第42話周辺諸国の動静 長尾景虎(上杉謙信)の胎動

8月15日午前深志城(松本城)の大広間:善信視点


「若殿、村人に乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)をした足軽どもが判明いたしました」


 責任者の狗賓善狼が、諸将の前で捜査の進展を話す。


「黒幕はいたのか?」


 諸将が一気に緊張する。


「拷問を加えておりますが、小笠原や村上との関係はないようです」


 残念ながら、小笠原の謀略ではなかったか。もしかしたら、信濃の民を反武田に誘導するために、武田に偽装(ぎそう)した兵に村々を襲わせていたのかと思ったが、小笠原はそこまでの悪行をする決断が付かなかったか?


 劣勢に追い込まれた戦国大名ならば、やってのけるかと思ったのだが、信玄程の冷酷さも決断力もなかったか。後は俺の決意だな、小笠原の素破が、武田の名を騙(かた)って村々を襲ったと捏造(ねつぞう)するのが楽だ。俺が戦国大名として生き抜くには、それが最善手なのかもしれない。


 だが1度楽な道を選べば、この後も同じ外道を歩むことになる、そしてそれは、信玄との役割分担の境界線が曖昧(あいまい)になることを意味する。自身が成長していくためには、楽な道よりも険しい道を行くべきだろう。天下の王者になるには、困難を避けたり乗り越えたりするだけの、知恵(ちえ)と仁徳(じんとく)が必要だろう。


「善狼よくやってくれた! 黒幕の存在をよく確認の上で、儂の軍令を違反した罪で磔(はりつけ)にしてくれ」


「承りました」


 鮎川善繁が少し何か言いたそうだ。小笠原の謀略にしてしまえと言いたいのだろう。だがそれでは、俺の軍令違反を強調できない面もあるのだ。外道の謀略は、進退(しんたい)窮(きわ)まった時の最終手段、今回は正道を行く!


 俺の軍令の厳しさを、信濃国衆や譜代衆に思い知らすよい機会だ!


 それにな善繁、本当に俺の事を想い謀略を駆使するなら、事前に善狼と謀議の上で、全責任を被る決意で独断専行すべきだったな。もっともそんなことは絶対やらせんがな、第二次大戦時の参謀のような、愚かで独善的な家臣は邪魔なだけだ。






8月19日躑躅城の善信私室:善信視点


 俺は深志城(松本城)を松尾信是と漆戸虎光に任せて、信玄への報告のために躑躅城に帰って来た。神田将監騎馬隊の夜襲には、馬防柵・落とし穴・屋根への泥乗せで対応させた。何よりも家臣達が、連続夜襲に慣れて来たのが大きかった。慌てず騒がず、消火活動を行えるようになっていた。少々火事を出しても俺が処罰しないので、余裕を持って対処している。


 俺にとって最も大切なのは、武田家の融和だ!


 あまり前線で独断専行しては、信玄に疑念を抱かせるかもしれない。分かり合って役割分担した心算でも、いつどこで誰が信玄に毒を吹き込み、親子相克(おやこそうこく)の謀略を仕掛けるか分かったもんじゃない。戦国時代こそ家族団欒(かぞくだんらん)が大切だ!


「周辺諸国の動静はどうなっている?」


 俺は黒影に尋ねる。


 今日は、影衆と狗賓善狼以下の山窩・河原者出身者の近習だけで、最重要戦略会議だ。武田家家臣団の謀反の兆候(ちょうこう)を調べる、闇影の存在を譜代衆に知られるわけにはいかない。


「北条は関東制圧に向けて、関東管領勢と激しく争っております」


「武田家臣団を裏切らせて、甲斐を攻めてくる心配はないのだな?」


「武田家が惨(むご)い敗戦をして、国境の小山田が離反しない限り大丈夫でございます」


 やはり小山田が問題となるか!


