③デッドエンド

 目に映る自分自身の姿を前に、雄也は動揺せずにはいられなかった。


(幻覚、か?)


 それは真正面に確かな存在感を伴って在るが、そう疑わずにはいられない程だ。

 だが、顔の認識を妨げて微妙に誤魔化す程度ならともかく、視覚に直接作用して映像を差し替えるレベルの精神干渉など、もはや互いに通用するはずがない。

 だからこそ認識妨害も維持が難しくなり、ここに至って正体を現したとも言える。

 決して幻覚ではない。


(けど……)


 少なくともドクター・ワイルド程の力の持ち主なら、魔法の力で物理的に肉体を変化させる。即ち整形することも不可能ではないはずだ。

 視界の中にあるものだけで判断し、彼の言葉を真とすることはできない。

 かと言って、頭の中で考えを巡らしていても答えを出せるものでもない。


(何なんだ。この状況は)


 それでも、己のアイデンティティに関わりかねない事態故に、たとえ堂々巡りになろうとも思考を止めることは難しかった。

 それを打ち切るため、そして、この疑問を解消するためには、ドクター・ワイルドを問い質さなければならない。問い質さなければならないが……。


(……落ち着け)


 そうしようにも、ドクター・ワイルドに操られたツナギによって背中から拘束され、手で口を押さえつけられているが故に、言葉を発することはできない。

 疑問解消を妨げるその事実に加え、砕かれた仮面から突っ込まれたツナギの手を覆っている装甲の冷たさと圧迫感が、僅かに冷静さを取り戻させてくれた。

 この状況でも〈テレパス〉を用いれば、彼に問いかけることは可能だろう。

 だが、それであのドクター・ワイルドから意味のある答えが返ってくるかは怪しいところだし、こちら側で信じなければ無意味だ。

 何より、優先すべきはそれではない。


(今は体の回復に全ての魔力を向けるべきだ)


 たとえ起死回生のチャンスが巡ってきたとしても、最低限動けるようになっていなければ全てが無駄に終わってしまう。

 魔法の名を口に出せないせいで効果は大幅に減退しているが、それだけに無駄な魔力消費をする訳にはいかない。


(一応痛みは薄れてる。仮でも骨が繋がれば……)


 少しは動かすことができるようになるはずだ。

 もっとも痛みを感じなくなってきているのが魔法のおかげなのか、激痛を通り越して麻痺してしまっているのかは正直分からないが。


「動揺の余り、かえって冷静になった、というところか」


 そんな思考を巡らしていた雄也を前に、ドクター・ワイルドは見透かしたように言う。

 まだ何か語りたいことがありそうなのは好都合だ。

 少しでも長く回復の時間が欲しいところだし、彼が発する言葉は一つ一つが疑問を解消する手がかりでもある。


「まあ、的外れで無価値な冷静さだがな」


 雄也がそうこう考え続けている間にも、ドクター・ワイルドは更に続ける。

 どこか憐れむような口調と悟ったような態度で。

 その姿を見る限り、やはり自分と同一の存在とは到底思えない。

 だけでなく、ドクター・ワイルドと自分自身を無理矢理同一視しようとすると、強烈な生理的嫌悪感とでも言うべきものが湧き上がってくる。


(確かに俺と同じ顔、ではあるけど)


 自分こそが真実の六間雄也だなどと馬鹿げたことを抜かしていたが、できることなら声を荒げて妄言だと吐き捨てたい。

 実際、傲慢な言動もそうだが、そっくりな顔つきにしていても何かが違う。

 パーツの一つ一つは完全に同じだが、それこそ操られたツナギのように、別人が体に入り込んで使用しているような違和感が強い。しかも――。


(老いてる?)


