④限界点

 あれから更に三週間。アイリスの呪いが進行した日から数えれば一ヶ月以上。

 瞬く間に時間は過ぎてしまった。

 やはりドクター・ワイルドからの干渉はなく、何の解決もないままに。

 短くない時が経った証拠に肌寒さを感じるようになり、冬の気配を意識すると何かを暗示しているような気がして陰鬱な気持ちになる。

 現在の魔力吸石の回収量は五割強というところ。

 にもかかわらず、アイリスの食欲は減退の一途を辿るばかり。

 挙句、体にまで明らかな変調が出る始末だった。

 今や体を思うように動かせなくなり、起き上がって歩ける時間もほとんどない程。

 そんな状態では唯一の趣味とも言える料理もできるはずがなく、身動きがままならないことも相まって、彼女はストレスで精神的に大きく疲弊してしまっていた。


「アイリス……」


 ベッドに横たわる彼女を前にして、雄也は傍らの床に膝を突いてその手を取った。

 しかし、生命力の乱れを示すように握り返してくる力は弱々しい。

 生命力の高さの反動か、体に影響が出てからは一気に衰弱している気がする。

 アイリスは雄也の言葉に応じて文字を浮かべ始めたが、空中に並べられたそれは幼い子供が書いたように拙いものだった。

 位置も上下にずれている。


【ユウヤの手、温かい】


 彼女はそう綴って小さな笑みを浮かべると、握る手に力を更に込めようとしたようだった。が、やはり変化は微かなもので、力強さは全くない。

 加えて、浮かべられた文の通り、雄也の手が温かく感じられる程に彼女の手は冷えていた。命の熱が失われているかのように。


「ごめん。こんなにも苦しい思いをさせて」


 そんな様子に居た堪れなくて、己に憤りながら言う。


「俺が――」

【巻き込んだからは、なしって前に言った】


 アイリスは雄也の言葉を遮って文字を改め、それから【正確には『言った』じゃなくて『書いた』だけれど】と悪戯っぽくも力のない笑みと共に訂正を追加した。


【ともかく、私の気持ちは前に伝えた通りだから】


 大事なことだと主張するように、今度はちゃんと雄也の手を握り締めてくるアイリス。

 普段よりもやや弱いぐらいの力加減だが、今の彼女にとってはほとんど全力だろう。

 強い想いが伝わってくる。


【繰り返しになるけれど、私は私の意思でこうしてるだけ。こうなってる責任は私にもあるし、諸悪の根源はドクター・ワイルド】


 更に彼女はそう長文を紡ぐが、自身の体の不調に集中力を乱されてか辛そうだ。

 表情には出さないように努めているようだが、目元の僅かな動きで分かる。

 文字の乱れも小さくない。

 握られた手に感じる力もすぐに霧散してしまう。

 それを意識してしまうと、尚のこと彼女の言葉を否定して自分を責めたくなる。

 が、今この場で無駄な問答を続けて彼女の負担を増やすのは避けたい。


「そう……だな。一番悪いのはドクター・ワイルドだ」


 だから雄也はそう答えるに留めた。

 とは言え、スケープゴートにしている感があって気分は悪い。

 たとえ事実として敵であり、唾棄すべき存在であっても。


「…………アイリス、何かして欲しいことはあるか?」


 雄也はそうした感覚を打ち消そうと、そう咄嗟に問いかけた。

 言葉での慰撫ができないのなら、行動で償いができないものかと。


「俺にできることなら何でもするぞ」

【そんなこと言われると、何だか私、死んじゃうみたい】


 雄也の問いに応じてアイリスが浮かべた文章に、思わず息を呑む。

 彼女には伝えていないが、まだラディアの案が残っている。

 だから、その結末に至ることはないはずなのに、口から出たのはそれを前提にしたように聞こえてもおかしくない言葉だった。

 実際、ラディアの魔力吸石を摘出して使うという最後の手段も失敗に終わるではないか、という危惧が時間と共に肥大化し、雄也の頭の片隅には最悪の結果が常に淀んでいた。

 ドクター・ワイルドが別のルールを持ち出す可能性も、十二分にあるのだから。

 故に、そうした考えが半ば反射的だった言葉に滲み出てしまったのだろう。


「そ、そんな訳ないだろ? 俺達が必ず呪いを解いて見せるからさ」


 そんな最悪に最悪を重ねた予測を彼女に気取られないように即座に否定するが、それを自分でも信じ切れずに僅かにどもってしまう。


【ん。信じてる】


 それに対してアイリスは、雄也の動揺に気づかない振りをしているのか、それとも本心からそう思っているのか、そう返してきた。あるいは両方、半々かもしれないが。

 いずれにせよ、その文は胸に重くのしかかる。


【けれど折角だし、甘えさせて貰うのもいいかもしれない】


 と、居た堪れなくなった雄也に救いの手を差し伸べるように、彼女は文字を改めた。