 マインドコントロールで完全に支配下に置かないと、将来安心して上洛も出できないな。


「今川は?」


「三河の属領化と、駿河遠江の叛意を持つ国衆の統制に専念されております」


「こちらは穴山の考え次第と言う事か?」


「はい、武田が不利になった時の命運は、穴山の忠誠心次第です」


「闇影、穴山に具体的な動きはないか?」


「御屋形様と若殿に力ある限り大丈夫です、今のところ内通の動きはありません」


「美濃は?」


「斎藤道三が1番力を持っております。その謀略は惨(むご)く、いったん美濃守護就任を認めた土岐頼純殿を毒殺した上、前守護の土岐頼芸殿の後ろ盾であった、織田信秀の嫡男信長と娘の帰蝶との婚姻を結び、土岐頼芸殿の力を削ぎました」


「織田との婚姻は、斎藤にも利があったのだな。ならば土岐頼芸殿との交流を密にして、何時でも美濃に侵攻できる大義名分を確保しておこう。さらに斎藤から離反する可能性の高い、美濃国衆との交流を続けよう。引き続き御屋形様の許可の元で、美濃の調略を続けよう。越後はどうなっている?」


「長尾守護代家の内訌(ないこう)が激しくなっております。守護代である兄の晴景派は、坂戸城主の長尾政景(上田長尾家)と黒川城主の黒川清実を柱とする者たち。弟の景虎(上杉謙信)派は、叔父の中野城主の高梨政頼と母の実家である栖吉城主の長尾景信(古志長尾家)、それに与板城主の直江実綱と三条城主の山吉行盛、さらには栃尾城で景虎を補佐する本庄実乃を柱とする者たちです」


「内乱に発展しそうか?」


「守護の上杉定実殿が調停に乗り出すようでございます」


「引き続き調べてくれ、畿内の情勢はどうなっている?」


「細川晴元様が、池田信正(久宗)を切腹処分になされた件で、晴元様と三好長慶の対立が激しくなっております。長慶は三好政長の讒言(ざんげん)で池田信正が切腹させられたと信じ、晴元様に三好政長の誅殺(ちゅうさつ)を願っているようでございます。ですが晴元様は、それを拒否されているようでございます」


「長慶の動静を探ってくれ。まさかと思うが、晴元伯父上に反旗を翻すかもしれない。その場合は大義名分が必要になるから、足利将軍家か細川氏綱と結び、私戦ではなく管領家の当主争いの戦いとするだろう」


「承りました」


「飛騨の状況はどうだ?」


「油断しきっております、何時でも攻め取れます」


「兵力が足らんな。」


「特別足軽部隊を投入しましょう」


 急に飛影が参加して来た。最近は他の影衆に任せることが多かったが、ここは重要な岐路と判断したのだろうか?


「飛騨は京極守護家も姉小路国司家も没落しております。姉小路高綱様は、三木直頼や江馬時盛との争いで力を失っておられます。ここは武田一門の養子縁組を条件に、姉小路高綱様に援軍を出しましょう」


「誰を養子に送るつもりだい?」


「御屋形様と話し合っていただければよろしいかと」


「姉小路高綱殿は納得されるのか?」


「姉小路高綱様は子供の頃に、庭田家庶流の権中納言、田向重治の養子に成っておられます。朝廷での官位は、姉小路家よりも飛騨田向家の方が上でございます。飛騨田向家復帰と従三位参議の官職、さらに所領加増を条件とすれば、養子縁組を納得されると手の者も報告してきております」


「いつ動くつもりだい?」


「御屋形様の許可と、朝廷工作次第ではございますが、三木直頼は夏には松倉城、冬には桜洞城を居城としております。雪の降る前に、周辺に枝城の少ない桜洞城で討ち取れば、確実と思われます」


 さてどうする?


 桜洞城を中心に、宮地城、大威徳寺城、為坪城、楢尾山城、桜谷城、中根城、今井城、伊波那谷城だけを占拠するか?


 それとも松倉城まで攻略して、飛騨高山地方を一気に勢力下に置くか?


 雪解けの時期になって、江馬時盛が高山に侵攻して来ても面倒だ。動くなら一気に制圧しないといけない。確実に攻め取れないなら、もう1年待てばいい。いっそここで鉄砲を活用するか?


