②果たすべき務めの果てに

 眼前には壁に背中を預け、全く動く様子のない魔人王テュシウスの姿。

 雄也は警戒を強めつつ、その近くへと歩み寄った。プルトナに支えられながら。

 彼女は雄也に肩を貸しつつ、気丈にも銃口を逸らさずにいる。

 そんなプルトナを気遣うように、いつの間にか雄也達の傍に来ていたアイリスは彼女の背中に手を置いていた。

 普段は色々と粗雑な扱いをしているが、曲がりなりにも幼馴染というところか。


(……にしても静かだ。静か過ぎる)


 少しの間の沈黙。警戒は緩めない。だが、何も起きない。

 そうこうしている内に、魔人王テュシウスから何かが抜け落ちる気配がした。


(っ! 体を縛る魔力がなくなった?)


 それに伴って、プルトナに頼らずとも自らの足で立つことができるようになる。

 彼の体から零れ落ちたのは、あるいは生命力の最後の一欠片だったのかもしれない。


「あ……」


 その意味に気づいたのか、プルトナが呆けたような声を出す。無意識の行動か、銃から手を離して一歩前に出る。と、その直後――。


『我が暴挙を止めし者よ。感謝する』


 初めて聞く男の声が亡骸となったはずの彼の体から発せられ、謁見の間に響き渡った。


「お、お父様?」


 戸惑ったようにプルトナが目を見開く。


『だが、速やかにこの場を離れるのだ』

「これは……〈リヴァーバレーション〉?」

「何だ? それ」


 雄也が疑問を口にすると、アイリスがその問いに答えるように文字を作り始めた。


【確か、自分自身の死を鍵に、己の肉体に特定の行動を起こさせる特殊な闇属性魔法だったはず。もっとも言葉を発するぐらいのことしかできないはずだけれど】

「……遺言、か。けど、この場を離れろって、どういうことだ?」

【分からない】


 アイリスと二人、小さく首を傾げ合う。と――。


「二人共、お父様の言葉通りに!」


 プルトナが焦ったように雄也とアイリスの手を取った。そのまま彼女は二人を謁見の間の出口へと引っ張っていこうとする。

 が、突然のことに雄也達は、思わずその場に踏み止まってしまった。


「プ、プルトナ、どうしたんだ?」


 そして、困惑気味に尋ねる。


「幼い頃から、王の〈リヴァーバレーション〉による言葉には必ず従うようにと言い聞かせられてきたのですわ。何より、お父様の最後の意思です。無駄な言葉とは思えません」


(それは確かに。けど……)


 罠の可能性を否定し切れない。

 ドクター・ワイルドがそれを許していること自体が怪しい。

 一瞬の迷い。それを見透かしたように――。


『おおっと、折角闘争ゲームに勝利したのだ。もう少し余韻に浸っていくとよいのである。遺言もまだ残っているようであるしな』


 出入口と雄也達との間に、ドクター・ワイルドの虚像が生じた。


「やっぱり罠か」

『やはりとは失礼であるな。それより王の最後の言葉を聞かなくてよいのかな?』


 そう言って歪んだ笑みを見せる彼の姿に、むしろ罠の可能性を強めて僅かに後退りする。


『我が子供達よ』


 と、ドクター・ワイルドの言葉通り、再びテュシウスの声が聞こえてきた。


『最後まで王であろうとした父を許せ』


 それは遺言というより独白に近かった。

 自身の命を奪った者が既にこの場を離れた想定でのものだからだろう。


『だが、我は……私はお前達を愛している』

「お父様……」

『どうか、これからは王族の責務に囚われず、自由に生きてくれ』

「……え?」


 その言葉を最後にテュシウスの体が崩れ落ちていく。


「お父様、待って下さいませ! どういう意味――」


 プルトナの問いは、既に命の火の消え去った彼に届くはずもない。

 魔人王の肉体は灰となって崩れ去ってしまう。

 その中から黒く鈍く光る石が転がり落ち、雄也の足下に転がった。


(魔力吸石?)


