④封じ込めの代償
準備はしてもし過ぎることはない。
対策を立てていても、それを上回ってくるのが現実というものだ。
「まさか、ネメシスの強さが変動するとはね」
ネメシスが出現し始めた当初、治療薬を投与された中では下位に分類される兵士達が連携して戦っていた時点ではよかった。
全て討伐し、完全なる封じ込めができていた。
だが、時間、位置、味方の配置等々。様々な条件によって、あの六人に近いレベルの人間がネメシスに対応して倒してしまった時から狂いが生じてしまった。
あの存在に関し、この時点では知られていなかった特性によって。
次に現れた時、己を討った存在と同程度の力を持って復活する。
それを確信した時には既に『雄也』達が戦わなければならないレベルになっていて、対応できる人数が余りにも少なくなったがために対処し切れなくなってしまっていた。
だから『雄也』達はその時間軸に見切りをつけ、時間跳躍を行わざるをを得なかった。
そうして始まった六度目の世界。
全体の流れは前回と同様に。
「ネメシスは倒されると、自分を倒した存在と同程度の力を得るみたいだ」
六国の代表者との会合にて、そう伝える。
それと共に直接対処を行う人間を限定し、ネメシスが強化されないように厳重に注意した。あくまでも個体の強さのトレースなので、そうすれば集団で十分対処していける。
これ以上の想定外さえ起こらなければ、ネメシスの封じ込めは可能と言えるだろう。
そして実際に、今回の時間軸ではかなり安定的に対応することができていた。
そんな中、スケレトスから呼び出しがあり、『雄也』達は彼の元へと向かった。
「ネメシスについて新しい情報があった」
挨拶はそこそこにそう切り出すスケレトス。
「新しい情報?」
「ああ。どうも奴らは言葉を発するらしい。正体は魔物か魔獣が変異したものかと思っていたが、何かしら別の存在のようだな」
その内容に、まずゼフュレクス達を思い出す。
彼らは肉体的な進化によって、ウェーラから植えつけられた知識を受け入れるだけの器を得て人語を扱うに至ったが……。
しかし、以前の時間軸で対峙したあれを人工魔獣と同一視することはできなかった。
更に別の、特異な何かと考えた方が妥当だ。
とは言え、その情報はネメシスの正体に迫る手がかりにはなるかもしれない。
「現状、奴の被害は最小限に抑えることができているとは言え、いつまでもあれに煩わされている訳にもいかない。根源を断たなければ」
「……そうだな。その通りだ」
あんな正体不詳な存在への対策に消費されるエネルギーは余りにももったいない。
ある意味それもまた人類の自由を侵害するものだ。
自分の意思でも社会的な秩序を守るための妥協でもなく、完全に外的な問題によって本来自分が望むことを妨げられているのだから。
「言葉の内容が知りたいわね。黒幕に繋がる何かが分かるかもしれない」
顎に手を当てながら呟いたウェーラに頷く。
何にせよ、ネメシスの正体だけは知っておきたい。
それがたとえ元の世界で言う病原菌のような、完全には根絶することのできない存在だったとしても、それはそれでいい。
そういうものとして共存せざるを得ないなら、その方向で対策を立てていくだけだ。
だが、もしもウェーラの懸念通り、神(とでも呼ぶべき超常的な存在)がいると言うのなら、この状態で満足して維持していくだけでは駄目だ。
次の手を打たれる前に、何かしら切り札と言えるものを用意しておかなければならない。
「どうやら、丁度ネメシスが発生したみたいね」
と、ウェーラが魔動器を確認しながら言う。
ネメシスのまるでブラックホールの如き虚無の気配。
近くにいれば生身でもあからさまに察知できるものだったが、反面魔動器で機械的に探知することは性質的にきわめて難しかった。と言うか、直接的には不可能だった。
そう前回分かっていたため、彼女は今回の準備期間において、周囲にいる人間の感覚や感情を計測することによってネメシスの発生を検知する魔動器を作り上げていた。
ただし、今彼女が持っているものがそれではない。