 一斉斉射さえ披露しなければ、諸国の守護や国衆も鉄砲の重要性を気付かないだろう。奪った松倉城と桜洞城を守るために、迎撃で鉄砲を撃つくらいなら、どこでもやってるよな?


 攻め取るとしたら、どうやって敵に知られずに城に近づく?


 素破衆は大丈夫でも、3000もの大軍が気付かれずに城攻めできるのか?


「絵図をもて」


 こりゃ無理だ!


 山越えをしたとしても、周辺の城に気付かれずに、松倉城だけを攻め取るのは無理!


 ならば三木直頼の首1つに狙いを定めて、桜洞城と周辺城砦だけを落とす。


「御屋形様の所に行ってくる!」






9月21日躑躅城の善信私室:善信視点


 信玄と軍議で、美濃土岐家を利用するにあたり、土岐頼芸の活用法を決めた。頼芸の弟で、常陸国江戸崎城の土岐治頼と、上総国夷隅郡伊南荘万喜城城主の土岐為頼と連絡を密にする。それと、たとえ1城であろうとも、美濃に頼芸の勢力を確保させることで意見が一致した。


 ただし北条家との連携が最優先であるため、土岐治頼には関東管領上杉憲房と手を切らせ、北条家との和議臣従を仲介する。土岐為頼は里見家と近いようだが、時期を見て北条の間を仲介することにした。土岐一族や稲葉一鉄を始めとする、土岐家旧臣との交渉は信玄主導で行うことになった。


 越後に関しては、上杉謙信が怖い俺と信玄では注目度が違った。信玄にとって越後は、直接対峙していない遠国で、まだまだ警戒する必要はない。俺は謙信が恐ろしいが、大切な素破に危険な真似はさせられないから、手の出しようがない。だから暫(しば)らくは、内乱を煽(あお)る位しかやりようがない。


 畿内の方は、信玄にもどうにもならないようだ。細川晴元伯父上は、三好政長に誑(たぶら)かされているようだ。いや、もしかしたら態とかもしれない。三好長慶の力が余りに大きくなったので、三好一族を割って力を削ぐ心算なのかも知れない。


 三好を分裂させられると思っておいでなら、俺や信玄の心配など歯牙(しが)にもかけないだろう。こまごまとした状況や合戦は分からないが、いずれ三好長慶が覇権を握る事を知っているから、細川晴元伯父上が心配なのだ。


 飛騨攻略のための朝廷工作は、長年の努力が成果として現れた。特に後奈良天皇と義兄弟の、勧修寺政顕からの工作が効果あったようだ。


 1番大きな力となったのは、三条公頼お爺ちゃんの鷹司家復活継承を味方してくれたら、武田家支配領の荘園と家職権を復活させると約束したことだ。鷹司家の復活継承はまだ無理だったが、二郎と三郎の転法輪三条家養子縁組は認められた。三郎まで養子にするとは驚いたが、何かあれば何時でも解消できると信玄は言っていた。


 信玄実子で三条家養子にした方が、他家に再養子に出す場合に、箔(はく)が付いて都合がよいと思ったのだろう。それと鷹司家も、二郎か三郎を養子にして、横領する心算かも知れない。


 1番欲しかった、松尾信是叔父上の姉小路高綱との養嗣子縁組も認められた。大盤振る舞いだが、細川晴元伯父上と三好長慶の争いが激しく、合戦にまで発展した場合、甲斐下向もあり得ると判断した上で、公家衆が保険を掛けたのだろう。



『新官職』


姉小路高綱養嗣子:松尾信是 改め 姉小路信綱:飛騨国司

三条公頼養嗣子 :二郎   改め 三条実信 :従五位下・侍従に任官。

三条公頼養子  :三郎


武田信玄:従四位下・大膳大夫兼甲斐守・甲斐守護

武田善信:従五位下・大膳亮


姉小路高綱 戻し 田向重継:飛騨田向家当主復帰・従三位参議任官

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