったことは否めない。いつも耳が痛いんだ、レベッカの指摘は」
弱音のように零した言葉に、職員らは心配そうな目を向けるばかりで何も言わなかった。ここに立つ大人全てに同じ罪があるはずなのに、矢面に立つのは常にデイヴィッドであり、向けられる言葉に多少なりと傷付くだけの優しさが彼にはある。項垂れ、再び長い息を吐き出したデイヴィッドが顔を上げる頃には、落ち込んだ表情は押し隠され、急ぎの案件の対応に戻る。しかしその一方で、既に遠い空を移動しているであろうイルムガルドに、「頼むぞ」と願いを込めていた。
そんな騒動など知るわけもないイルムガルドは、機内の狭い椅子に深く座って、つまらなそうに目を閉じている。彼女を送る為だけに飛んでいる小さな機体であり、窓も多くない。外の景色を楽しむ手段も無く、イルムガルドはただ静かに時間を過ごしていた。
「イルムガルド、もう着くよ、体調はどうだ? もしかしたら、行って直ぐに出撃かもしれないが」
「平気」
ゆっくりと目を開けたイルムガルドが容易くそう答えるが、職員は少し長くイルムガルドを見つめ、本当に彼女の体調に異変が無いかを確かめようとしていた。しかし、表情少ないイルムガルドの調子を見分けるだけの能力は、誰にも備わっていない。
「少しでも調子がおかしい時は教えてくれよ」
諦めつつも職員はそう念を押す。イルムガルドは軽く頷いて応えると、再び目を閉じた。同時に、機体が少し揺れ、その高度を下げていく。目的地が近いのだろう。何度か目蓋を上げ下ろししたイルムガルドの表情に、それに伴う緊張や憂いは、特に浮かんでいなかった。
「No.103、イルムガルドが到着しました。戦況は」
彼らを送り届けた機体の操縦士を除けば、付き添いとして来た職員は一名だけだ。彼がイルムガルドを先導し、現地の職員達と話をしている。
「手間取っている間に、敵国の戦車が増えてしまったんです。数が多くて子供達を近付けられません。今は彼らを下げ、自国の軍が戦っています」
現地の職員が視線で示した場所に、四人の子供が身を小さくして座っている。その内二人は明らかに負傷しており、手当てを受けていた。意識はあるようだし、全く動けない様子ではなかったが、『満足に』戦える状態でも、そして状況でもないことはイルムガルドにもよく分かった。
「イルムガルド、行けるか?」
「……戦車を減らしたらいいの?」
「そうだ」
職員の言葉に軽く頷いたイルムガルドを見ながら、現地の職員達は不安そうな表情を浮かべていた。彼らは長くこの地で戦いを続けている為、『史上最強の奇跡の子』という存在を聞かされていても、お披露目で使用されたような動画などを一切見ていない。つまり、彼らはイルムガルドの荒唐無稽な強さを知らないのだ。故に今のような状態で戦地に一人で出すという判断は、この少女が犠牲になるのではないかという不安にしか繋がっていなかった。
「イルムガルドが出る間、自国の戦車を一度下がらせることは出来ますか」
「それは、……大丈夫なんですか?」
「むしろ、戦車がどちらのものかと迷ってしまえば隙になりますから」
強気な提案をするイルムガルド側の職員に、他の者は顔を見合わせる。しかし、支援でやってきた職員は総司令から直接指示を受けて来ている為、その言葉に逆らえる者は居なかった。直ぐに自国の軍隊と連絡を取れば、此方の合図に応じて攻撃を止め、一斉に撤退すると連絡が返る。
「じゃあ行こう、イルムガルド」
どうやら、付き添いで来てくれている職員が、前線への運搬役もしてくれるらしい。彼に連れられ、軍用車に乗り込む。無謀とも思える案を貫く為の、彼なりの責任なのかもしれない。イルムガルドがそんなことを考えているのかは分からないが、一瞬だけ、彼が運転席に乗り込むのを見て目を細めていた。
軍用車を運転しながら、職員はイルムガルドに丁寧に戦いの指示をした。いつも通りに通信機は渡してあり、遠隔で随時指示も送る予定だが、戦闘中には何があるか分からない。自分の身が危ないと思えば自分の判断で撤退すること、そして何の指示が無くとも、日が暮れる前には必ず撤退すること、その二点をイルムガルドに約束させた。返答は素っ気ないものだったが、普段から従順なイルムガルドのことだ。指示を破るような懸念は職員は持たない。
「No.103、持ち場に到着します。軍の撤退をお願いします!」
車内に搭載された通信機に向かって職員が伝えれば、了承の言葉が返る。職員は身体を捻って、後部座席に座るイルムガルドの顔を直接見つめた。
「イルムガルド、頼んだよ。君が撤退する時には、必ずまた僕が迎えに来るからね」
「うん」
ちらりと職員の顔を見ただけで、イルムガルドは反応薄くあっさりと軍用車を降りる。扉を閉める乾いた音が辺りに響いて、三秒を数えてから、彼女を送り届けた軍用車も同じく撤退した。イルムガルドは腰の剣を引き抜きながら、また空を見上げる。この戦地の空も、やはり青い色をしていた。
戦いの場であると思えぬほどに穏やかな空気を纏ったままで、大砲の音が二度辺りに響いたのを合図に、イルムガルドが地面を蹴った。
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