 そう強く感じるぐらい、表情がくたびれていた。

 目の奥には怨嗟に近い負の感情が淀んでいるが。

 それ以外にこれまで見せてきた激情のほとんどは、マッドサイエンティストの如き言動と同じく演技に過ぎなかったのかもしれない。


(こんなのが、俺であるはずがない)


 いずれにせよ、こんな目をした男は赤の他人だ。

 そうでなければならない。


(……だけど)


 その辺りを証拠として偽物だと仮定しても、わざわざ雄也と同じ外見の肉体を用意して六間雄也を名乗る理由が全く分からない。

 すり替わる価値があるような地位を持つ訳でもないし、ドクター・ワイルドはそんなものを求めている訳ではないだろう。

 他に考えられるのは人間関係ぐらいのものだが、八割方この男のために既に失われてしまっている。残りの部分に彼が価値を感じるとも思えない。

 この期に及んで精神攻撃をしているということもないはずだ。

 それをしたいのなら、アイリス以外を雄也の目の届かないところで殺したりはしない。

 言っていて胸をかきむしりたくなるが、そちらの方が効果は大きい。


(今、こいつには嘘を言う理由なんて……)


 ないと言わざるを得ない。

 だが、それではドクター・ワイルドが真実を口にしているということになってしまう。

 それだけは認められない。否定しなければならない。


「お前の感情は手に取るように分かるぞ」


 と、静かに、理解を示すように告げるドクター・ワイルド。


「動揺からの一種の逃避として一度冷静さを取り戻した挙句、その思考で至った結論を信じることができず、結局は混乱の渦に立ち戻る。それの繰り返しだ」


 続けられた内容は今の雄也の状態を言い当てていた。

 それだけに頭に来る。分かったようなことばかり言われるのは癇に障るものだ。


「ここに辿り着いた俺は、いつも同じ反応をするな。ある意味、幼い時分の俺だ。懐かしさすら感じるが、若さ故の浅はかさを恥ずかしくも思う」


 睨みつける雄也を前に、彼は最後の部分を自虐気味につけ加えた。

 まるで老練な先駆者が己の過去の失敗を引き合いに出して諭すかのように。


(いつも? 同じ?)


 しかし雄也は、そうした雰囲気以上にその言い回しに強い違和感を抱いた。

 それではまるで、何度も何度もこの状況を繰り返しているかのようだ。


「お前ならば当然、今の言葉に引っかかりを覚えるだろうな」


 訝しむ気持ちが滲み出ていたらしい。

 ドクター・ワイルドは雄也を見てニヤリと笑った。

 正しく堂々巡りだが、そうした言動はやはり自分とかけ離れている。

 が、ドクター・ワイルドの言葉から新たに示された要素を基に予測した事態が正しければ、性格や態度が変わるのもあり得る話なのかもしれない。

 それ程の年月を、実際に重ねているというのであれば。


「お前の考えている通りだ。細かいところは、まあ、お互い特撮オタクだ。言わなくとも分かるだろう? ブレイブアサルトシリーズのいくつかにはループものもあったしな」


 そしてドクター・ワイルドは、続けて本来ならば説明になっていない説明をする。

 この世界アリュシーダに元から住まう人間であれば誰であれ、首を傾げることだろう。

 だが、少なくとも雄也には、それだけで大まかなところを理解できてしまった。

 オタクならではの種明かしの仕方と言うべきか。


(ループ、もの……)


 それはタイムトラベルの一種で、同じ期間を何度も繰り返す類の物語のジャンルだ。

 彼の言う通り、ブレイブアサルトシリーズの中でも、ギミックとして使用されていたこともある。特撮以外でも流行ったり、廃れたりを繰り返している。

 それ自体がループしているかのように。

 しかし、自分自身が生きる世界を物語の定型に当てはめて語られるのは、甚だ不快だ。

 不愉快というよりも、ひたすら気持ち悪い。

 何より、こんな風に話が通じてしまうことが、彼の語る言葉の全てが紛うことなき真実であると証明しているかのようで。


(それでも……)


 信じることはできない。

 いや、信じたくないのだ。

 アイリス達を死に至らしめ、多くの人々の人格を単なる道具として扱ったこの男が己と同一の存在などとは決して認めたくない。

 だから、雄也は否定できる理屈を必死に探し――。


(そうだ。あの始まりの日。こいつは俺の記憶を読んだじゃないか)


