第81話河内進撃

12月美濃長良川右岸:義信視点


 対岸に集結している軍は、斉藤と織田に長島一向宗だった、さすがは信長と言うべきなのだろうか?


 それともこの連合は、道三が要(かなめ)なのだろうか?


 史実の信長は、強敵には常に下手(したて)にでていた記憶がある。特に信玄に対しては、贈り物なども細心の注意を払っていたはず。


 だが今の信長は、弟すら支配下に置き切れていない、尾張の2割から3割を支配している程度だろう。


 もちろん熱田と津島の湊を支配しているから、資金力と実力は頭1つ抜けているだろう。だからこの苦境で、一向宗と一時組むと言う選択をしたのかもしれない。


 信長にとっての優先順位は、一族の統合、尾張統一、美濃制圧の順で、伊勢は4番目のはずだ。


 いや、史実では石山合戦までは敵対していないから、信長が上洛して信玄を含む織田包囲網ができるまでは、信長からは一向宗に手出ししていなかったはずだ。


 道三に至っては、集合離散と言うか二股膏薬と表現すべきか、敵味方を激しく変えていた記憶がある。


 生き残るため、勝ち抜くために、節操なく同盟と裏切りを繰り返していたはず。ならばこの苦境では、形振(なりふ)り構わず味方を集めているだろう。


 問題は六角と細川晴元がどう動くかだ?


 今の六角は最盛期で、南近江(近江の石高の7割程度)・伊賀3郡・北伊勢・大和の一部を支配下に置いている。その石高の合計は100万石前後で、最大動員兵力2万5000程度だと思う。


 三好が大山崎にいる以上、その全てを動員することはできないだろうが、俺の美濃討ち入りに警戒しているはずだ。


 一気呵成に支配域を増やしている俺が、隣国に攻め込んだのだ、最盛期の六角義賢が対抗処置を取らないはずがないのだ。


 最悪の場合は、斉藤・織田・一向宗連合と対峙している背後を、六角軍に奇襲されるかもしれない。


 今は積雪が多く、軍を動かしにくいだろうが、絶対安心とは言い切れない。観音寺騒動の後なら、六角家譜代衆の切り崩しも楽だろうが、今は最盛期で調略は難しいだろう。


 一向宗に関しては、そもそも向こうが越中で喧嘩を売って来たのだ!


 まあそれはともかく、一旦和睦をしたのに、信繁叔父上が和睦を破って、越中の一向宗討滅に動いた。


 今頃は加賀にまで攻め込み、河北郡を切り取っておられるだろう。信繁叔父上なら、万が一にも負ける事など考えられない。だがその所為で、長島一向宗に開戦の大義名分を与えたのは確かだ。


「若殿、いかがなされますか?」


「無理に渡河すれば、身体が冷えてとても戦どころではなくなる。それに早合などの火薬が濡れたら、我らが圧倒的に不利になる。向こうが渡河して来るのを待つしかないな」


「しかしそれでは、若殿が苦戦していると思われませんか?」


「おいおい、美濃の半分を切り取って苦戦していると思われるとは、俺はどれだけ過大評価されているんだ? 飛影」


「若殿なれば、鎧袖一触(がいしゅういっしょく)で美濃と尾張を支配すると思っていた者も、多いのではありませんか?」


「相手は蝮(まむし)の道三と信長に一向宗の連合軍だ、そう容易(たやす)くはないよ」


「鷹司卿、いっそ上流に主力を移動させ、そこから渡河されてはどうでしょう?」


 軍師候補の八柏道為が献策して来た。


「有利不利は考慮しているんだな? 言ってみろ。」


「このまま対陣を続けますと、敵に柵や土塁を築く時間を与えてしまいます。そうなると敵の防御力に余裕ができてしまい、敵に軍を分け伊木山城、鵜沼城、関城を攻める余裕を与えてしまいます。そうなると我ら本軍と、伊那との間を切り離されてしまい、遠山などの美濃衆が離反する事もあり得ます。飛騨と木曽への道筋が雪で閉ざされている今は、軍を戻し長良川と木曽川を渡り、明智長山城に本陣を置かれるのがよいと思われます」