 ほとんど反射的に、拳台の大きさのそれを拾い上げる。

 過剰進化オーバーイヴォルヴしなかったためか、あるいは普段とは違って爆散しなかったためか消失せずに済んだようだった。

 加えて、あの吸血ヴァンパイア鬼人ントロープが魔力特化の真超越人ハイイヴォルヴァーだったためだろう。日課の狩りで闇属性の魔物ラルウァファラクスから得た魔力吸石とは明らかに趣が違う。密度が高く重い。


「何故……何故、王の誇りを蔑ろにするようなことを?」


 そうやって雄也が魔力吸石に意識を取られている間にも、プルトナは自問を続けていた。


『悩まずとも、その答えはすぐに出るのである』


 呟くような彼女の言葉に応じ、ドクター・ワイルドが歪み狂った笑みを浮かべながら言う。それとほぼ同時に残された灰すらも完全にこの世から消滅した。

 正にその瞬間、謁見の間の中央に膨大な魔力が励起する。


「なっ!?」


 全員の視線が一点に集まる。

 その空間には亀裂が生じていた。

 まるで急激に発生した強大な力を前に、世界そのものが耐え切れなかったかのように。

 そして魔力の気配がさらに濃くなり、それに伴って空間の裂け目が大きくなっていく。

 やがてガラスが割れるような音と共に、宙に大穴が開いた。


「い、一体何が……」


 アイリスやプルトナを背中に隠しながら呟く。


「っ!!」


 直後、その穴の中から何かが現れ、広間の中央に降り立った。


(こ、これは……人間、なのか?)


 形状は確かに人の形をしている。しかし、そう疑問に思う程にその存在は異質だった。

 超越人イヴォルヴァーのように他の動物が混ざっているとか、そういうレベルですらない。

 言うなれば、それは闇の集合体。どす黒い靄が人間の形状を取っているだけのように見える。しかも、ゆらゆらと揺らいでおり、大枠として人型と判断できる程度だ。


「ハ、真魔人ハイサタナントロープ?」


 そんな存在を前に、プルトナが畏怖の滲んだ声を上げる。


『その通おおり! 真魔人ハイサタナントロープスケレトス。その名を聞いたことぐらいはあるのではないかな? フゥウーハハハハハッ!!』

「なっ!?」


 ドクター・ワイルドの言葉に目を見開いて絶句するプルトナ。

 雄也は彼女の反応の意味が分からず、アイリスに目線で問いかけた。


真魔人ハイサタナントロープスケレトス。前に話に出た六大英雄の一人。人間でありながら魔王の異名を持つ魔人サタナントロープの英雄】

「勇者ユスティアと女神を裏切って封印された千年前の英雄か!?」


 確認に近い問いに、アイリスが硬い表情と共に首肯する。


「それが、何で今ここで……」


 雄也はその答えに戸惑い呟きながら、静かに佇むだけのスケレトスを一瞥した。それから眉をひそめつつ、ドクター・ワイルドへと視線を移す。

 目が合った彼は一瞬ニヤリと笑うと、狂気で濁った瞳をプルトナに向けた。


魔人サタナントロープの小娘よ。貴様ならその意味、分かるのではないかな?』


 そして、彼は気色の悪い猫撫で声で彼女に問いかける。


「……あ」


 プルトナは一拍置いて呆けたように口を開いた。


「ま、まさ、か」


 次いで彼女は視線を激しく揺らし、声を震わせながら顔を青くする。

 その激しく動揺した様子を前に、ドクター・ワイルドは一層口角を上げた。


『六大英雄の封印の楔。真魔人ハイサタナントロープスケレトスのそれは、魔人王自身の命である』


 そう告げた彼の顔は、湧き上がる愉悦を堪え切れないかの如く歪んで禍々しい。


『この楔は魔人王が代々守り受け継いできたもの。故に、魔人王となる者は他国の王よりも強くあることが特に求められていた。魔星サタナステリ王国の王族が、殊更強者を婚姻相手とする掟に固執するのはそれが理由である』