さすがに遠隔地の観測を行うことまではできないので、各地に散らばっているゼフュレクスにそれを携帯させ、手にした魔動器に結果を転送させているのだ。
「比較的近いわよ」
「なら、一先ずそこに向かおう」
「ああ、俺達が行けば何か新しい情報が得られるかもしれないからな」
スケレトスの提案に頷き、そうして『雄也』達は彼と共に現場付近へと転移した。
それから急ぎ、ネメシスの元へと駆ける。
すると、当然ながら治療薬によって耐性を得た者達がそれと対峙していた。
この時間軸においても既に何体か討伐されているネメシスは、恐らく末端の彼らと同程度の力を有している。認識歪曲の影響もあって、一対一ではまずネメシスが有利だろう。
しかし、集団で対応すれば十二分に勝ち目はある。
あの認識歪曲の歪な感覚に囚われて恐慌をきたさない限りは、一人の犠牲者も出すことなく済ませることができるはずだ。
いざ目の前に来ると手を出したくなるが、そう心に言い聞かせて様子を見る。
下手に刺激して、前回のようにネメシスが強化されては目も当てられない。
「何か喋ろうとしているみたいだぞ」
その気配を感じ取ったらしいスケレトスの言葉に、ネメシスへと意識を集中させる。
「愚カシキ人間共。自ラノ望ミニ反シ、女神ノ決定ニ抗ウナド愚ノ骨頂ダ。マシテヤ女神ヨリ賜リシ穏ヤカナリシ心ヲ捨テ去ルナド、度シ難イ」
と、『雄也』達が見守る中、集団から半ば嬲られるように攻撃を受け続けているネメシスが、機能低下したロボットのように半端に動きを鈍らせながら言った。
その声色もまた劣化したテープレコーダーのように歪んでいる。
「随分と偉そうな話し方をする奴だな。まるで人間というもの全てを格下に見ているかのようだ。一体、何様のつもりだ?」
距離はそれなりに離れているが、『雄也』達程の生命力があれば十分聞き取れる。
王族であるからかスケレトスはその口調について不愉快に思ったようだが、『雄也』達は一つの単語に強い引っかかりを覚えた。
女神。それが存在する可能性をウェーラは危惧していた。
そのことを知らず、また神など信じていないのか、スケレトスはスルーしていたが、少なくともネメシスの中では、それそのものかそれに準ずる何かが実在しているのだろう。
「人ハ安寧ノ中ニ生キルベキデアリ、何ヨリソレコソガ大多数ニトッテノ幸福デアル。事実トシテ、ソノ数多クノ願イガ女神ヲ目覚メサセタノダカラ」
更にネメシスは言葉を発し続ける。
が、前線に立つ者達にとっては、そんなものに意識を割いている余裕はないようだ。
ネメシスの言葉など意に介さず、淡々と攻撃を繰り返す。
「頑ナニ慈悲ヲ拒絶スルノデアレバ、イズレ神罰ガ下ルト心セヨ」
やがてネメシスは虚無の気配を維持することができなくなったかのように暗黒の輪郭を歪ませ、その言葉を最後に消失してしまった。
それを確認し、今正にネメシスと戦っていた彼らは撤収を始める。
その様子を眺めながら、『雄也』はネメシスの言葉を頭の中で反芻した。
共に留まるウェーラやスケレトスもまた、各々その意味するところを考えているようだ。
「ちょっと聞き取り辛かったけど、あの症状が発現したり、ネメシスみたいな存在が現れ出したりしたのは俺達、いや、人類のせいってことなのか?」
少しの沈黙の後、『雄也』は腕を組んで首を僅かに傾げながら言った。
耳にした内容を単純に並べると、そんな推測が立つが……。
「結論を急ぐべきじゃないわ。たった一体の敵の言葉を鵜呑みにすることはできないし」
ウェーラは難しい顔をして自身の判断を示した。
確かに今回だけの内容で決めつけるのは早計か。
現場の人間が、これまでのネメシスの発言の記録を取っていてくれればいいのだが……。
今日の様子を見る限りでは望み薄か。
となれば自らの手で、あれらの発言を調べなければならない。
「……けど、神罰ってのが気になるわ」
彼女はつけ加えるようにそう呟くと、再び己の思考の中に戻った。
「神罰、か」
神が実在するのなら、そうしたものが存在しても不思議ではない。
それこそネメシスの名もそれを揶揄するように名づけたものでもある。
