012「問答と撮影」

 リモートスイッチを右手にもって、ササキは幸さんに声をかけた。


「申し訳ないのですが、お話ししながら写真を撮ってもよろしいでしょうか? 黙ってかしこまったまま写真を撮るのが性に合わないものでして……」


「ええ、構わないわ」


「ありがとうございます。シャッターのタイミングは特にお伝えしません。できるだけ自然な表情で撮影させていただきます」


「わかりました。始めましょう」


 幸さんの了承を得て、ササキは話を始めた。


「しかし、遺影を撮りたいという方はあまり多くないんですよね」

「あら、そういうものかしら」


「そうですね。あまりいらっしゃいません。大概の場合、亡くなった後生前の写真から切り出して用意しますね。香典のお札がピン札では失礼に当たるのと同じ理由で、まるで死ぬのを待っていたかのように思われるのですよ」


「なるほどねぇ」


 パシャッ

 フラッシュが光る。幸さんは驚いたように目を見開いた。

 ササキの後ろで見ていた僕もびっくりしてしまった。


「随分と急ね」


「驚かせて申し訳ない。こんな形で、お話しの途中でシャッターを切っていきますのでご了承ください」


「それはいいけど、変な顔、してないかしら」


 ササキはちらりとカメラの画面に映った画像を見て

「大丈夫ですよ。何枚か撮って一番良いものを差し上げますから」


 そういってササキは話を戻した。

「でも、カメラというものが現れた直後は、写真そのものが不吉なものだったそうですよ。撮られると魂が抜かれると本気で信じていた人もいたとか」


「そう……。でもわからなくもないわ。全く動かない自分なんて不気味だもの」


「ですね。ボクの写真で魂を抜かれないように気を付けてくださいね」


「ふふ。むしろ魂が写りこむような写真の方が遺影には適切かもしれないわね」


 パシャッ

 またフラッシュが光った。

 今度は、幸さんは目を細めることはなかった。


「少し慣れて来たわ」


「それは結構。ところで、幸さん。どうして枢木家に嫁いだんですか?」


 一瞬の沈黙。その瞬間に、


 パシャッ

 フラッシュが光る。


「……それは、撮影に必要なことなの?」


「ええ、まあ。言いたくなければ結構ですがね」


「……まあいいでしょう。そうね。私は別に名家の生まれというわけではなくて、普通の家庭で生まれ育ったの」


「なるほど。旦那様、枢木家の前代表とはどこで出会ったのですか?」


「高校時代よ。夫の方からアプローチされてね。でもあの人、自分の素性のことを全然話してくれなくてね。気づかないうちに婚約、みたいな話になっていたわ」


「なるほど。でも玉の輿、というやつじゃないですか。ご家族、喜んだんじゃないですか?」


「そうね。最初はとても喜んだし、私もおいしい話だと思ったわ。……でも、蓋を開けたらそんなことはなかった」


 パシャッ


「失礼。続けてください」


「……私のことをよく思わない家族はいくらでもいたし、私自身も言葉遣いや礼儀作法なんて何にも知らない小娘だったから、何度もお義母様から厳しい叱責を受けたわ。グループの他の人々の目もあったから、毎日毎日すごいプレッシャーだった」

 

 幸さんの口調が徐々に砕けている。当時のことを思い出しているのかもしれない。


 僕とそう歳の変わらない少女が、クルルギグループ次期代表の妻。

 僕には思いもよらない圧力が彼女の肩にかかっていたと思われる。

 

 そんな彼女の当時を想像したとき、僕の脳裏には枢木雪枝の姿が思い浮かんだ。

 

 

「それはそれは、大変だったでしょうに。逃げ出そうとは思わなかったのですか?」


「もちろん考えたわ。でも、そんなこと不可能だった。世界的大企業の次期社長が離婚で経歴にバツをつけるなんて、絶対に枢木家が許すわけない」


「なるほど」


「外部に助けを求めようとしたけれど、それも許されなかった。私の友達や親族に対してさえも、枢木家は私が接触することを許さなかったの。徹底的に外部との関わりを断たれ、外に出られるのは夫と一緒にお飾りとしてパーティーや式典に参加する時だけ。夫が死ぬまでずっとそんな日々だったわ」


「旦那様には? ご相談されなかったのですか?」


 幸さんは少し自嘲的に笑った。

「夫は、ずっと忙しくしていましたから。ちゃんと二人きりになれたのは数えるほどしかなかったのよ。それも、単に後継ぎを作るための時間だったわ」


 パシャッ


「よくそんな生活に耐えられましたね?」


「……耐えた、というより段々とどうでもよくなったといった感じね。叱られるのも、苦しいのもだんだんと感覚が摩耗していって、何も感じなくなってきたの。助かりたい、自由になりたい。そういう感覚も消えていったわ。ただ、言われたことを繰り返すだけの作業だと考えるようになったの」


 学習性無力感。ストレス回避困難な環境に置かれ続けると、その状況から逃れようとすることすら放棄してしまう。マインドコントロールに使われる手法の一つだ。


 先ほど、枢木雪枝が父とのやり取りの中で陥っていた状態。


 幸さんも同じような目に合っていたに違いない。

 状況に適応するために。苦痛に順応するために。

 心をすり減らして、麻痺させて。


 そして、彼女は苦しみを耐えきった。

 耐えきってしまった。


「夫が死んだとき、正直に言うとほっとしてしまったわ。『枢木家代表の妻』という仕事が終わったという事に。もう私が表舞台に立つことはないし、少しだけ自由になることができた。でも……」


 パシャッ


「でも?」

「でも、もう遅すぎたのよ。何をすればいいのかわからなくなってしまったの。言われたことをただし続ける半生を送ったから、自分の自由の使い方なんてとっくに忘れてしまった」


 パシャッ


「……夫が亡くなって、自分の病気が分かったとき。ああ、自分は用済みなんだって思ったの。『枢木家代表の妻』としての役割を全うした私はもう抜け殻で、不必要なんだって。ねえ……」


 結局、私の人生って何だったのでしょうね?


 彼女が小さくつぶやいた。その瞬間、


 パシャッパシャッ


 二回シャッターの音がした。


 

「……お疲れ様でした。以上で撮影は終了です」


「あら、もういいの?」


 撮影時間は合計で三十分程度だった。

 意外そうな幸さんの声にこたえて、ササキが言った。

 

「ええ、恐らくこれ以上のベストショットはもう出ないでしょう……申し訳ありませんね、つらい話をさせてしまって」


 いつになく神妙な顔と声で答えたササキだったが、幸さんの顔は穏やかだった。


「いいのよ。そのために雪枝ちゃんを外に出したんでしょう?」


 ササキは少しばつが悪そうに笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る