013「現像(developing)」
撮影が終わると、幸さんはなんだか疲れたと言ってすぐに自分の部屋に戻っていった。
僕とササキも枢木家本邸からすぐに去ることにした。
枢木雪枝の父が帰ってきても面倒だし、何より館中が妙な緊張感に包まれている。長居したら胃に穴が開きそうだ。
館に入ったのと同じ扉から外に出るところまで、枢木とメイドの夏目さんが見送りに来てくれた。
「それでは、お邪魔しました。写真の方は現像が終わりましたら、シュン君がここに直接持ってきます」
「お日にちはいつ頃になりますか?」
夏目さんが聞く。
「そうですねぇ。多分三日後ですかね。大丈夫かな? シュン君」
「ああ、届けるよ」
またバイトを休むことになってしまうが、ササキの口添えがあれば問題ないだろう。
「ただ、あのお父様が出てくると厄介だな……」
「ああ、その辺は私がうまいことやっておきますよ。赤坂様」
夏目さんが返事をする。
あの男相手にうまいことやることができるなら、このメイドは相当できるメイドなのかもしれない。
「あの……、赤坂君」
枢木が細い声を出した。お前、今日一日で大分キャラ変わってるぞ?
「どうした?」
「今日のこと、学校では……どうか……」
……言うはずがない。
僕には話す相手もいないし、誰も信じてくれないだろう。
仮に話し相手がいたってべらべら喋ったりしない。
枢木の境遇についてどうにかしてやりたいと思わないでもないけれど、だからと言って他人が土足で踏み入っていいわけがない。
僕はそんなに無神経じゃない。
だから、枢木、そんな必死な顔をしないでくれ。
「……言わないよ。誰にも言わない」
枢木はほっとしたような顔をした。
夏目さんが続けて言う。
「赤坂様? もし口を滑らせるようなことがあれば、あなたを真っ二つにしますよ?」
「真っ二つ?!」
「ええ、一生半身浴しかできない身体にして差し上げます」
「真っ二つになって風呂の心配なんてしませんよ……」
斬新な脅し文句だ。枢木といい夏目さんといい、この屋敷の連中はどうしてこうも猟奇的なセリフがポンポン出てくるんだ……。
「ともかく、三日後に写真お届けに行きますから」
「はい。お待ちしております」
夏目さんは少しだけ微笑んだ。
そうして僕らは枢木邸を後にした。
それから二日間。
僕はいつも通りに学校に行き、『喫茶クロワッサン』でバイトをした。
が、枢木雪枝は学校に来ていなかった。
余計な詮索はすべきでない、という事はわかっている。
彼女の家庭について、深く介入することは決して懸命とは言えないだろう。
だけど、彼女の人形のような表情が目に焼き付いている。
なんでもないように僕らに膝をつきかけた事実が頭から離れない。
今、あの父親に折檻でも受けているのだろうか。
僕らのせいで? 僕らがもっとうまくやれば? 何かできることはないのか?
余計なことばかりが頭をめぐってしまう。
『喫茶クロワッサン』でも僕は上の空だったようだ。
「シュン! おいシュン!!」
「はっ。 何でしょう店長」
「ぼーっとしてんな……。何かあったのか?」
「いえ……なんでもないです」
「ササキから伝言だ。今日写真が出来上がるから、事務所まで取りに来るようにってさ。もう上がっていいから、すぐに向かってやれ」
「え、いいんですか?」
「ああ。今日のお前は危なっかしくて見てらんねえ」
店長に気を使わせてしまった。申し訳ないと思いつつお言葉に甘えることにした。
幽霊の出そうな、というより幽霊の住処を人間が間借りしているといった方が適切な雰囲気が漂うササキの事務所があるビルに到着し、事務所のドアをノックする。
前回と違って、ササキはすぐに出てきた。
「おや、シュン君。早かったね」
「店長が気を使ってくれたんだよ。写真は?」
「まだだよ。今乾燥中。もうしばらくかかるかな」
ササキの事務所には一応バスルームがついているが、乾燥室代わりに改造されていた。
仕事部屋のパソコンの画面には白黒の写真らしきものが写っており、奥の作業スペースには液体が入った瓶や何かの粉の入った容器が置いてあった。
「ササキ、これはなんだ?」
「ああ、その辺の薬品には触らない方がいいよ」
「そうなのか?」
「うん。触ると指がなくなるよ」
「なくなるの?!」
溶けるとかじゃなくて?!
慌てて手を引っ込める。とんでもねえ劇薬だ……。
ササキはいつも通りにやにや笑っている。
「冗談だよ。まあ、かぶれるくらいはするだろうから触らない方がいいね」
「お前の冗談、笑えねえよ……」
ササキはけらけらと笑うと、パソコンの前の椅子に座った。
「現像って、結構手間がかかるんだな……」
「まあ、手順は多いかな。でも慣れればそうでもないよ」
「おお……プロっぽいな」
「プロだからね。一応」
僕は事務所内にもう一つだけある椅子に座った。
特に乾燥が終わるまで、まだ時間がかかるらしい。
「ああ、そういえば雪枝ちゃんの様子はどうだった?」
「いや、学校来てなかったよ」
「あーやっぱりそう? まあ、あの様子じゃあの父親から厳しめに罰受けてるかもねぇ」
ササキはこともなげに言った。
「……なあ。ササキ。僕はやっぱり枢木のことほっとけないよ。僕に何かできることってないのかな」
「ないね」
即答だった。いっそ、冷酷ともいえるような声色だった。
僕は思わず口をつぐんだ。
「相変わらず、シュン君は優しいんだねぇ」
「……僕は優しくないし、優しいは褒め言葉じゃない」
「前にも言ったと思うけど、本当に必要になれば彼女の方から助けを求めてくるよ。シュン君はそうなった時手を差し伸べてあげればいい」
そう答えるササキの声は驚くほどいつも通りだった。
「……お前は、枢木や幸さんを見て何とも思わなかったのか?」
「いいや? それなりに同情したし、それなりに哀れんでもいるよ? でもボクにできるのは写真を撮ることだけだ。あとは知ったこっちゃあないね」
「でも、それってあまりに……」
「そう。写真家ほど無責任な職業はないからね」
ササキはそういうと、眼鏡の奥の眼を細めた。
僕はコイツのこういうところが好きになれない。
「さて、もうそろそろいいかな……」
しばらくしてササキはそう呟き、乾燥室へと消えていった。
「できたのかよ?」
「ああ。よかった。概ね予想通りだ」
ササキはそう返事をした。その声からは隠しきれない安堵が感じられた。
ササキは僕のいる場所まで、二枚の写真を持ってきた。
「なんだ? 一枚は予備か?」
「うーん……まあ後で必要になるだろうから。明日は一枚だけ持って行けばいいよ」
「……? 分かったよ」
ササキは後処理を少しすますと、用意していたらしい額縁に写真を入れた。
そして、僕はササキに額縁を渡され、そこで初めて写真を見た。
「……な、なんだこれ?」
「ちゃんと渡してくれよ? それなりの自信作だ」
ササキはいつもより目を細め、口角を上げてにやっと笑った。
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