008「ササキの悪癖」
それから約束の日曜日まで、僕はいつも通りの学校生活を送っていた。
学校で授業を受け、「喫茶クロワッサン」のバイトに向かう。その往復を繰り返しただけだった。
枢木も相変わらずクラスでは一言もしゃべらない。授業間の休み時間は教室を出ていきどこかに行ってしまう。放課後は誰よりも早く校舎から姿を消す。授業中あてられても無言を通した。いつも通りの枢木雪枝がそこにいた。
あまりにいつも通りの枢木の様子を見ていると、屋上の出来事や依頼してきたこと自体が夢だったのではないかと思う瞬間さえある。
本当に日曜日に彼女の家に行き、彼女の祖母の写真を撮るのだろうか。白昼夢でも見ていたのではあるまいか。そんな錯覚を覚えることもあったが、学校内で枢木に確認をとるようなことはできなかった。
ただ、僕の家には確かに彼女のブレザーがあり、それが一連の出来事が夢でなかったことを証明している。
改めて枢木の様子を観察すると、どうして彼女が今まで枢木家のご令嬢だとばれなかったかが何となくわかった。
珍しい苗字だし、どことなく気品のある出で立ちだし、噂はすぐにたっただろう。
だが、確認する術がないのだ。
全くしゃべらない。そもそも話しかける隙を作らせない。
噂も本人の合意がなければずっと噂のままだ。
人の噂も七十五日。話す側もその話題に飽き、気にしなくなってしまう。
その姿はさながら、籠城戦であった。
しかし、なぜそこまでして素性を隠すのかはやっぱり謎のままだ。
さて、概ねいつも通りの生活をしていた僕だったが、「喫茶クロワッサン」には少しだけ変化があった。
ササキが店に来ないのだ。
普段はほぼ毎日、一番奥の定位置で、積み上げた本を読み続けているササキが、あの依頼の日から「喫茶クロワッサン」に現れていない。
そもそも毎日どうしてそんなに暇なのか、という疑問はさておきこれはなかなかの異常事態であった。
店長にも聞いてみたが、仕事の前はいつもこうらしい。一人で部屋に閉じこもってシュミレーションをしているらしいのだが、真相はわからない。
もしかすると、逃げたのでは?
そんな不安が頭をよぎる。
さすがにそんなことはないとは思うが、相手はクルルギグループだ。怖気づいてしまう気持ちもわからんではない。
が、その場合残された僕は枢木にどんな目にあわされるのだろうか。想像もつかない。
なんだろう。新しい防犯グッズの実験台にされるかもしれない。
「このスプレーをかけると、内臓が爆発するらしいのだけど試していい?」
「原理がわからねぇ!」
「このナイフで切ると血が出るらしいのだけど試していい?」
「それはやらなくてもわかる!」
脳内再生余裕である。
しかし、依頼日の前日の土曜日。
午前で授業が終わり、「喫茶クロワッサン」にてバイトをしていると店長から声がかかった。
「シュン。ササキから連絡だ。明日、七時にあいつの事務所に来てほしいってさ」
「事務所、ですか? 」
「ああ、行ったことあるだろ?」
「はい。大丈夫です」
ササキの事務所。駅前の小さい雑居ビルの一室にあるワンルームだ。交通の便と引き換えに日当たりを犠牲にしたジメジメした建物で、怪しげな団体ばかりが居を構えている。謎の宗教団体、謎のスポーツの振興協会、そして謎の写真家事務所。大家がそういう連中を好んで集めているのだろうか。ともかく異様な佇まいのビルである。
そして当日。僕は約束の時間通りにササキの事務所に到着した。
事務所のある二階の廊下はしんとしていて、人の気配がなかった。
インターホンを押す。が、反応がない。
ドアをノックする。が、返事がない。
寝てるのか?
ドアノブをひねると鍵がかかっていないことが分かった。
そっとドアを開ける。
「ササキ?」
声をかけると部屋の中で何かが動く音が聞こえた。
部屋の中に入る。入口近くにトイレと水道があり、奥にはパソコンが二台ほど置いてある。部屋の最深部には作業場のようなものがあり、薬品や木の板、霧吹きなどが置いてある。
ササキはパソコンの前の椅子に体育座りをしていた。
起きてはいるらしい。何かをぶつぶつ呟いている。
「ササキ。迎えに来たぞ」
「……ああ、シュン君か……。よく来たね」
ササキの顔をのぞき込むと、随分やつれている。
頬も心なしかげっそりしていて、いつもの不健康そうな相貌が、病人そのものといった具合だ。
「おい、大丈夫かよ」
「……大丈夫だよ。ボクは遠足の前は楽しみで眠れなくなる性質なんだ」
おそらく、ササキは昨日から一睡もしていない。憔悴の度合いを見るに、もしかしたらあの依頼があった日から眠っていないのかもしれない。前に別の依頼を受けた時も、こんな感じで憔悴していたことを思い出す。
「朝飯、食ったのか?」
「いい。ボクは食べない方が集中できるんだ」
この調子だと食事もしていないのかもしれない。
何がコイツをそこまで追い込むんだろうか。
「じゃあシュン君。あそこの荷物もってくれるかな」
「ああ」
バッグには、ササキ愛用の一眼レフカメラのほかに、三脚やレンズなどこまごましたモノが入っていて結構重かった。この体調のササキでは多分もって歩くのは重労働だろう。
何はともあれ、そこから僕とササキは枢木家の本邸に向かった。
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