【日本パクチー党】SFPエッセイ059

 身辺整理というわけではないが、身の回りのものを捨て始めた。物持ちがいいというか、単に捨てられないだけというか、狭い家にものが増える一方で、置き場がなくなり片付けられないものがあちこちに溢れ出し、さすがに自分でももう我慢ならなくなってきたのだ。

 

 もう着るあてもないのに記念品的に残していた服を捨てた。小学生時代にまでさかのぼる大量の年賀状やらなんやらの手紙・ハガキ類を捨てた。バックナンバーをそろえていた雑誌類を捨てた。大事にとっていたハードカバーや文庫本、新書のたぐいも捨てた。学生時代にエアチェック(死語だね)したカセットテープの山を捨てた。仕事の資料や製作物など「一時的に」と保存していたものも捨てた。長い「一時」だった。

 

 ゴミや資源ごみにしたものの束や塊を見ると、それだけで家が空っぽになるんじゃないかというくらいの量があったが、ちっとも室内はすっきりしない。我が家の七不思議である。なぜすっきりしないのか。原因の一つは「それでも捨てられないもの」があることだ。「いずれは捨てるだろう」と頭では思いつつ、「今これを捨てると二度と手に入らない」と感じてしまうものはなかなか手放せない。捨てる勇気が出ない。

 

 わかっている。わかっていますとも。そういうのは大抵、はたから見れば全くどうでもいいものばかりだ。小さい頃の手形の残った粘土板や、子供の頃に描いた絵、思春期の、読み返すのもおぞましい日記やメモの類。そしてありとあらゆる時代の写真、とりわけ何でもないようなスナップ写真。いずれも捨てるにしても目を通してから「もうこれは要らない」と判断しようと思うと手が止まる。そして先送りになる。本気で物を減らしたいなら、もう覚えていないような物は目も通さず機械的にゴミ袋に入れるべきなのだ。

 

 しかし今これを書き始めたのは断捨離の話がしたかったわけではない。そんな風に捨てまくっている中で少々奇妙なものを見つけてしまったのだ。

 

 奇妙なものとは、上にも書いたスナップ写真だ。数葉のモノクロ写真たち。そこには今よりもっと若い頃のぼくが写っている。他にも数人の同世代の男女。窓からの逆光のためあまりよく見えないが割と広い事務所のような空間。シルエット気味だがぼくの顔はわかる。こちらを向いて笑っている。スーツを着ているところから察するに社会人になって間もない頃だろうか。だとすると80年代半ばくらいということになる。別なスナップ。とある古風なビルディングの前で格好をつけている5人の男女の中にもぼくがいる。男たちはスーツにパナマ帽で、女たちはブラウスに膝下丈のスカート。小津安二郎の映画みたいだ。背景の建物は大正時代か昭和初期の洋風建築で、先ほどの事務所はその中にあったのだろうか。それからまた一枚。ビリヤードの台らしきものの上に広げた模造紙や書類の束を囲んで熱心に議論をしている仲間たち。顔ははっきりわからないがその中の一人はぼくのように見える。

 

 全く覚えがない。

 

 他の写真はどれも見ればすぐにいつのものかわかる。幼少の頃からの写真。家族で出かけた遊園地での写真。旅行先や親戚の家での集まりの写真。中学高校時代は体育祭や文化祭や修学旅行など行事の写真。大学に入ってサークル活動の仲間たちとイベントや飲み会で撮った写真。会社員をやっていた頃は会社の中で撮ったスナップやカラオケで朝まで騒いだ乱痴気騒ぎの行状。結婚して以降の家族写真。どれもすぐにわかる。けれど全部で5点の写真には全く心当たりがないのである。写っているのは間違いなくぼくだ。でもそのまわりにいる人も知らないし、その場所にも記憶がない。これはどこだ? ぼくは何をしているのだ? そしてこの仲の良さそうな人々は誰なんだ? 部屋掃除の手を止めてぼくはしげしげとその写真に見入った。

 

