015「矜持」

 時は、僕がササキから写真を受け取る場面に戻る。

 

「……な、なんだこれ?」

「ちゃんと渡してくれよ? それなりの自信作だ」

 

 幸さんの写真を見た僕は、驚くばかりだった。


 この写真が芸術的に優れていることは、すぐに分かった。

 優れた作品は人を孤独にする。

 写真の中に吸い込まれるような感覚。

 僕と写真だけがこの世界に存在しているかのような錯覚に陥ってしまう。

 

 写真の中の幸さんの濁った瞳が、

 刻み込まれた皺が、

 困惑した表情が、

 彼女の人生そのものを表現しているように思える。

 


 だけど。

 僕は疑問を覚えずにはいられない。

 

 これが……遺影? 彼女の最期を飾る写真?

 本当に幸さんはこんな写真を求めていたのか?


 そして、ササキはどうしてそう思ったんだ?


「どうしてこんな写真を撮ったんだ?」


 僕は思わずササキに尋ねた。


「さあねぇ。ボクにもなんでか分かんないなぁ」

「茶化すなよ。僕は真剣だ」

 

 僕の口調が思いのほか強かったからか、ササキは気怠げに頭をかいた。


「……自分が言ったジョークの説明をするみたいで、あんまり気が乗らないなぁ」

「……すまん。でも、知りたいんだ」


 ササキはしばらく黙った後、ため息をついて話し始めた。


「枢木幸さんがボクの前に撮ってもらった写真あっただろう? あの写真を断ったと聞いて、何となく彼女が何を求めているのか感じたのさ」

「あの写真に何か問題があったのか? 僕にはいい写真に思えたけど……」

 

「うーん。問題ってわけじゃないんだけどね。あの写真、目のあたりに加工が入ってたんだ」

「加工?」

「そ。目に輝きが出る加工。プリクラみたいなやつ。もちろんプリクラみたいな誰が見てもわかるような低レベルな加工じゃなくて、プロ仕様のやつね」


「……全然気が付かなかった」

「うん。素人さんじゃ絶対気づかないだろうね。目の加工がばれないように、表情とか顔の輪郭とかもちょっとずついじってるみたいだったし」

 

 確かにササキの前の写真家が撮った写真では、幸さんは年齢よりもはるかに若々しく、品格ある女性という印象が強かった。それは僕が幸さんの第一印象そのものだったし、写真は正確に彼女の魅力を捉えているように思えた。


 彼女の半生を聞かなければ、あの写真で何の問題があったのか今もわからなかっただろう。


「多分、あの遺影を作ったのはかなりの腕利きだろうね。クルルギグループが連れてきたわけだし、当然っちゃ当然だけど。加工の技術も抜群だった。葬式であの写真を見れば、生前の幸さんの美しさや気品を疑う人は一人もいないだろう」


 つまり、とササキは続ける。


「あれは『枢木家代表の妻』として遺影なら、この上ない写真だよ。でも、彼女、幸さんはそれを拒絶した」


「……そうか」


 ササキの言わんとすることが分かった。


 つまり幸さんは、『枢木家代表の妻』ではなく、ただの「枢木幸」という人間の姿を残したかったのだ。


 自分の姿を、

 人生の意味を、

 自分が見失ってしまった、「枢木幸」という存在を、

 どうにかして残したいと思った。



 それがどんなに寂しいものであったとしても。



「そういうわけで、彼女がどんな人間なのか確認しながら写真を撮った、というわけさ」

「……で撮れたのがこの写真なわけだな」

「そういうことになるね」


 これで全然見当はずれだったら面白いけど、とササキはケタケタと一人で笑った。

 

 笑うササキを見て、僕は少しだけ感心した。

 こいつ、実は結構すごい奴なのでは……?

 

「じゃあ、この写真は全部お前の狙い通りってことか……」

 そう僕がつぶやくと、


「いや? 全然?」

 と、こともなげにササキは言った。


「は?」

「ボクが推測したのは、あくまで幸さんが遺影で自分の人生を表現したいんだろうなってところまでだよ。実際どんな人生を歩んだかとか、それについてどう思ったかなんてあんまり気にしなかった。だから、こんな写真になるとは思ってなかったよ」


「……まじでか?」

「まじまじ。枢木邸に行って、彼女が拒否した写真見て、『あー話しながら写真撮ろう』って決めて、で、いい感じの時にシャッター切っただけだよ」


 話だけ聞いていると、かなり行き当たりばったりで撮った写真らしい。

 いいのか? そんなんで。


「いいんだよ。人間の意図がどうしたって入り込めない部分があるから、写真は価値があるんだから」

「なんだそれ」


 ササキはどこか得意げだ。


「いいかい? シュン君。カメラっていうのは、シャッターを切る瞬間ファインダーは真っ暗になってしまう。どんなに綿密に準備をしたところで、ボクら写真家は、一番大切な瞬間は手探りなんだ。現像が終わるまで、何ができるかわからないんだよ」


 逆に言えば、とササキは続ける。


「だからこそ、写真はボクらの意図や思惑を超えることができるんだよ。ボクはその瞬間が何よりも好きなんだ」


 そう言った後、ササキはしゃべりすぎたと思ったのか、口を閉じてまた頭をかいた。


 僕はササキの言葉を頭の中で反芻した。

 これが写真家・ササキの矜持らしい。


 ん?でも待てよ。


「じゃあお前は何ができるかわからないくせに、何の見通しも立ってないのに、あんなに自信満々に枢木の依頼を受けてたのか?」

 

 ササキはにやっと笑って目を細めた。それは人を苛立たせる表情だった。



 ……ああ、それなら確かに、『写真家ほど無責任な職業はない』な。

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