 果ては、異世界に転移した始まりの日の夜のことを記憶の底から引っ張り出してきた。

 MPドライバーとそれによって変身した後の姿は雄也の記憶を参考にして作った、とは彼自身が語っていたことだ。


「次の逃避の理屈は『俺の頭の中を覗いたから、元の世界や特撮の知識がある』か? 本当に、ワンパターンにも程がある」


 と、それこそ思考を読んだように言うドクター・ワイルド。


この世界アリュシーダで唯一俺の話を理解できるお前が、理解と拒絶の狭間で揺れ動く姿を見ることだけが、俺の孤独を癒やしてくれるものでもある。が、いい加減飽きてきた」


 彼はそう続けると、更に「いや、とっくの昔から飽き飽きしているがな」とつけ加えた。

 それでも尚、自己顕示欲の強い悪党が慢心して行うような真似をしていた辺り、自ら語った理由が彼の中で大きなウェイトを占めていたのかもしれない。

 確かにループものの当事者ともなれば、周りとのずれが大きくなって自ずと孤独になっていくものだろう。

 もっとも、彼が真実を語っているかなど分かりはしないが。


「全く、たまには新鮮なリアクションをして欲しいものだ」


 そしてドクター・ワイルドは、やれやれと言いたげに軽く嘆息する。

 が、雄也の心情以前に拘束されていては取れる反応など高が知れている。

 どの口が言うかと苛立つと共に、その状況を甘んじて受けている自分自身にも腹が立つ。

 それでも今できることは、ひたすら耐えて負傷を癒やすことだけだ。


「俺は事実だけを告げる。これもまた一つの様式美だからな。策を弄するものは策を語りたくなる。この世界アリュシーダに来てから理解できたことだ。非効率ではあるが」


 彼は一方的に話し続ける。

 理屈ではないのだろう。

 いや、理屈ならぬ部分を含めた理屈なのだ。

 結果としては、そうすることが彼にとっての最高効率となる訳だから。

 ループに耐えるための精神安定。

 機械ではない、感情のある人間である以上、必要なファクターではある。


「俺の目的は前にも言った通り、女神アリュシーダの抹殺。だが、彼我の戦力差は余りに大きい。敵は曲がりなりにも神だからな」


 曲がりなりにもも何も、この世界アリュシーダで他に神の名を聞いたことはない。

 世界の名をも冠する唯一の神だ。

 現時点でドクター・ワイルドを超えている雄也でも、己の命を犠牲に雄也以上の力を持ったツナギにしても、倒せるようには思えないが……。


「故に俺はウェーラが開発した時間跳躍魔法で、奴を殺せる力を得ようとしてきた訳だ」


 ウェーラ。千年前の偉大な魔法技師。

 時間跳躍など正直眉唾だが、アテウスの塔を作り、その力を以って空間転移魔法を生み出したと謳われていることを考えるとあり得るのかもしれない。


「何度も繰り返してきた。何も知らないお前にMPドライバーを与え、力を蓄えさせ、そして、その体を奪う。そうやって俺は力を増してきた」


 とりあえず内容は理解できたが、疑問が生じる。

 進化の因子があれば、無限に強くなることが可能なはずだ。

 そんなことをせずとも、一人で黙々と鍛錬を積めばいい話ではないか。


「人は老いる。お前も俺も。千年、魔法の力で何とか延命してきたが、次の千年は無理だっただろう。何より女神アリュシーダの力によって、進化の因子の効果は大幅に減退してしまった。MPドライバーを使用しなければ、成長速度は微々たるものだ」


