011「言えない要望」
部屋は広く、家具は豪華だった。
天蓋付きのベッド、厚手の絨毯、高級そうな衣装箪笥以外にも、正式名称がわからない家具もちらほら見られた。
ただ、一つ一つは豪華でも、部屋そのものはなぜか簡素な印象だった。飾り気がないというか、必要なものだけが置いてあるというか。そんな感覚だ。
「見苦しいところをお見せして、ごめんなさいね」
枢木雪枝はまだ少しショックから立ち直っていないらしい。僕らから少し離れて、部屋の隅の椅子に座ってぼんやりとしている。
「本日はお越しいただきありがとうございます。私が、枢木雪枝の祖母、
幸さんの声は聞き取りやすく、驚くほど流暢だった。
人前で挨拶することに慣れている。
失礼のない言葉遣いや作法が染みついている。
溢れ出る気品を肌で感じ、僕はたじろいでしまった。
「写真家のササキです。お孫さんのご紹介で参りました。よろしくお願いします。こちらはアシスタントの赤坂シュンです。本日は何卒よろしく」
一方、ササキは飄々と受け応える。なんでコイツこんなに余裕なんだよ。
ササキの紹介に合わせて、僕もあわてて一礼する。
「私の準備は済ませてあるわ。あまり時間をかけると、またあの男が戻ってくるかもしれないから、申し訳ないけれど手早くやっていただけると助かります」
改めて幸さんの顔を見ると、きちんと化粧がされているようだ。衣装も正装風のドレスだ。事前に枢木が日取りと時間を彼女に伝えていたようだ。
「ええ。長居するとご迷惑でしょうから、迅速に行いますよ。ただその前に……」
ササキは言葉を切った。
「なにかしら」
「いえ、先ほどの男性、あなたの息子さんになるんですかね、彼の話ですと既に別の誰かに写真を撮ってもらったことがあったそうですが……」
「ええ。そうね」
「もしよろしければ、そちらを拝見したいのですが、よろしいでしょうか」
「もちろん構わないわ。……雪枝ちゃん?」
部屋の隅にいる枢木がビクッと反応した。
なんか小動物みたいになってるぞあいつ。大丈夫か?
「悪いんだけど、前の写真、持ってきてくれるかしら」
「……はい」
枢木はよろよろと立ち上がって部屋から出ていき、数分後に一枚の額縁に入った写真を持って帰ってきた。
「ありがとう。どうぞ、こちらになります」
枢木から受け取った写真を見ると、そこにはバストアップの形で幸さんが写っていた。
「おお……」
僕の口からため息が漏れた。呆れやがっかりといった種類ではなく、感嘆のため息だ。
写真に写る幸さんは美しかった。
実際の年齢よりも何十歳も若々しく、みずみずしさのある表情。
一方で年相応に刻み込まれた顔の皺は、老いよりもむしろ威厳や品性を感じさせる。
長くまっすぐな白髪も美しく、彼女の凛とした雰囲気に合っている。
そして、何より目の輝きだ。濁りなく透き通った目を見れば、本当に彼女が余命幾ばくも無い老女であるなど信じられない。
この写真は、目の前の女性を魅力的に写し出しているように見える。
写真の知識がない僕でも、この写真が素晴らしい作品であることが分かった。
そして同時に、疑問が浮かぶ。
幸さんは、この写真の何が気に入らないのだろう?
ササキは、写真を一瞥して言った。
「こちらの写真は、いつ頃とられたものなのですか?」
「いつだったかしら。確か、届いたのは二週間前くらいで、撮ったのは三週間前くらいだと思います」
そう聞くと、ササキは「なるほど」とだけ言った。
「見せていただき、ありがとうございました。じゃあ、撮影の準備に入りましょうか。シュン君、準備するよ」
「え、あ、おう」
ササキは写真を枢木に返すと、すぐに立ち上がった。
僕もつられて立ち上がり、ササキと準備を始めた。
三脚を立て、背景を決め、部屋の照明を調節する。
準備をしながら、ササキに耳打ちする。
「なあ、お前あの写真に何か問題あったか? 僕にはいい写真に見えたけど……」
「そうだねぇ。ボクもそう思うよ」
何でもないようにササキは言う。
「おい、大丈夫なのかよ。お前の写真であの写真以上にものを撮らなきゃならないんだろ?」
「ははは。写真に以上も以下もないよ」
「じゃあせめて、どんな写真を撮って欲しいとか、要望とか聞けよ」
「要望ねぇ……。今回は聞いてもあんまり意味ないと思うよ」
「なんでだよ」
「要望があるなら彼女から言うはずさ。で、前の撮影をした人は、多分その通りに撮れたはずだ」
ササキは前の撮影者の腕をそれなりに評価しているらしい。
「だから、彼女には多分『言えない要望』があるんじゃないかな。口に出したら台無しになってしまうような、ね」
確かにそうかもしれない。
でも、それならなおさら……
「やばいんじゃないか? お前、どんな写真撮ればいいのかわかっているのか?」
「さあね」
「おい!」
「心配性だなぁシュン君は。まあ、どうにかなるよ。それに、仮に彼女が何かを所望したところで、ボクにその通りの写真が撮れるかどうかなんてわからないし。聞くだけ無駄さ」
「そんな無責任な……」
僕がそういうと、ササキはニヤッと笑うと得意げに言った。
「そう。僕に言わせれば、写真家ほど無責任な職業はないよ」
……写真家がみんなお前みたいな奴なわけがないだろう。
話し合うだけ無駄なようだ。僕は粛々と準備を続けることにした。
準備を終え、幸さんを椅子に座らせるとササキは言った。
「じゃあ、これから撮影を行いますから、雪枝ちゃんは外に出てくれるかな?」
「……え?」
部屋の隅で僕らの準備を見ていた枢木が驚いた声を上げた。
「私は同席できないんですか?」
「うん。君がいると邪魔なんだ。変なことはしないから部屋から出て行ってくれるかな」
ササキにしては強い口調で、辛辣な言い方だ。
枢木は仕方なく、部屋の外に出ていった。
バタン。と扉が閉まる音がした後、ササキは幸さんの方を向いた。
「さてと……。長らくお待たせしました。いよいよ撮影です」
ササキはカメラにつながったリモートスイッチを右手にもって、不敵に笑った。
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