「美濃衆の離反を防ぐために、明智から奪った城に入り、四方に圧を掛けよと言うのだな? 不利な点や危険な点をどう考えているのだ?」


「我らの移動に伴い敵も移動するため、伊木山城、鵜沼城、関城が早めに敵に囲まれます。しかし、滝川一益殿の4000騎との合流や連携が可能となります」


「他は考えておらぬのか?」


「味方に加わった美濃勢は、ほとんどこの本軍に加わっており、鷹司卿股肱の兵は、美濃の城砦に分派されております。今後の鷹司卿の覇道を考えれば、彼らを失うのは大きな痛手となります。相羽城、揖斐城、大桑城は今まで持ちこたえた堅城、鷹司卿が軍を返しても大丈夫と思われます」


「味方が来たと思ったら、直ぐ逃げ出してしまった落胆(らくたん)を、軽く見ておらんか?」


「3城の譜代衆と少し話をしましたが、そのような弱き武士(もののふ)とは思えませんでした」


「美濃衆を引き連れて明智長山城に入った後で、我が股肱兵に占拠されている城を取りもどそうと、美濃衆が裏切れば、それこそ敵中に孤立するかもしれない。ここならば、絶対裏切る可能性のない、相羽城、揖斐城、大桑城と連携が取れる。それも考慮しているのだな?」


「はい、それでもここにこのままいれば、春まで渡河は不可能と思われます。ですが上流ならば、渡河が可能と思われます。渡河さえできれば、冬の内に稲葉山城を囲むことができます。その場合は長良川だけを渡り、関城に本陣を構え、滝川殿に犬山城の織田信清を攻めて頂きます。さすれば信長は、犬山城の援軍に向かわねばならなくなります。もし信長が犬山城に援軍を送らなければ、信清を調略して味方に付ければ宜しゅうございます」


「具体的な移動の手立てをどうする心算だ?」


「一向宗の拠点は長島でございますので、長良川を下る様に一軍を移動させれば狼狽しましょう。本拠地の長島を守るために、10万と号する一向宗が離反すれば、敵も動揺します。そうなった後でなら、上流への移動も容易くなりましょう」


「若殿、私も献策して宜しいでしょうか?」


 狗賓善狼も献策して来た。


「許す」


「道為殿の策も素晴らしいのですが、春になればここにいても飛騨への道が開けます。諸城に分派された兵たちも、山を越え飛騨、木曽、伊那へ自力で戻れます。ここは道為殿の策を一部取り入れ、長島に攻め下る姿勢を見せつつ、大垣牛屋城、西保城主、曽根城主を攻め落とされてはいかがでしょうか? この手でも一向宗はもちろん、織田も斉藤も対応せねばならず、伊木山城、鵜沼城、関城に手出しできなくなるのではないでしょうか?」


「善狼殿の策もよいものでございますが、六角を警戒させて軍を呼び寄せてしまいませんか?」


「渡河さえしてしまえば、若殿の騎馬鉄砲隊の威力は絶大です。六角軍であろうと、恐れる事はないと考えます」


 さてどうすべきか?


 一番の問題は補給なのだ。


 熟考の上で、厳選した物資を大量に運んで来てはいるが、無尽蔵にある訳ではない。


 だから銭にあかせて、美濃で買えるあらゆる物資を買い漁った。その結果、美濃の百姓衆はもちろん、敵であるはずの国衆や地侍も、密かに物資を売りに来ていた。


 それでも困るのは馬料なのだ!


 すでに8000騎を諏訪周辺だけで養うのは限界で、平時でも馬料の輸送集積は大仕事だった。


 そのために4000騎を遠山方面に分派して、向こうで馬料を買い集めさせていたのだ。あちらなら、銭欲しさに三河や尾張からも売りに来るからだ。


 遠山に分派した滝川一益の軍と、馬料の手配ができていないのに合流すると、馬料不足で手塩にかけた騎馬隊を失うことになる。


 まあ弱みを見せないために、稲葉山城を兵糧攻めにすると見せかけて、あらゆる物資を買い占める中に、馬料も紛れ込ませている。


「本軍の移動は敵の対応を見て決める」


「米倉重継、美濃勢を指揮して長島に攻め込め、可能なら願証寺まで攻め寄せよ。但し本軍との連絡を密にして、一向宗が攻勢に出たら、引いて敵を本軍に誘い込むようにせよ。一番の目的は、一向宗を長島に戻す事だ、危険を冒してまで攻め込むな」