 さらに続いた言葉にプルトナが体をビクリと震わせる。


『だが、真魔人ハイサタナントロープスケレトスが復活した今、もはや掟を守る意味は一片たりともなくなった。千年に渡る掟の束縛は消え去った。これで貴様は自由だ』

「ワ、ワタクシ、は……」


 畳みかけるようなドクター・ワイルドの言葉に、プルトナは呆然と首を横に振りながら一歩後退りした。現実を否定するように。

 しかし、生来の性格が逃避を許さないのか、目には理解の色と涙が浮かび始めていた。

 そんな彼女の姿を嘲笑うかのように、ドクター・ワイルドの口元の三日月が揺れる。


『連綿と続く掟。己を縛る誇り。その全てを自らの手で破壊した気分はどうだ?』

「あ、ああ……」


 ドクター・ワイルドの煽りに、プルトナは目を限界近くまで見開き、耳を塞ぐ。

 しかし、彼の声は〈テレパス〉によるものであるが故に、たとえ聴覚を潰そうとも防ぐことはできない。


『自らの手で得た自由だ。さぞ清々しいであろうなあ! フゥウーハハハハハッ!!』

「ああああああああああっ!!」


 彼の高笑いを前に、プルトナは遂には膝をついて悲鳴を上げてしまった。

 そんな彼女にアイリスが駆け寄り、肩を抱きながらドクター・ワイルドを睨みつける。


「最初からこれが狙いだったのか!?」

『心外であるな。これ一つの狙いだったに過ぎん』

「貴様っ!!」


 弄するような口振りに、雄也は唇を噛みつつ拳を握り締めた。

 だが、虚像相手に挑みかかる意味はない。

 今は、さらに固く拳を作ることで何とか憤怒を抑え込む。


(プルトナ……)


 そして雄也は、未だに動く気配のない真魔人ハイサタナントロープに意識を残しながらも、両手を床について嗚咽を漏らすプルトナに目を向けた。

 王族であることに、そして、掟に従うことに強い誇りを持っていた彼女だ。

 そういった状況に追い込まれたとは言え、自分自身の手で千年続いた一つの歴史に終止符を打ってしまったのだから、その衝撃は計り知れないものがあるだろう。


「あ、ああ、ワタクシが、ワタクシ、が、こんな……」


 今にも消えてしまいそうな程に弱々しく呟くプルトナの姿が痛々しい。

 己の根幹となるもの。アイデンティティを揺るがすどころか、自ら崩壊させてしまったのだ。そうなるのも無理もないことだろう。


「いい加減、姦しいぞ。劣等共」


 そんな中、重々しい男の声が謁見の間に響き渡った。と同時に、それまで身動き一つしなかった真魔人ハイサタナントロープスケレトスは首を鳴らすように頭を左右に動かした。


『おお、ようやく完全に目覚めたようであるな。真魔人ハイサタナントロープスケレトス』

「何だ、貴様は」


 親しげにスケレトスに話しかけたドクター・ワイルドに対し、彼は正に英雄の如き傲岸さと共に振り返った。完全に覚醒したためか急激にその存在感が増し、威圧するような魔力が周囲に撒き散らされる。


(な、何て圧迫感だ)


