第168話 寂しがりへのプロポーズ
「はぁ……真人くんとゆっくり過ごす春休みも今日で終わってしまうかと思うと少しだけ憂鬱です」
ふぅ、と深い息を吐いて真理音がコテンと肩にもたれてくる。そのまま、甘えるようにして頭をぐりぐりと押し付けられる。
しかし、俺は真理音にかまうことが出来ない程ガチガチに緊張していた。
すると、その事が無視されたと勘違いしたのか真理音は頬を膨らませ、むぎゅっと抱きついてきた。
「真人くん~真人くん~。無視しないでくださいよ~!」
「……無視なんてしてない。ちょっと……じゃなくて、かなり緊張して冷静でいられないだけ」
「そ、そうだったんですね……確かに、もう私達は世間のどの恋人たちよりもラブラブで仲良しといっても過言ではないほど相思相愛ですけど、くっつくのは嬉しくてもいつまでもドキドキしてしまうものですもんね!」
嬉しいからなのか、全くの見当違いなことを物凄く早口で息を荒くする姿を見ると本当に初めて話した頃とは比べ物にならない程、変わったなと思う。
初めて話した日、真理音は自信がなさそうに暗くて下を向いていた。なのに、俺が罪滅ぼしのつもりでやったことに弱々しくながらも笑顔でありがとう、と伝えてくれた。
今になって思えば、あの日から、俺と真理音は目に見えない何かでずっと繋がり合っていたのかもしれない。
お互いに寂しがりだから。寂しくならないように離れないで長い間ずっと。
「私も、ずっとドキドキです。でも、それ以上に真人くんが大好きなのでくっついちゃいます。ぎゅぎゅぎゅ、ってしちゃいます!」
……いや、見えない何か、じゃないな。
真理音なんだ。
あの日から、真理音がずっと俺を好きでいてくれたから、こうやっていられるんだ。
「真理音。ちょっと、離れてくれるか?」
「ち、近すぎちゃいましたか!?」
「ううん、真理音とならもっと近い距離でいたいからそんな不安そうにしなくていいよ」
「では、どうしてですか? 私は最終日ですし真人くんとずっとくっついていたいです」
「俺もだよ。でも、最終日だから」
意味深に呟いたことに真理音は首を傾げたが俺は机に置いてあるお揃いのマグカップからコーヒーを一口飲んで喉を潤すとソファから立ち上がった。
自室に戻り、指輪が入った箱を胸ポケットに隠して、あるものを手にして真理音の隣に戻る。
むむむ、と何やら未だに思考中の真理音に何枚もの紙が束ねられたものを渡す。
「これ、読んでもらってもいいかな」
「これは?」
中身が全く分からない、という風に目を見られる。
「……真理音とのこれまでを思い出して書いてみたんだ」
乙女みたいなことが恥ずかしくて耳が赤くなるのが分かる。
でも、恥ずかしいからといって逃げたりはしない。
「量がちょっと多くなったから一気に読むのはしんどいと思う。けど、読んでほしい。ここで」
「よ、読みます! 読ませてください!」
興奮した様子を見て、ほっと安心した息が出た。
どうやら、引かれたりはしてないようだ。
まあ、真理音がそんなことをするような子じゃないってのは最初から分かりきっていたけど。
真理音の隣に座り直して静かに呼吸を整える。
目をそっと閉じれば、心臓が一定のリズムをぶち壊しているのがより感じられる。
落ち着けなくなって、何度もマグカップに口をつけた。
大丈夫かな……ちゃんと、伝えられるかな。真理音もそのつもりでいてくれているはずだから大丈夫だとは思うけど……はあ、母さんと葉月さんって凄かったんだな。いや、二人だけじゃなくて結婚している人、皆尊敬するよ。
これからするのは人生で二度とない、後にも先にもないこと。遠回しに伝えたことはあってもその趣をちゃんと口にしたことはなかった。
だから、震えが止まらない。
真理音……ちゃんと読んでくれてるかな?
