013「どうしようもない現実」
「ダメだね。今の君を撮る気にはなれない。この依頼はなかったことにしてくれるかな」
ササキの言葉はやけに大きく聞こえた。
「……どうして、ですか?」
当然だ。
何というか、妙にくたびれた、年齢を感じさせる「大人」の表情だった。
「……いくら写真家が無責任な職業だと言ってもね、初めから失敗すると分かっている依頼を引き受けるほど、ボクは落ちぶれちゃいないよ」
「だから、どういうことですか?!」
が、ササキの言葉は端的だった。
「君のコンディションが良くないってことだよ」
「そ、そんな! コンディションはいいはずです! 体重も今までないくらいまで落とせて……」
「うん、体重はね。でもそれだけでしょ?」
「……!!」
ササキの言葉が蓮見の心を穿つ。
そばで見ているだけの僕まで突き刺すような鋭い言葉だった。
「頬がげっそりしてて、病的だよ。随分長い間食事してないでしょ? 食事をしないとどうしても目がさえちゃうから寝不足になる。だから目がひどく虚ろだ。隈を隠そうとして、化粧も濃くなってる。これじゃ写真を撮っても君が欲しい『かわいい』写真にはならないと思うよ?」
ササキの言葉は辛辣だった。辛辣な理由は、その言葉のどれも苦しいぐらいに正論だからだろう。
確かに
傍から見ていても分かるくらいに。
いっそ病的なまでに。
「で、でも、ちょっと加工すれば……」
「そうだねぇ。でも加工するなら撮るのはボクである必要ないよね? 今まで通り自分で撮って、自分でアップすればいいんじゃないかな? わざわざボクを指名したのは、もっと違う意図があったんじゃないの?」
ペキッと
「で、でも、食べたら太って……」
「太りすぎは確かに問題だけど、同じくらい痩せすぎも問題だよ。ボクが言えることじゃないけどさ。綺麗な人って大概は健康的なんだ」
ペキペキッと入ったヒビが広がっていく。
「……健康が大事なんて一般論、今までも嫌ってほど聞きました。でも、それじゃ私は……」
「男の子」になってしまう。
「男の娘」ではなくなってしまう。
「かわいく」なくなってしまう。
それは、
自分の「かわいさ」を何よりの武器とし、人間関係も、仕事も、他者からの承認も、すべて「かわいさ」を軸に構築してきた蓮見には、厳しすぎる現実だった。
だが、ササキの言葉は容赦がなかった。
「……残念だけど、君の言う『かわいさ』に、君の身体は即さなくなっている。君の骨格が、君の筋肉が、大げさでなく君の命が、君の求める『かわいさ』を否定しているんだよ。それは純然たる事実だ。だから、ボクに君の求める写真は撮れない」
ササキの声ははっきりしている。そしてその言葉はどこまでも正論だった。
そもそも男の身体に女性的な魅力を持たせることが難しいことは僕にだって分かる。男として成長するほどに、それが無謀な挑戦になっていくことも。
それは信じられないぐらい残酷で、揺るぎようのない事実だ。
「あ、ああああ……」
バキバキバキ……
何か言おうとしているが、声になっていない。
呼吸が荒くなっている。
明らかに様子がおかしい。
「お、おい。
僕が心配して声をかけると、目を見開いて僕を見た。
いや、僕ではなく、僕の目に映った自分の姿を食い入るように見つめた。
そして、荒くなった呼吸の中で、息も絶え絶えに言った。
「私……、もう、『かわいく』、なれないの……?」
「!!」
僕は、何かを言うべきだったのかもしれない。
でも、何を言えばいい?
その場しのぎの「かわいい」なんて意味がない。
仮に僕の言葉で
自分の身体の、自分の生命の抗議を無視するだろう
たどり着けない理想に自分をめり込ませるだろう。
本当に壊れてしまうまで。
だけど「かわいい」は
それを奪ってしまっていいのか?
中学時代のいじめを終わらせ、高校の人間関係を作り、ネット上の有名人に自分を押し上げてくれた、「かわいさ」を。
そんな人生の大事なものを失って、
様々な考えが僕の頭の中で渦まいた。
そして、僕は考えうる中で最低の方法をとってしまった。
「……っ」
何も言わず、蓮見から目をそらしてしまった。
結論を出すことを、蓮見の人生に大きな影響を与えることを恐れた。
目をそらす直前に一瞬だけ目に映った、蓮見の表情が強く脳裏に焼き付いた。
すがるような、もがくような、必死の形相。
その顔は、全く「かわいい」とは思えなかった。
「……そん……な」
ぷつんと糸が切れたように、蓮見がテーブルに突っ伏すように倒れた。
ゴツンと鈍い音がする。どう考えても普通じゃない倒れ方だ。
「蓮見?! どうした?!」
ササキも異常を察したのか、蓮見に声をかける。
「蓮見ちゃん?!」
「おい、蓮見?! 蓮見!!」
肩をゆするが反応がない。
呼吸も荒く、苦しそうだ。
どう考えても、これはやばい。
「は、蓮見! 蓮見!!」
どうすればいいか分からず、僕が無理やり身体を引き上げようとした瞬間……
「動かすな! そのままにしとけ!!」
大声が背中から響いた。
声の主はササキでも、店長でもなかった。
しかし、その大きく低い声には聞き覚えがあり、どこか人を安心させる力があった。
「……本多先生」
還暦を越えている白髪の男、僕らの高校の名物国語教師の本多先生がこちらに急いでやってくる。落ちくぼんだ目は見たことないくらい真剣だった。
本多先生は蓮見を丁寧に横たわらせ、手際よく脈と熱をはかった。呼吸が苦しくないように服を少しだけはだけさせた。
僕は何もできず、蓮見の横でおろおろすることしかできなかった。
「……これは良くねえな。ひどい栄養失調だ」
「そんな……そ、そうだ、救急車……」
「もうササキが呼んでる。そろそろ来るはずだ」
いつの間にかササキは席から離れており、電話を終えていたらしい。今は救急車に場所を知らせるために店の外に立っているようだ。
店長は他の客に事情を説明し、蓮見を店の外に運ぶための動線を確保していた。
店の中で僕だけが何もできていない。
蓮見に対して、僕は本当に何もできていない。
本当に、僕は、なにも……。
「ったく。金の出ねえ休日勤務だ……憂鬱だぜ……」
小声でぼやく本多先生の言葉は、やってきた救急車のサイレンでかき消された。
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