「は! 承りました」


「狗賓善狼、そなたは僧兵8000を率いて、美濃勢の後詰を致せ。可能なら河内を攻め取り、無理なら美濃勢と共に、一向宗を長島に閉じ込めよ。一向宗が攻勢に出た場合だけ、美濃勢と共に引きつつ、我が本軍に誘い込め」


「は! 承りました」


「加津野昌世、近衛武士団を率いて揖斐川を渡り、西美濃の村々から物資を買い集めてまいれ、決して民に乱暴狼藉をするでない! 美濃の民は土岐家の民じゃ、我が一門衆の民は大切にせねばならん」


「は! 承りました」


「八柏道為、我が大弩砲を学んでおけ、さすれば軍略に幅ができる。近衛府の軍師になる心算で、全てを自家薬籠中(じかやくりょうちゅう)の物とせよ!」


「は! 有り難き御言葉を賜り、恐悦至極でございます。力の及ぶ限り学ばせていただきます」






3日後の美濃長良川右岸:義信視点


 全ての部隊が移動を完了してから、戦はじめとして、手元に残した黒鍬衆が操る大弩砲で、十文字大竹矢を対岸の敵密集地に撃ち込ませた。


 同時に我が軍が、長良川の川幅の狭い所を渡河しようとしているように見せかけ、敵を対岸近くに誘き寄せて狙撃した。


 敵の火縄銃は初期の安価なタイプで、頬つけの小筒が多く、わずかに中筒がある程度だ。


 だが俺が作らせた火縄銃は、最初から肩つけの士筒タイプで、射程と破壊力に差があるから、安全距離を測りつつ狙撃をさせることができる。


 敵に攻撃をかけつつ、徐々に上流に移動して敵を吊り上げ、準備していた美濃勢と僧兵に、長島を攻撃させた。


 当初は長島を攻撃されている事に気付かなかった一向宗も、河内の上流4割を奪われた頃にようや気付き、慌てて長島本島に帰還して死守の構えを見せた。


 河内の市江島を支配する服部友貞は、織田信長に暗殺されるのを恐れて、今回の同盟軍に参加していなかった。だから河内の防衛に専念していたそうだが、そのお陰で武田軍美濃部隊と僧兵部隊に、早期対応ができたようだ。


 そもそも我が軍は、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)と、その支流域の扇状地末端部から、河口部に存在した中洲群に攻め込むのだ。


 氷のように冷たい水が流れる川を渡河した上で、集落を洪水から守るために築かれた、周囲を囲んだ堤防を乗り越えて攻め込むのだ。


 奇襲効果が失われれば、我が軍は圧倒的に不利になる。素早く状況を判断した米倉重継と狗賓善狼は、確保した地域を死守する戦術に切り替えた。


 この部隊の戦略的な役目は、一向宗と斎藤織田を引き離す事で、損害を増やしてまで一向宗を攻撃する必要はないのだ。


 一向宗が攻勢に出た場合に、俺の本軍を危険に曝(さら)さないために、釣り野伏りを仕掛ける事も指示しているが、それはあくまで一向宗が攻勢にでた場合だけだ。


 滝川一益は4000騎を率いて、水野作右衛門の志段味城、村瀬作左衛門の大留城、谷口友之進の下大留城、小坂正氏の吉田城などの城下に乱入した。


 城内の兵に備えつつ、物資を購入して信長の支配域に揺さぶりを掛けた。国衆と地侍を威圧しつつ、民は味方に加えたいのだ。


 美濃尾張は確実に切り取り、俺の版図に加えたい。美濃は表向き土岐家の物だが、実質的には信龍叔父上の領地となる。


 尾張は表向き斯波家の領地とするが、八割以上を近衛府の直轄領や蔵入り地にする。俺のそういう意図を、滝川一益はよく察してくれているようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る