ちらりと隣を見れば、真理音は少しも脇目をふらず、一行一行しっかりと目を通して読んでくれていた。
見ているこっちが乾燥しないか心配になるほど瞬き一つせず……あ、笑ってくれた。
真理音に指輪を渡そうと思ってからずっとこれまで彼女と過ごしてきたことを思い返して文章に起こした。
可能な限り、今の気持ちを伝えたくて文章にするのには随分と時間がかかった。
それこそ、春休みのほとんどを費やして。
真理音が帰ってから夜遅く、ひたすらパソコンと向かい合いキーボードを叩き続けた。
真理音との思い出は思い返せば思い返すほど、山ほど出てきた。
真理音が声をかけてくれたあの日からずっと続いている日常を。
その時は辛いと思ったことも今になっては全部楽しいと思える日々。そう思えるのは真理音が言ってくれる、俺がいてくれたから、ってことのように、真理音がいてくれたからなんだ。
だから、その日々を……かけがえのない大切にしたい日常をこれからも続けるために勇気を出して――。
休憩を挟みながら、数時間という時間を費やして真理音は全部読んでくれた。
途中、泣いたり笑ったりしてくれていたことから真剣に読んでくれたことが分かる。
コンビニで印刷した紙をホッチキスで束にしただけだから、イラストもなければ、ただ想いを込めて文字を紡いだだけの紙切れ。
なのに、泣いたり笑ったりしてくれたのは想いが伝わっているようで本当に嬉しいことだった。
「読んでくれてありがとう」
「こちらこそ……こんな素敵なものを読ませていただいてありがとうございます。真人くんとの思い出が目に浮かんできました」
読み終わった今も真理音は少し涙を目尻にためている。
その涙を指ですくって笑顔を向けると真理音もへにゃりを温かい笑みを浮かべた。
「これは、もう完成したんですか?」
「ううん、途中……だから、真理音に聞いてほしいことがある」
真理音の左手をとってソファから少しだけ距離をとる。
その事を不思議に思っていそうな真理音の手を痛くならないように力を加えて両手で包み込んだ。
「真理音……覚えてるかな? まだ、こんなにも仲良くなってなかった時、俺は言ったんだ。ゼミなんて所詮、一年だけの付き合いだし無理に仲良くなる必要ないって。めんどくさいって」
真理音から親睦会に参加しましょう、と誘われた時、俺はきっぱりとこう言ったんだ。
それは、琴夏とのことがあったから。
けど、心のどこかではそれだけじゃなく、俺が本気で人付き合いなんてめんどくさい、と思っていたからだ。
当然、真理音もその中の一人だった。
大して仲良くもないくせに、ひとりは寂しいとか言って周りをうろつく変な女の子。
一言で言えば、めんどくさい邪魔な女の子だったんだ。
「もちろん、覚えてますよ。あの時の真人くんはつんけんしてて、どう懐に入り込もうか真剣に悩みましたから」
「それで、俺を脅したと……」
「あ、あれは、脅しなんかじゃないですよ。作戦です作戦。真人くんと仲良くなろう作戦の一つだったんですよ。……まあ、ほんの少しは罪悪感がありましたけど」
真理音は当時を思い出してか懐かしいような、その時は浮かべなかった申し訳なさそうな、そんな笑みを浮かべた。
「だって、真人くんが優しいってことは分かっていましたから。負い目を感じるようにすれば、絶対に付き合ってくれるって」
「ほんと、俺のことを過大評価しすぎだよ」
「でも、ちゃんと参加してくれたじゃないですか。あの時、やっぱり真人くんは優しいなってすっごく嬉しかったんですからね」
小悪どい微笑みは悪戯が成功したようなもので思わず頬をつねってやりたくなる。
けど、両手で真理音の手を包み込んでいるため心の中で留めておいた。
「謝った方がよろしいですか?」
「ううん、今こうしてられてるからいい。むしろ、礼を言わせてくれ。誘ってくれてありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
「……ただな。あの時、真理音に言ったことは今も変わっちゃいないんだ。俺は万人と仲良くなるよりは少なくても濃い繋がりを大切にしたい。人の縁は大切だ、なんてあるけどそれは本当に大切にしたい人達だけでいいと思ってる」
友達百人、出来ればいいだろう。
それは、きっと毎日が楽しくてしょうがないことだと思う。
けど、俺は百人も友達はいらない。
連絡先だって、十人も知っていなくてもいいとも思ってる。
その代わり、繋がれた縁は大切にしたい。
真剣に向き合って、何よりも大事なものにしていきたい。
真理音と真剣に向き合って、関わって、そう思えるようになった。
「だから、俺は次のゼミでもその考えを変えたりはしないと思う。自分で壁を作ったりはしないけどさ」
「真人くん……」
「けどな、真理音だけは特別なんだ。一年だけの付き合いなんかじゃ物足りない。もっともっと、仲良くなりたい。これから先もずっと」
初めはめんどくさい女の子だった。
けど、そのめんどくささが次第に居心地のいいものになった。
そして、離したくないものになった。
ずっと、隣でいてほしいものになった。
俺は真理音の手に片手だけを添えるようにして片膝をついた。
ひとりでいる寂しさを知ったからひとりにしたくないと思った。
ひとりでいる寂しさを知ったからひとりになりたくないと思った。
ひとりでいる寂しさを知ったからふたりでずっといたいと思った。
「二条真理音さん。俺は――」
ひとりになるのは、ひとりにさせるのはまだ七十年は先でいい。
ほんの一瞬だけでいい。
すぐにまた、ふたり並んで隣を歩いていきたい。
「あなたのことが好きです。大好きです。愛しています。俺と結婚してください。あの続きを俺と一緒に描いてください」
真理音の左手の薬指にそっと唇で触れた。
今まで生きてきて、これほどまでに心臓が早かったことなんてないくらい動いているのが分かる。
ほんと、真理音といるだけで何度も更新されるよな。
「……こんな私で、いいんですか?」
「そんな真理音だから、いいんだ。結婚、してくれるか?」
「はい……はい……っ」
大きく見開かれた真理音の目からは澄みきった涙がぽたぽたと零れ落ちてくる。
そんな、宝石のような雫を流しながら真理音は触れていた手を自らの口許までもっていき、同じように唇を触れさせた。
「私も……真人くんが好きです。大好きです。愛しています。だから、私と結婚してください。私を真人くんのお嫁さんにしてください」
「うん……!」
真理音を抱きしめて、そっと口づけを交わした。
温かい気持ちが胸の中を満たしていく。
「……えへへ、真人くん。愛しています」
「俺も……愛してるよ。真理音」
くすぐったい気持ちになって額を当てながらふたりで微笑み合った。
そして、もう一度唇を重ねた。
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