第166話 お祝いしたい寂しがり 前
時が過ぎるのは早いもので三月も昨日で終わり、今日から四月に入った。
四月一日、エイプリルフールである。
真理音に嘘をついてやろうか、とも思ったけど、純情な彼女はきっと信じてしまうことだろう。
スーパーでタイムセールやるらしい、って言えばすぐにお財布を持って向かいに行きそうだ。
その姿を意図も容易く想像できてしまったことにひとりで苦笑しながら、朝ご飯を作ってくれている真理音の後ろ姿を眺めた。
順調に伸びてきている髪の毛を一本にくくり、エプロンをしっかりと結んでいる。軽やかに動く度、髪も揺れるのが見ていて心地よい。
「もうすぐ出来るので待ってくださいね」
「ゆっくりでいいよ。焦ってケガとかしてほしくない」
それに、料理をしている真理音は何時間見ていても飽きる気配がない。いつまでも見ていられる。
片ひじをつきながら、代わり映えのない一日の始まりをゆっくりと楽しんだ。
「うん、今日も美味しい」
味噌汁を一口、口に含む。
昨日の疲れがとれるような眠気が覚めるような。そんな、優しい味が口に広がり、喉を通して全身の隅々まで染み渡っていく。
「改めて。昨日までお疲れ様でした」
「真理音こそお疲れ様。沢山、支えてくれてありがとう」
「私は真人くんの彼女ですからね。当然の役目を果たしただけですよ!」
ふふんと鼻息を鳴らし、どや顔を決め込む姿が可愛らしく、見ているだけで口角が上がってしまう。
彼女だから当然の役目って真理音は言ってくれるけど、本当にありがたいことなんだよな。
俺が思い描く彼女というイメージだとここまでしてくれるのは中々いない。
ほぼ毎日、三食ご飯を作ってくれる彼女なんて果たして彼女と言うだろうか?
答えは否だ。
ほぼ毎日、三食分のご飯を作ってくれて、いってらっしゃいとおかえりなさいを言ってくれるのはもう同棲しているか結婚していると言っても過言ではないだろう。
つまり。真理音は彼女ではなく、嫁、妻、奥さんと表した方が正しい。
その為の前段階をまだ済ましていないのに突っ走ったことを考えていると、
「今日からは真人くんとずっと一緒ですね」
その事がよっぽど嬉しいと思ってくれているのか真理音は朝からとても良い笑顔を浮かべている。
「明後日はまたバイトなんだけどな……」
これは、嘘でも何でもなく真実だ。
日数や働く時間が減っただけでバイトそのものを辞めた訳ではない。大学を卒業するまではお世話になるつもりだ。
「だ、大丈夫です。今までと比べたらへっちゃらですから!」
「……本当に? 俺はへっちゃらじゃないけどなぁ……」
わざとらしく、落ち込んだように肩を沈めてみる。
すると、
「う、嘘です! エイプリルフールなので嘘をつきました。本当は、私もへっちゃらじゃ――」
焦って、取り繕うとするように訂正してくるも、からかわれたと気付いたのだろう。ぴたっと動きを止めて、訝しげな表情を向けてきた。
「……真人くん、嘘をつきましたか?」
「どっちだと思う?」
嫌味ったらしい笑みを浮かべるとぷるぷると震えだす。
因みに、俺のは嘘であって嘘ではない、といったところだ。
やっぱり、真理音につく嘘はこれくらいの程度の低いのが一番だなと思いながら笑っていると机の下で足を蹴られた。痛くも痒くもなく、相変わらずの弱いダメージだった。
「――ところで、真人くんの欲しい物、とやらはもう買えたんですか?」
食後、久し振りに登場したソファに座りながら一息ついていると聞かれたいような聞かれたくないような質問を受けた。
指輪を既に買ってあるのは買ってある。数日前に購入し、真理音に見つからないようにするため、机の引き出しの中に入れてしっかりと鍵をかけて隠している。それでも、いつそこに注意がいくか不安でならない。
っと、それよりもどう答えるべきか。
買えたよ、って言えば興味を示されるだろうしなぁ。でも、下手に嘘をつくとまた不安を感じさせちゃうかもだし……難しい。
「……一応、買えたよ」
正直に話しておこう。不安を感じさせるよりは絶対にいいはずだ。
「……その様子だと教えてはくれないようですね」
「ごめん、まだ教えられない。でも、真理音が不安になるような物じゃないから」
「分かってますよ。真人くんはそういう人じゃないですから」
もう、今、この瞬間、渡してもいいんじゃないかと思えてしまう。でも、もうひとつの方がまだ完成してないから出来ない。
「その代わり、いつか見せてくださいね。真人くんが私との時間を減らしてまで欲しかった物、とやらが何なのか気になりますから」
「うん、見せるよ」
――もうすぐ、必ず。
心の中で呟くと真理音は唐突にスクッと立ち上がった。
そして、徐に、
「真人くん、今からお買い物に付き合ってくれませんか?」
そう提案してきた。
「いいけど……タイムセールなんてやってたっけ?」
「どうしてタイムセールですか?」
「あ、ううん。何でもない」
真理音につこうと考えていた嘘が頭に浮かび、つい口を滑らせてしまった。
本当にしょうもないので何でもないと言い続けると可愛く小首を傾げられるもあまり気にはしていないようだ。
「少し、日用品が減ってきたんです。ですので、補充しておきたくて」
「ん、分かった。俺の家はどうだったかな」
日用品、というのは気付いた時には少なくなっている物である。最近、あまり確認していなかったので不安だ。
「真人くんの家はまだ大丈夫でしたよ」
「真理音が言うなら大丈夫だな。じゃあ、行こうか」
「はい」
ふたり仲良く家を出て、よく利用しているスーパーへと向かう。
「もうすっかり温かくなりましたね」
「もう四月だからな。太陽さんも活躍したくてうんざりなんだろ」
「でも、外はまだ少し寒いですね」
チラチラ、と同意を求めるようにこっちを見てくる。
「はい」
意図を察し、手を差し出すと満面な笑顔で嬉しそうに優しく包まれた。
真理音の手は温かくて、まるで、彼女の体温が手を通して俺の中に入ってくるような気がした。
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