第93話国衆苦悩

尾張:織田信長視点


「政秀、将兵の集まりはどうじゃ?」


「難しゅうございますな、銭での戦いでも名誉での戦いでも、鷹司を相手にして国衆と地侍を調略するのは、分が悪すぎます」


「だがこれ以上一向宗を家臣に取り込むのは、家内の統制を考えれば問題がありすぎる。信安、信清、信友など、鷹司との戦いで滅んだ家の一族郎党を取り込むのだ」


「それも難しくなっております。当初は鷹司に対する恨みを持っておりましたが、今ではあれは殿の謀略であったと言うものが多くなっております」


「ならば尾張に残っている今川勢と鷹司勢を、調略するしかあるまいな」


「承りました」


「それで話は変わるが、鷹司を真似た大弩砲はできたか?」


「試作させていた物が、いくつかでき上がっておりますが、どうも射程と威力が、鷹司に遠く及ばないようでございます」


「職人共にもっと励むように命じよ、それとできた物だけでよいから、三河攻めに使えるように致せ」


「やはり一向宗と共に三河に攻め込まれるのですか?」


「今は美濃に攻めても、我らが損害を出すだけじゃ。美濃の城砦には、義信が作らせた武具が溢れておる。城1つ落とすのに多くの兵を失っては、今後の覇道の妨げになる。それよりも三河なら、一向宗の勢力も強く、国衆も混乱しておる。敵の強きを避けて弱きを攻めるのは、戦の常道じゃ」


「確かに左様でございますな、では今直ぐ差配に行って参ります」


「うむ」






尾張品野城:第3者視点


「長政! 逃げるぞ」


「殿、一戦も交えず逃げるのでありますか?」


「一益殿からは、勝てぬと思ったら、狼煙を上げて逃げてよいと言われておる。城地を捨てても、同じ扶持で補うとも言われておる。命あっての物種じゃ、桑下城の長江と落合城の松平殿にも知らせよ」


「承りました、貴様直ぐに狼煙を上げて使者にたて! しかしどこに落ちるのですか?」


 榊原長政は、側に控えていた近習に指示して、主君の酒井忠尚に落延びる先を確認した。


「ひとまず小里城か鶴ヶ城に向かうが、どうせ落ちるなら諏訪に行く。諏訪は鷹司卿の本拠地じゃ、一益殿や土岐家の下にいるよりは、鷹司卿の直属になる方が卿の目に留まる機会が多かろう」


「なるほど、どうせ落ちるならその方がようございますな」


尾張桑下城:長江景則・景隆

尾張品野城:酒井忠尚

尾張落合城:松平清定・家次

酒井忠尚家臣:榊原長政・清政・康政






尾張落合城:第3者視点


「父上、いかがなされますか? 我らも城を逃げ出すのでございますか? いっそ信長に降ってはいかがでございますか?」


「家次落ち着け、信長は一向宗と手を結んでおる。加賀の事を考えれば、一向宗と手を組むのは危険じゃ」


「しかし鷹司は信濃に引き上げ、三河に残した軍も遠江の国境に行ってしまっておりますぞ。このような頼りがいの無い者に付いていても、仕方ございますまい。しかも何やら太郎左衛門家と接触しているとの事、我らを松平家棟梁とする約束を、反故にするのではありませんか?」


「確かに動きがおかしい、家次の言う通り、信長に付いた方がいいかもしれん」


「それがようございます父上、鷹司は三河より遠江を重視しております。我らには一族の者でなく、飛影とやらの娘を養女にしてから、側室に上げよと申しておきながら、井伊家からは娘を側室に迎えております。明らかに我が家を侮っておりますぞ!」


「うむ、そう言われてみればその通りじゃ。だが容易く信長に付くわけにもいかぬ、信長が我が家を松平の棟梁と認めるかどうかが分からぬ。認めるのであれば信長に付くが、認めぬのであれば諏訪に落ちる。それでよいな家次?」