 雄也がどのタイミングでどう疑問に思うか完全に把握しているという己の主張を尚も証明するように、彼は言外の疑問にも即座に答えを口にする。


「その成長速度もMPドライバーの質次第で変わる。質を上げるには強大な魔力が必要となる。だから、MPドライバーを改良し、適宜つけかえていかなければならないが……」


 そこまで一気に言うと、ドクター・ワイルドは少し間を取ってから続けた。


「新たに作ったMPドライバーを俺自身の体で試す訳にはいかない。失敗したら、その時点で全てが灰燼と帰すからな」


 言っていることは分からなくもない。が、何ら逡巡する様子もなく他者に負担を強いる様は、完全に人の道を外れているとしか言えない。

 自ずと険しい顔が更に険しくなるが、その反応も承知しているだろう彼は、しかし、淡々と言葉を続けるばかりだ。


「体を奪うだけなら、この世界の人間もどきでも構わないが、進化の因子を失ったあれらは不適当。かと言って、異世界から別の人間を呼び出すなど信条に反する。進化の因子を持つ正しき人間を犠牲にすることはできない」


 人間の自由を奪う者を許さない。

 そうした雄也の信条の片鱗が見て取れる。だが……。


「前に言っただろう? 俺にだけはお前を自由に扱う資格があると。自分自身をどう扱おうが、俺の信条には反しない」


(……詭弁だ。それは)


 都合のいい言い分に、心の中で吐き捨てる。

 この世界の人々を人間として認めないことだけではない。

 たとえ彼の言葉が真実で、大元の存在が同じだったとしても、この男は自分とは違う。

 しかし、その論は届かないのだろう。

 雄也が頑ななように、この男もまた頑ななのだ。もはや生き方を変えられない程に。


「さて、そろそろ終わりとしようか」


 と、ドクター・ワイルドはそう言うと、一歩近づいてきた。


「最後に、何か言いたいことはあるか?」


 直後、何を思ったか口を塞ぐツナギの手を離す。

 起死回生のチャンス。そう思うが、まだ体が動かない。


「お前は俺じゃない。この世界の人々は、人間だ。他人の自由を害しない限り、自由を奪う真似は許されない!」


 相手が聞く耳を持たないことは承知の上で、回復の時間稼ぎのために声を荒げる。


「お前は千年前、人々が進化の因子を女神アリュシーダに奪われ、変質していく様を見ていない。だから、そんなことが言える」


 対して彼は、予め用意してあった答えを告げるように返してきた。


「残念だが、時間稼ぎをしても意味はない。つらつらと己の目的や策を語って逆転される。そんな展開を特撮番組でお前もよく見てきたはずだ」

「それは……」

「無論、お前である俺もそうだ。その俺が、逆転の余地を残したまま、こうして話をしている訳がないだろう。どうだ? 回復魔法が効いている気配はあるか?」


 ギクリとしながら己の体に意識を向ける。

 発声できなかったとは言え、あれだけ回復に魔力を注いだにもかかわらず、全く改善している感じがない。


「まさかっ!」

「ツナギのMPドライバーには周囲の魔力を吸収する機能がある。通常ならば微々たるものだが、今の暴走状態ならば回復を妨げることぐらい容易い」


 彼は肯定するように言うと、更に一歩近づいてきた。


「強さの計算も誤りはない。たとえ誤りがあったとしても、その時は時間跳躍を行えばいいだけのことだ。番狂わせは、ない」


 そして雄也の目前に立ち、手を伸ばしてくるドクター・ワイルド。


「ま、待て」


 ここに来て、ようやく雄也は完全に今までと状況が違うことに気がついた。

 いや、目を背けることができなくなったと言うべきか。

 魔力もなく、いつも助けてくれた仲間も既にない。

 抗う意思はあるものの、理屈でそうしなければならないと考えているだけで、心の奥底から湧き上がってこない。


「ツナギ、魔力を渡せ」


 そんな雄也の抑止など、彼に通用するはずもない。

 その言葉を合図に、掌に強大な魔力が集まると共に口元を鷲掴みにされてしまう。


「ん、ぐ、ううっ」


 直後、顎を砕かれんばかりに力を込められ――。


「〈オーバーブレインクラッシュ〉」


 雄也の意識は呆気なく途絶えてしまった。

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