 その気配に圧倒されて後退しそうになるのを、雄也は必死に踏み止まった。

 だが、それはオルタネイトとして強化された力あってのことで、後ろのアイリスは耐え切れずに尻餅をついてしまっていた。珍しく怯えの色がその表情に見て取れる。

 プルトナは動揺の余り、それどころではないようだったが。


『つれない態度であるな。低血圧であるか?』


 そんな雄也達とは対照的に、ドクター・ワイルドは柳に風と受け流して軽い足取りで彼に近づいた。そのまま目前に立ち、少しの間視線を交わし合う。

 闇に覆われた顔は表情が見えないが、しかし、僅かな影の揺らめきに感情の動きが感じ取れる。当然、詳細までは読めないが、何らかの意思の伝達が行われていることは分かる。

 恐らく〈クローズテレパス〉によって会話しているのだろう。


「成程。貴様もまた我らが同志か」

『うむ。だが、積もる話は後である。まずはこれを。〈オーバートランスミット〉』


 ドクター・ワイルドは魔法を発動させ、その眼前の空間に腕輪を転移させた。

 スケレトスは間髪容れずそれを掴むと、己の腕に装着させる。


「これで奴の干渉を回避できるのだな?」

『その通りである。もっとも貴様程の強さがなければ意味がないがな』

「まあ、それは仕方があるまい。……さて――」


 スケレトスはそう言うと、体をこちらに向けた。

 それだけで身が竦まんばかりに威圧される。

 気持ちを強く持っていないと、腰が砕けてしまいそうだ。


「こいつらは何だ?」

『我らが宿願を果たすための駒である』

「ほう? 随分と頼りないようだが?」

闘争ゲームの中で成長を促してはいるのだがな。そう容易くはいかん。今この世界の残るは進化の因子を持たぬ人形のみ。その中で使いものになるよう磨き上げようと言うのだからな』


 品定めをするようなスケレトスの視線が這うのを感じる。

 その感覚に、何よりもドクター・ワイルドの余りに勝手な物言いを不快に思い、雄也は奥歯を噛み締めて一歩進み出た。


「俺達は、お前達の道具じゃない!」

「ふ。威勢だけはいいようだな。だが、弱き者は所詮、誰かに使われるが定め。力なき者はその程度の価値すらもない」


 そう告げるとスケレトスは右手を掲げた。


「試してやろう。貴様らがどれ程のものか」


 それから彼は僅かに顔をドクター・ワイルドに向ける。


「……止めないのか?」

『いざとなれば、道具など作り直せばいいだけのことであるからな』

「そうか。……ならば――」


 彼の右手に魔力が集まる。闇の靄が一層黒く、深くなっていく。


(こ、これはっ!?)


 その強大な力がもし自分達に放たれたなら、間違いなく死に至る。

 雄也でさえ即座にそう直感できる程だった密度が、さらに高まっていく。

 絶対的な力の差。英雄と称される所以が見て取れる。が、この場では脅威でしかない。


「何、そう恐れるな。単なる闇属性魔力の塊だ。魔法と呼べる程のものですらない。そもそも闇属性魔法に直接的な攻撃魔法などないからな」


 見下すような声色の言葉と共に、その掌がこちらに向けられる。瞬間、まるで刃の切っ先を喉元に突きつけられたかのような濃厚な死の気配が背筋を貫いた。


(っ! これは、今の俺の力じゃ、防げない!?)


 理屈よりも先に直感する。


(逃げるしか……けど――)


 顔だけを僅かに後ろに向ける。

 雄也の後ろには頭を抱え込んで蹲るプルトナと、怯えを隠すように気丈にスケレトスを睨みつけるアイリスの姿。〈テレポート〉も使えない以上、逃走は不可能だ。


(回避? いや、防御しか選択肢はない。でも、どうあっても耐えられるとは……)


「さあ、足掻け。死の間際にこそ、存在の本質が垣間見えるものだ」


 そして、考えが纏まらない内にスケレトスはその強大な魔力を解き放った。

 闇色の巨大な塊が彼の掌から撃ち出され、真っ直ぐにこちらに迫る。


(くっ、どうする? どうにか、しないと)


 思考が空転するままに時は進み、絶望的な力を持った攻撃が近づく。

 それを前に雄也は手を強く握り締め――。

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