第19話 寂しがりは食券を買うのもひとりじゃ寂しいらしい

 ここ最近、二条さんの様子が可笑しいことがある。二条さん、と呼びかけると振り向いてくれるのだが、むすっと頬を膨らましていたり。かと思えば、「星宮くん、星宮くん」と何かをねだるようにテンポを刻みながら呼んできたり……情緒不安定なのだろうか。


 そして、今日は後者の日だった。


「星宮くん、星宮くん」


「はい、星宮ですが何か?」


 呼んでくるから答えているのに二条さんはもぞもぞと身体を動かすだけ。


「星宮くん、星宮くん」


「はい、星宮ですが何か?」


「星宮くん、星宮くん」


「だから、なんだよ」


 意味が分からんぞ。名前を呼ぶだけという遊びでも開発したのか。それとも、俺のことを呼びすぎて他の言葉を忘れてしまったのか。


「なんでもありませんっ!」


 ほんと、よく分からん。

 二条さんは頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。


 なんなんだ……?



 結局、講義中も二条さんが何かを言ってくることはなかった。と言っても、元々真面目な二条さんが講義中に話し掛けてくることなど滅多にないのだが。


 そして、講義が終わった所で二条さんがわざとらしく大きな声を上げた。


「あ、あー、やってしまいました」


「どうした? 鍵でも忘れたのか?」


「そ、そこまで重要なことじゃ……いえ、私にとっては重要ですけど」


「なんか手伝えることなら手伝うぞ」


 普段から、お世話になっているお礼くらいしないといけない。お金を払っているとはいえ、二条さんにしんどいことをしてもらっていることは確かなのだから。


「本当ですか!?」


「う、うん」


 期待したように目を輝かせ、嬉しそうに振り向いた二条さん。まるで、その言葉を待っていたかのような。


「で、何をやったんだ?」


「お昼ご飯、忘れてしまいました」


 空腹に耐えられなかったのだろうか。言うと同時に二条さんのお腹から「グウ」という可愛らしい音が鳴った。


「き、聞きました?」


 耳が赤くなっている。触れてほしくないのだろう。


「安心しろ。今すぐコンビニでご飯買ってくるから」


「き、聞こえてるじゃないですか……って、そうではなくてですね」


 立ち上がった俺の腕を二条さんが掴む。細い腕と弱い力で離さないようにと掴んでくる。


「その……あの……しょ、食堂で一緒に。約束、してますし……」


 あー、分かった。最近、二条さんがずっとそわそわしたり怒ったように見せてきていた理由が。

 ずっと、俺に訴えかけていたんだ。約束した、一緒に食堂で食べようって話していたことを気づいてほしかったんだ。


 二条さんとの約束は忘れないとか言っておきながらダメなやつだな。イケメンになりたいとかカッコつけたい訳とかじゃない。けど、約束したことくらい覚えておくべきだ。特にお世話になっている二条さんとの約束なんだから。あの時、何を学んだんだ。