 日本パクチー党。という文字を見つけたのは、ぼくがシルエット気味に写っている室内の写真の中だった。広い室内のはるか奥に大きな窓があって外からの光がまぶしく、逆光気味になっている。窓の外になにがあるのかはほとんど見えない。何かの影が見えるが、樹木の緑のようにも見えるし、向かいのビルの看板か何かかもしれない。こちらを向いて歯を見せているぼくの少し後ろに大きな太い真四角な柱が立っている。部屋の真ん中に立つものとしてはやや異様なほど太い柱だ。逆光のため暗がりになっていてよくわからないが、そこに縦長の木の看板のようなものがかかっており、筆文字で「日本パクチー党」と書いてある。

 

 日本パクチー党? さっそくグーグルで検索してみたところ、すばりその名の通りのFacebookページが存在することが分かった。なるほどそういう団体があっても不思議はない。パクチーというのは好き嫌いのはっきり分かれる食材で、そのせいでエスニック料理が食べられないというほど苦手な人がいるかと思えば、パクチーづくしの料理を出す専門店に週に何度も通うほどの熱狂的なファンがいる。そういうクセのある趣味の領域にインターネットはぴったりだ。オンラインで同士を見つけ、つながり「日本パクチー党」と名乗る。すごくよくわかる。でもそれは写真とはなんの関係もなさそうだ。

 

 第一、この写真はインターネットとはなんの関係もない。30年前にインターネットはまだ軍やアカデミズムに属していてアメリカでさえ商用インターネットが始まるのは1988年のことだ。一般に普及するのはもっとずっと先の話だ。1995年が日本のインターネット元年と称されているからそれより少なくとも10年は昔の写真なのだ。第二に、この写真からは食べ物を通じての趣味の会という雰囲気が全く感じられない。第三に、これが決定的なことなのだが、ぼくはパクチーが大嫌いだ。あんなカメムシみたいな匂いのするものを食卓に乗せるなんて考えられない。同席の人間がパクチーを美味そうに食べるのを見るのも耐えられない。味覚および嗅覚異常者のゆがんだ偏愛としか思えない。だからぼくが、現在ネット上に存在するような「日本パクチー党」に所属することはあり得ないのだ。

 

 では一体何なのか? さらにグーグルで検索する。1ページ目、2ページ目、3ページ目、パクチー愛好家の団体が他にも次々に出てきてぼくの神経を逆撫でする。おまえらみんな異常者だ。カメムシワンダーランドに住めばいい。そうだ。昆虫食が流行ったらカメムシはみんなおまえたちが担当しろ。心の中で毒づきながら4ページ目、5ページ目、6ページ目とチェックする。そして7ページ目の終わり頃、つまり69件目にして手がかりが見つかった。「日本における秘密結社」というサイトがあり、その中にごく短い記述が見つかった。

 

 曰く、「日本パクチー党は戦後間もなく民間で憲法を立案した団体の一つ。共産主義的な秘密結社であるとして1950年のレッドパージで弾圧を受け中核メンバーが逮捕、解散に追い込まれた。パクチーの名を冠したのは、主宰者がタイからの帰還兵だったためとされるが詳細は不明」

 

 1950年? さらに30年以上遡ってしまった。ぼくは生まれてすらいない。一体これはどういうことなのか。さっぱり見当もつかない。写真は1950年のもので、ぼくの写真ではないのだろうか? では写っているのは誰なのか? それとももっと別な日本パクチー党が存在したのか。あるいはぼくは、自分で思っているよりもっと前に生まれていたのか。

 

 ということで、尻切れとんぼで大変申し訳ないのだが、この数葉のスナップがいまなお未解決のままとなっている。日本パクチー党について──現存するパクチー愛好家のものではなく、1980年代以前の日本パクチー党について──何かご存知の方はご一報ください。「その写真のことならわかる」という方がおられたらぜひ。一番話が早いので。

 

(「【日本パクチー党】」ordered by 冨澤 誠-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

※注意:このエッセイはフィクションであり、 実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る