(神罰があるとしたら、ネメシスとかあの症状のことだと思ってたけど……)
ネメシスはこれから新たに下るかの如き言い方をしていた。
これは新たな懸念事項と言える。
いや、勿論、漠然としたものにせよ、そうした不安は抱いていたが。
しかし、これ以上ここにいても更なる情報は得られない。
「いずれにせよ、まだ一段落とはいかないようだな」
だから、『雄也』達はスケレトスの言葉を区切りに、一先ずその場を離れたのだった。
それからネメシスの発言内容について調査を開始したのだが、最初に耳にした言葉以上の情報は長らく得られなかった。
あれらの排除については特に問題なく、犠牲者もなく安定して行うことができていたが。
そうして大きな変化もないまま十数日が経過したある日。
「神ヲ恐レヌ不届キ者、許スマジ。モハヤ我等モ恭順ヲ求メハシナイ。全人類ノ安寧ノタメ、早急ニ滅ビルガイイ」
最後通牒を突きつけるように、ネメシスは新たな言葉を発し始めた。
更に、防衛主体という感じだった戦い方が明らかに変化し、相手を殺しても厭わないというようなものになっている。
(完全に方針転換してるな)
進化の因子の減少と人格の破壊によって行動を支配し、平和を強要する。
それが叶わないとなったために、排除に転じた訳だ。
とは言え、この時間軸でこれまでネメシスを討伐してきた者の実力的に、あれらが命を奪わんとしてきても、被害なく返り討ちにすることは十分に可能だ。
「馬鹿ナ」
しかし、これはネメシスにとって予想外のことだったらしい。
戦力を比較すれば当然の結果だが、恐らくそうした状況を把握する機能を有していないのだろう。馬鹿の一つ覚えのように、戦力を逐次投入していた辺りも機械的だった。
「マサカ、コレ程急激ナ変化ガ起コルトハ。余リニ危険ダ」
だが、容易く討伐されてしまったそれらはここに至って驚愕を滲ませながら、そうした言葉を吐いた。感情がないかの如き態度を崩して。
「モハヤ、我等ノ手ニ終エン」
そして事実上の降参宣言のような発言を最後に、ネメシスは言葉を発しなくなった。
発生し、集団によって討伐される。
ルーチンワークのように淡々と繰り返される日々が続き……。
「な、何だっ!?」
唐突に。本当に唐突に。その時は現れた。
この世界全てを束ねたような膨大な魔力。何故か強い既知感のある気配と共に。
位置は『雄也』とウェーラから見て、この星のほぼ裏側。
通常なら探知できない距離だ。
勿論、『雄也』達の探知能力が突然向上した訳ではない。
ゼフュレクスに中継させた訳でもない。
にもかかわらず、ハッキリと位置が分かる。
「ユウヤ、とにかく
ウェーラの言葉に頷き、即座に転移しようとする。しかし――。
「え? 消えた?」
次の瞬間、まるで白昼夢だったかのようにその気配は霧散してしまった。
「と、とりあえず行きましょ?」
それでも状況は把握しなければならない。急ぎ現場へと向かう。
すると、同じように気配を感じ取ったのか、あの六人の姿もあった。
「来たか、ウェーラ、ユウヤ」
到着した『雄也』達に、最初に反応したのはスケレトス。その声色は硬い。
表情もまた険しく、それは他の五人もまた同様だった。
ただ、ラケルトゥスとコルウスについては意味合いが違うように感じられる。
「一体、何があったんだ?」
ただならぬ雰囲気を感じ、『雄也』は六人を見回しながら問うた。
「それは…………ともかくウェーラ。まずラケルトゥスとコルウスの体を検査してくれ」
説明しにくいことなのか、スケレトスはそう言葉を返した。
「分かったわ」
そうしなければ話が進まないと判断してか、ウェーラはスケレトスの要請に頷くとラケルトゥスとコルウスに近づいた。
それから魔動器を転移して、言われた通り二人の体を調べ始めると――。
「これはっ!?」
すぐに彼女は驚愕の声を上げた。
「進化の因子が、また減少してる!?」
「なっ!?」
更に続けられた言葉に『雄也』もまた驚き、目を見開いた。
それは間違いなく、長らく苦しめられてきたあの症状だ。