「仕方ございません、西遠江を鷹司が抑えている以上、今更今川に戻る訳にもまいりませんから」






尾張鳴海城:第3者視点


「教吉、城を捨てるぞ」


「御待ち下さい父上、大高城、沓掛城、戸部城、岩崎城、笠寺城などの今川方城砦と手を携えれば、信長の攻撃を討ち払えるのではありませんか?」


「1度や2度の攻撃を討ち払っても、もはやどうにもならん、もう今川の援軍は期待できぬのだ。それに今の信長軍は、以前の信長とは違う。一向宗と手を結び、10万の兵を動員できるのだ、逃げる他に生き残る道はないのだ」


「ならば父上、いっそのこと信長に降ってはどうです? 10万の兵を動員できるようになり、鷹司卿とも互角に戦ったのです。以前から本領安堵を条件に、降伏の使者も来ていたのです。城地を捨てるよりは、その方がいいのではありませんか?」


「あまいぞ教吉、我らは1度信長と直接矛を交えておる。その上に大高城と沓掛城を、調略をもって奪い取っておる。信長が易々と許すはずがない。それにな、美濃での戦いでの、信長と反目しておった尾張衆の末路を思い出してみよ、信長に付くと言う事は、あのような末路を迎えると言う事じゃ」


「しかしながら、落ちる先に当てはあるのでございますか?」


「諏訪に落ちる」


「鷹司卿の下に落ちるのでございますか? 確かに何度も何度も降伏臣従の使者は来ておりましたが、我らは断っておりました。今更落ちて行っても、大切に扱ってもらえるとは思えませんが?」


「大切に扱ってもらえるかはわからぬが、殺される事だけはあるまい。それにこれからの天下は、鷹司卿と三好を中心に回っていくであろう。ここから三好に落ちて行く訳にも参らんからな、ここは鷹司卿に賭けるしかあるまいよ。それに鷹司卿も下では、難民でも一軍の将に成れると言うではないか。儂や教吉なら、粗略に扱われぬと思っておる」


「確かに父上の仰る通りですな、我らなら何所であろうとも、もう一旗あげれますな」


「得心できたら、教吉は戸部城の戸部政直を誘ってまいれ、奴も信長を裏切っておる。今更おめおめと、信長に下る訳にも行くまい。どうせ落ちていくなら、少しでも手土産があったほうがよい」


「承りました。ならば尾張にいる、今川衆を誘われてはどうです?」


「今川は鷹司と直接矛を交えておる。今川衆が諏訪に落ちれば、国元の一族に類が及ぶ。奴らは籠城するか、信長に降るであろうよ」


「成る程、今川衆も苦しき所なのですな。では城内の支度は父上に御任せして、某(それがし)は戸部殿を説得して参ります」


「うむ、任せたぞ」






尾張沓掛城:岡部元信視点


「近藤殿、ここは信長の言う通り下ったほうがよい」


「しかし岡部殿、一戦も交えず下るのは、武士として恥じる事ではないか?」


「しかし事ここに至っては、どうにも仕方あるまい。山口と戸部は、城を捨てて逃げてしまった。我らだけで籠城しても、もはやどうにもならんぞ。それに信長は、御屋形様と同盟して武田を挟撃すると申しておるではないか。我らには今川勢として、三河に入って欲しいと申しておるぞ。この事葛山殿どう思われる?」


「信長の申す事を、全て信じてよいのであろうか? 城を楽に落とす為の嘘ではあるまいか? 浅井殿は信じられると御思いか?」


「事ここに至っては、信じる信じないではないと思っておる。義信の軍が、三河に乱入したのは確かじゃ。そうなれば昨年御屋形様が伊那を攻められたのだ、今度は伊那と甲斐から武田は攻め込んで来よう。とても尾張まで、御屋形様の援軍は望めん。そして今の我らは、城を守り切ることできん。生き残るには、信長に下るしかあるまい」


「だから一戦もせずに下るのは、武士の恥ではないかと申しておるのじゃ。御屋形様の気性は皆存じておろう、我らは下って命を全うできたとしても、国元の家族一門は皆殺しに成るやもしれん、皆は何と思っておられるのだ?」