「あの、星宮くん?」


「悪い。すっかり、忘れてた。食堂、行くか。一緒に食べる約束だしな」


「は、はい。ふたりで、ですからね」


「分かってるよ」


 二条さんの機嫌がご機嫌に変わった。



 俺は一年間、食堂を利用してきた。つまり、スペシャリストという訳だ。どれが美味しくコスパも良いか知り尽くしている。


「カレーのお礼だし今日は俺が奢るよ。なんでも好きなもの頼んでくれ。因みに、空腹時はたらふく食べれるスペシャルメニューがおすすめだぞ」


 ニヤッと笑いながら言うと二条さんは唇を尖らせる。


「もう。からかわないでください」


「俺はからかい上手の星宮くんだからな」


「意味が分かりません」


「ま、スルーしてくれていいよ。二条さん、食堂は初めて?」


「食堂には来たことあります。九々瑠ちゃんと食べる時によく利用しています。ですが、食堂のご飯を食べるのは初めてです」


「じゃあ、食べたいもの注文するといいよ。値段は気にしないでいいから」


「と言われましても難しいですね……」


 メニューとにらめっこしている二条さんをひとりにして俺はいつもお世話になっている肉うどんの食券を購入した。


「二条さん。金は後で請求してくれたらいいから先に行ってていいか?」


「えっ……」


「いや、そんな未開の地にひとり取り残されたような目をしなくても……」


 たかが、食堂だよ? 全く知らない場所なんかじゃないんだから。食券買うのもひとりじゃ寂しいとか言わないでくれよ。


「食券買うのもひとりじゃ寂しいです」


 ほんとに言っちゃうのかよ……。


「分かった分かった……隣にいるからゆっくり選ぶといいよ」


「はい。ありがとうございます」


 むむむ、と真剣に悩んでいる姿はどこか面白い。こういう姿を見れるだけ、一緒にいる相手を俺としてくれて役得なのかもしれない。

 どうして俺なのかは未だに分からないが。


「星宮くんは何を頼んだんですか?」


「毎度お馴染み肉うどんだ」


「肉うどん、お好きなんですか?」


「単純に美味いからだな。やみつきになるほどには虜になってるけど」


「む。今度、作ります」


 心成しか二条さんがメラッと燃えた。まるで、対抗心むき出しというように。


「二条さんは結局何にしたんだ?」


「このピラフとサラダのセットにしました」


「健康そうな女の子って感じの注文だな。満腹になるのか?」


「女の子ですし。私、少食ですし」


「そっか」


 必要以上にいじるのも悪いためここで止めておく。と、ちょうど肉うどんが出てきた。


「はい、肉うどんかまぼこ抜きね」


「えっ?」


「あれ、いつもかまぼこ抜きで頼んでたけど……違ったかい?」


「あ、いえ。ありがとうございます」


 食堂のおばちゃん……俺のことを覚えてくれてたんだ……嬉しい。女神様に見えてきたぞ。


「じゃ、じゃあ、席行こうか」


 二条さんが頼んだピラフとサラダのセットも出てきたので空いている席に移動する。向かい合わせで座り、実食しようと箸を持ったところで二条さんが俯いていることに気づいた。


「どうした?」


「その、星宮くんはかまぼこがお嫌いなんですか?」


「まぁ、かまぼこっていうより魚介類が苦手って感じかな。食べられないことはないけど、好んで食べようとは思わない」


 すると、二条さんは席を立って頭を下げてきた。


「す、すいません……私」


「待て待て。どうしたんだ?」


 少なくとも今のやり取りに二条さんが俺に謝ることなんてどこにもないはずだ。


「魚が苦手と知らず星宮くんに魚料理を出してしまいました……」


 二条さんの作ってくれるご飯は健康のことも考えてか魚料理が多い。確かに魚は苦手だ。出来れば食べたくない。

 でも。


「顔を上げてくれ二条さん。気にしてないから」


「でも、私が言い出したことで星宮くんが嫌な思いをしていますし。私、でしゃばり過ぎました」


 二条さんは今にも泣き出しそうな程に声を震わせていた。


「二条さん。本当に気にしないでいい。別に怒ってるとか嫌な思いもしてないから」


「ですが、星宮くんは魚苦手だって」


「確かに苦手だし食べたくはない。でも、それは二条さん以外の場合」


「どういう……」


「単純に二条さんが作る魚料理なら食べたいって思えることだよ」


 こんなこと言わないけど俺の胃袋はもうとっくに二条さんに掴まれている。今だと何を食べても二条さんの料理の方が美味しく感じ、二条さんの料理を無性に食べたくなってしまうんだ。


「だから、俺は二条さんが作ってくれるものを嫌だとも食べたくないとも思わない」


「星宮くん……」


「でだな。俺としてはこれからも二条さんにご飯を作ってほしいと思ってる訳だが……ダメか?」


 目を見て直接言うのはなんだかプロポーズの一種みたいで恥ずかしい。耳が熱くなっているのを感じる。頼むから見ないでくれ。


「はい。私、作ります。これからも、星宮くんのために美味しいご飯をたくさん」


 囁くような優しい声音で微笑む二条さん。不覚にもその笑顔は心を揺さぶられるものだった。


 直視出来ないとすぐに判断した俺はそっぽを向く。


「そ、そろそろ、座ったらどうだ……?」


「そうですね。早く食べないと星宮くんのうどんも伸びてしまいます」


 座り直した二条さんは俺のことを見てクスリと笑う。


「ふふ。なんだか、プロポーズされたみたいで驚いちゃいました」


「ち、違っ……違うからな!」


「分かってますよ。でも、星宮くんって案外可愛い部分もあるんですね」


 さっきの仕返しのつもりなのか、自分でも分かるほど熱くなった頬を見て笑いかけてくる。


 っ、俺なんかよりそっちの方がよっぽど可愛いだろ。


 幸せそうに笑う二条さんを俺は見れなかった。

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