しかし、彼らは『雄也』から抽出し、培養した進化の因子を用いた治療薬によって完治していたはずだが……。
「この周辺にいてまだそれを保っているのは、実力で上から順に数名というところのようだ。検査はしていないが、他の者は言動があからさまに変わっていた」
「……さっきの気配が関係してるの?」
「そのようだ。ラケルトゥス、コルウス」
スケレトスはウェーラの問いに首肯すると、二人に説明を促した。
が、ラケルトゥスは苛立ちが募る余り、言葉を発する気にもなれないようだった。
「全く以って突然のことでした。ネメシスの発生に際し、ワタクシは身を隠しながら状況を監視していたのですが……」
代わりにコルウスがやや曖昧な物言いで答える。
諜報のため、あの気配が発生した正にその時に
タイミングが悪いとしか言いようがない。
その彼は少し間を置いてから言葉を続けた。
「突如としてアレが現れたのです」
「アレ?」
「何と言えばいいのか……人智を超えた存在としか言いようがないものでした」
抽象的な内容にウェーラと顔を見合わせ、それから『雄也』は問いかけるようにラケルトゥスを見た。
数少ない証人なのだから、少しは情報を出して欲しいところだが……。
「後は声が聞こえたぐらいですね」
やはりラケルトゥスは黙して語らず、コルウスがつけ加える。
「声?」
「はい。ほとんど聞き取れませんでしたが……」
「…………女神アリュシーダを名乗っていたことだけは確かだ」
引き継ぐように、ようやくラケルトゥスが口を開く。
「本物か騙りかは分からんがな」
あのようなものが現実に存在することを認めたくないかのように、怒りや苛立ち、屈辱が綯い交ぜになった声で吐き捨てるラケルトゥス。
この口調も、それまでの態度も全て、現生人類の頂点の一人だった自負を完膚なきまでに打ち砕かれた故の反応だったのだろう。
「騙りだとしても、あれ程の気配。只者ではありませんね」
多少の温度差はあれど、ビブロスが深刻に呟く。
本物かどうかは差し置いて、ウェーラの予測通り黒幕がいたことは間違いない。
それがあれだけの力を有しているという前提で、今後を考えなくてはならない。
「けど、さすがにあれは手に負えないわねえ」
さしものパラエナでも、あの強大な力を前にいつもの調子ではいられないようだ。
しかし、正直同意見だ。
力の差が大きく、出現パターンも分からない現状では唐突に詰みかねない。
『ウェーラ、時間跳躍した方がいいんじゃないか?』
だから『雄也』はそう判断してウェーラに問いかけた。当然ながら時間跳躍に関してはゼフュレクスにも明かしていないことなので、〈テレパス〉を用いて。
『……情報が余りにも少な過ぎるわ。今、このタイミングで時間跳躍しても同じことを繰り返すだけよ。もう少し情報収集してからじゃないと』
『それは……そう、かもな』
彼女の言い分ももっともだ。進展のない繰り返しに意味はない。
今すぐに時間跳躍したとしても、いずれリスクを背負わなければならなくなる。
そう考えると、今回で可能な限り情報を集めておいた方がいいかもしれない。
「ラケルトゥスとコルウスの症状は、治療薬での改善は不可能なのか?」
と、ウェーラとの〈テレパス〉の途中、リュカが問いかけてくる。
「恐らく、今までのものだと難しいでしょうね」
現行の治療薬の効果を打ち消された現状、ウェーラの言う通り、可能性は低い。
「でも、とにかく対策は考えるわ」
時間跳躍の是非はともかく、それは行わなければならないことだ。
「……早急に頼む」
こればかりは死活問題故に、ラケルトゥスもプライドをかなぐり捨てて頭を下げる。
それだけに彼の言葉は重々しく響いた。
「ええ。任せて」
そうしてウェーラの返答を最後に、その場は一先ず解散となり――。
「とりあえず調べられるところは調べましょ?」
六人が去った後、『雄也』達は結局時間跳躍を行わず、まずは手がかりを探るために女神アリュシーダを名乗る存在が出現した中心地点へと向かったのだった。
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