「何か、して欲しいことがあるのか?」


 雄也はそれを、胸の内の淀みから目を背けて会話を続けるための材料にして尋ねた。


【して欲しいことはたくさんある】

「どんな?」


 たとえ無茶振りをされても必ず叶えようと意気込むように、少し身を乗り出して問う。

 相変わらず文字は普段よりも上下左右にずれているが、それでも会話を遮って休ませて欲しいとは綴らない辺り、強い望みがあるのだと思ったから。


【少しの間、ギュッとして欲しい】

「そ……それだけでいいのか?」


 普段のマイペースな彼女を考えれば、もっと大胆なお願いをしてきそうなものだったので少し拍子抜けしてしまう。


【本当は色々あるけれど、それは約束を果たしてからじゃないと】


 そんな雄也の様子にアイリスは、ややぎこちない微苦笑を浮かべながら答えた。

 約束。呪いが解けたら気持ちを言葉で伝える。

 その上での望みとなれば、それこそ箍が外れたように過激なものになりかねない。

 ……呪いが解ければ、の話だが。


「約束を果たしたら、か。一体何を要求されるのか、少し怖いな」


 雄也はネガティブな考えを追い払おうと、意識的におどけたように肩を竦めて言った。


【楽しみにしてて】


 それを受けてアイリスもまた含み笑いをするようにしながら応じ――。


【けれど、今は】


 しかし彼女は、一転して頼りなさげな上目遣いをしながら文字を改めた。

 その様子を見る限り、少なくとも今この場においては、先程のお願いこそが何よりもアイリスが望んでいるものなのだろう。


「分かった」


 だから雄也は彼女の目を真っ直ぐに見詰めながら頷いて、その背中に手を入れて上半身を引き起こしながら抱き締めた。

 対してアイリスは自分が望んだことながら体に力を入れられないのか、雄也の背中に腕を回したりもせずに完全にされるがまま。一方的な抱擁になる。


「大丈夫か?」


 長く会話して疲れてしまったのではないか。無理をしているのではないか。

 心配して問いかけると、アイリスは答えの代わりに弱い力ながら抱き締め返してきた。


【一方的なのも悪くない。強く求められてるみたいで】


 目の前に浮かんだ文字を見る限り、どうやらわざとそうしなかったらしい。

 余り焦らせないで欲しいが、まあ、言いたいことは分からないでもない。

 もっとも、それで喜ばれるのは、あくまでも気がある相手にそうされた場合だけだろうが。

 そうしてしばらく抱き締め合っていると、アイリスは雄也の服を少し強く掴んで顔を胸元に押しつけてきた。


「アイリス?」


 その変化に問い気味に呼びかけ、しかし、すぐにハッと気づく。

 彼女が僅かに震えていることに。


(そう……だよな)


 マイペースな素振りを見せてはいるものの、体調が急激に悪化していくのを自覚し続けていて何も感じない訳がない。

 食べることができれば問題は解決するというのに、だからこそ自分の意思に反して体が受けつけないことにも強い苛立ちを抱いているだろう。

 そうした袋小路に入り込んだような状況の中で、尚且つ己の死がじわじわと近づいてくる感覚に苛まれていれば、僅かたりとも恐怖を感じないということはあり得ない。

 如何に生命力や魔力が突出していても、アイリスも内面は普通の女の子なのだから。


(アイリス……)


 そんな姿を目の当たりにしてしまえば、雄也の中の罪悪感も一層膨らむというものだ。

 しかし、彼女にそれを悟らせる訳にはいかない。

 これ以上余計なものを背負わせたくはない。

 ただでさえ、彼女のマイペースさに甘えているような状態だったのだから。

 だから、雄也は黙って彼女を抱き締める力を強めた。


【ユウヤ、ちょっと痛い】

「ご、ごめん」


 と、アイリスにそんな文字を浮かべさせてしまい、焦り気味に謝る。

 どうやら気持ちがこもり過ぎてしまったようだ。


【別にいい。ユウヤが私を想ってくれてるのが分かるから】


 彼女はそうフォローしてくれるが、さすがに少し力は弱める。

 そのまま更に短くない間、互いの存在を感じ合い――。


【ありがとう。ユウヤ】


 アイリスの感謝を合図に雄也は体を離した。


「もういいのか?」

【ん。十分。ユウヤもそろそろ行かないと、でしょ?】


 確かにもうすぐディノスプレンドルが復活する頃だ。


「そう、だな」


 アイリスの傍にもいたいが、魔力吸石集めを諦めることは彼女に対する裏切りだ。

 ラディアに対する不義理でもある。

 だから、彼女の問いかけに頷いて立ち上がる。


【行ってらっしゃい】

「ああ。行ってくる」


 そして、そう言葉を交わして雄也は彼女の部屋を出た。


(せめて精神干渉が使えれば……)