「近藤殿、我もその事は分かっておる。しかし信長の申す事が本当なら、我らも家族も生き残る事ができるかもしれぬのだ。これだけが唯一の方法なのだ。御屋形様の御気性なら、一度でも信長に付いた我らを、心底信じられることは二度とあるまい。だがそれでも、信長が三河を攻め武田を引き付けている間は、我らの家族も無事でおれよう」


「岡部殿の言う通りだと思うぞ近藤殿、それにここだけの話だが、皆は御屋形様に勝ち目があると思っておるのか? 武田を、いや鷹司を敵に回したのだぞ、鷹司が本当に欲しいのは、尾張でも三河でも美濃でもあるまい。遠江と駿河であろうよ、岡部殿もそう思われるであろう?」


 我もその通りだと思う浅井殿、武田の本拠地甲斐を守る為には 駿河はどうしても欲しいであろうし、昨年の伊那攻めを考えれば、鷹司は遠江を欲するだろう。三河などそのためなら、幾らでも信長にくれてやるだろうし、必要とあれば美濃すら切り捨てるかもしれん。駿河と遠江を切り取ってしまえば、三河と尾張など、何時でも楽々攻め取れよう」


「それはそうであろうが、それでは我らの家族は、何方にしても助からぬと言う事か?」


「そうでは無い近藤殿、わずかではあるが、助かる可能性もある。さっき言った、鷹司が美濃まで切り捨てると言うのは大袈裟だ。鷹司はあの斎藤道三の猛攻を退け、土岐家を支え切った。その上で一気に逆撃に転じて、道三を攻め殺して美濃を取ったのだ。いくら織田が一向宗と結んだからと言って、易々と美濃を攻め取れるはずがない。織田に取れるのは、精々三河1国であろう。織田は鷹司に勝ち目がなければ、和睦を持ちかけるであろう。さすれば我らの家族が、害される事もない」


「だが晴信が甲斐から攻め込んで参ったらどうじゃ、義信と違って晴信は情け容赦ないぞ。それに御屋形様は、降伏した我らの家族の処分は遅らせても、家臣郎党には先陣を命じられるだろう。御屋形様が負けられた後に、我らの家族が生き延びている保証はあるまい?」


「それは我らがここで討ち死にしても、同じじゃよ近藤殿。我らがここで討ち死にすれば、息子たちが先陣を命じられ戦うことに成る。いや、我らがここで籠城すれば、それだけ信長の三河討ち入りが遅れる。そうなれば息子たちが、義信と晴信の猛攻にさらされる事に成る。ここは1日も早く信長に降伏したほうが、家族のためなのだよ、近藤殿」


「岡部殿の言う事が、我らと家族が助かる唯一の道かもしれんな。ここは信長に降伏して、今川勢として鷹司と戦う事に致そうか、のう皆の衆」


「「「「「おう!」」」」」


 何とか降伏に同意してくれたか、哀しきことなれど、今川に未来はないであろう。御血筋を考えれば、氏真様だけは助命されるかもしれんが、助かったとしても寺社に送られる事は間違いあるまい。


 問題は鷹司が信長と和睦する気があるのか、織田家を残す気があるのかと言う事だ。


 我らは最終的には、織田家に仕える事に成るだろう。その時国元で家族が生き残っていれば、晴信なら人質に取り、織田に謀反する様に命じてくるだろう。


 義信も今までのやり方を考えれば、我らを調略して来るだろう。いや、織田を滅ぼす心算なら、我らの家族を害する事はしないであろう。調略の道具として保護する心算で、遠江と駿河での戦いを進めるであろう。


 問題はその事を、信長なら気付くであろう事だ。信長は我らを手放さないだろうから、義信はともかく晴信は、見せしめに我らの家族を処刑するかもしれん。


 信長の目を掻い潜って、機会を見つけて逃げ出さねばならん。


沓掛城在番衆:近藤景春・葛山長嘉・岡部元信・浅井政敏

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