 扉の前で一度振り返り、彼女の震えを思い出して奥歯を噛み締めながら思う。

 数日前、雄也は双子の発案を受けて、呪いによって失われた感覚を精神干渉によって誤魔化すことはできないものかと試みていた。

 しかし、結果はお察し。闘争ゲームの内容を考えれば当然と言うべきか、呪いの元凶たる魔法〈ヘキサカース〉に弾かれ、それも叶わなかった。

 正直そうなる予測はしていた。

 が、他に代償のない手立てもなく、正に藁にも縋るような思いだったため、失敗に終わったショックは大きかった。


(メルとクリアも、完全に閉じこもってるしな……)


 根を詰め過ぎるなとは言っているものの、状況が状況だけに難しいだろう。

 アイリスの状況が改善されなければ、雄也の言葉すら届かなそうだ。

 ラディアやフォーティア、プルトナも個々で動いているため、アイリス以外とは余り顔を合わせていないような気もする。


「……行くか」


 そうした全体的に陰鬱な空気を振り払うように声を出し、雄也はその場から歩き出した。

 いずれにせよ、自分が今すべきことは僅かでも魔力吸石を確保することだ。

 だから、余計なことは考えないようにルーチンワークの如く家を出て、翼人プテラントロープ形態に変身し、そのまま光の大森林へと全速力で空を翔けていく。

 思い切り飛べば多少は気も紛れようというものだ。


(…………って、早かったか)


 しかし、少々速度を出し過ぎて、普段よりも時間をかけずに目的のポイントに到達してしまったようだった。

 まだディノスプレンドルの姿はない。

 濃い光属性の魔力が目の前の空間に集まっているところを見る限り、もう少しで発生するはずではあるが。


(……さっさと出てこい)


 折角全力で飛行してネガティブな感情を散らしたというのに、僅かたりとも待ち時間があると再び胸の中に重苦しい感情が沸き起こってしまう。


(さっさと――)


 そうして何もかもうまくことが運ばない事態への苛立ちをぶつけるように魔力の気配を睨みつけていると、ようやく変化が訪れた。

 まず魔力吸石と思しき核が生じ、そこを中心に魔物が形作られていく。


《Convergence》


 平時ならば興味深い光景かもしれない。

 しかし、今は感慨も何もない。淡々と魔力を収束させる。

 そして、ディノスプレンドルが完成し、活動を開始しようとした直後――。


《Final Arts Assault》

「ヴァーダントアサルトブラスト」


 ほぼ同時に新緑の輝きと共に蹴りを叩き込み、一撃で倒し切る。

 一秒たりともまともにこの世界に存在できなかった今回のそれには悪いが、こちらも気にしている余裕はない。


《Now Absorbing……Complete. Current Value of Light 54.254%》


 電子音が示す通り、未だ魔力吸石の収集量は必要量の半分と少しでしかないのだから。


「くそっ!」


 そんな現状を改めて突きつけられ、思わず悪態が出る。

 だが、そうしたから事態が改善される訳でもなし、意味のない行動だと自戒する。


「…………はああ」


 そして雄也はアイリスの傍に戻る前に、己の心を落ち着けようと大きく深呼吸した。


(……帰ろう)


 それから更に一度小さく嘆息し、家に帰るために魔法を発動しようと魔力を励起させる。

 そのまま地面から離れ、一気に飛び去ろうとした正にその瞬間――。


「無様な」


 突然侮蔑の色濃い言葉を投げつけられ、雄也は警戒と共に声の方向を見た。

 そこにいたのは狼の如き特徴と女性的な起伏を持った人間。真獣人ハイテリオントロープ

 六大英雄が一人。リュカだった。


「こんなことでは闘争ゲームはやり直しではないか」


 彼女は脈絡もなく身勝手な苛立ちをぶつけてくる。

 そんな真似をされた身としては、普通なら怒りも抱こうものだ。

 しかし、今この場においては話は別。

 雄也は新緑の仮面の下で、思わず口の端を吊り上げていた。

 八方塞ような状況の中で、唐突に変化が訪れたのだから。


(こいつらが干渉してきたってことは……)


 事態を打破できる何かが、まだ存在しているのかもしれない。

 たとえそうでなくとも、ここでこの敵を叩き潰せれば僅かなりとも留飲が下がる。

 だから、雄也はいつになく戦意を滾らせて、敵対的な構えを取りながら真獣人ハイテリオントロープリュカを睨みつけたのだった。

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