第41話激戦

7月27日午前犬甘城外:第3者視点


 稲倉城の赤沢経康は80騎400兵で、兵糧を運ぶ小笠原軍の弱い所に襲い掛かった。最初から略奪目的だが、今後のことも考え、武田善信へのアリバイ工作だ。小笠原長時が信濃を失った時に、自分が生き残るためには、最善のタイミングで武田善信に味方するに限るのだ。


 一方小笠原長時に忠誠を誓う赤沢経智は、川中島付近の善光寺平(ぜんこうじだいら)(長野盆地)の最南端に位置する塩崎城主で、赤沢城と小坂城も支配下に置いている。経智は息子の長勝・貞経と共に、20騎100兵を引き連れて略奪する経康に切り込んだ!


 当初は略奪に熱中していた経康勢は、不意を突かれて損害を出した。だが最初から逆襲を想定していた経康は、騎馬だけを率いて迎撃する。


 その間も足軽や農民兵は、必至で略奪に励む。大半は武士に取り上げられるが、一部は手元に残る。小さくて隠せる価値ある物と食料を求めて、貪欲に略奪を続ける。一部の者は押足軽の指揮で駄馬を奪い、自分たちの勢力下にある茶臼山城に運ぼうとしていた。


 駄馬の背に兵糧を乗せて運んでいる訳は、この時代は道普請など行われておらず、兵糧や物資を運ぶ荷車がほとんどなかったからだ。


 少しでもトレッキングをすれば分かるが、平野部以外は急峻(きゅうしゅん)で細い岨道(そばみち)がほとんどだ。平地も少しでも耕作面積を増やしたいため、他人との境界である畦(あぜ)を利用した、細い畦道(あぜみち)がほとんどだ。


 とてもではないが、荷車が発達する余地などなかったのだ。また一度でも大雨が降れば、濁流で橋は流され周辺の家屋や田畑は押し流される。だから橋を掛ける労力は、徒労(とろう)に終わる事が多い。だからこそ広大な河川敷が存在し、河原者が生きていける下地があるのだ。


 最初は勢いのあった経智の20騎100兵だが、徐々に押し返されはじめた。経康は80騎の戦力のうち、40騎を率いて騎馬戦を行い、2騎対1騎の有利な態勢(たいせい)を作った。その上で残る40騎は、100の敵歩兵を馬蹄(ばてい)に掛け踏みつぶし、槍で突き殺し、太刀で切り殺していく。


「見参!」


 小笠原長時に忠誠を誓う赤沢経智親子が、あわや討ち取られそうなその時、神田将監指揮下の騎馬隊か戦場に切り込んで来た。神田将監が戦場に到着した時には、小荷駄衆や女子供まで巻き込まれていた。このような乱戦では、神田将監騎馬隊が得意とする遠距離騎射は使えない、槍や太刀を構えての突撃だった。


「構え! 放て!」


 形勢不利と見た赤沢経康は、馬首を返して1騎逃げようとしていた。家臣を見捨て己1人助かろうとしたのだが、神田将監は見逃さなかった。敵と切り結んでいない配下たちに命じて、騎射をさせたのだ。哀れ赤沢経康は、戦場から離れた事で格好の目標となり、幾重(いくえ)もの矢を受けて落命した。


 神田将監指揮下300騎の援護を受けた小笠原長時は、4500兵と将兵の家族ともども犬甘城に落延びていった。これにより信濃守護小笠原家の威信が、著しく低下することになった。だがいまだ4500兵と300騎の騎馬隊を保持し、戦力的には侮(あなど)り難いものがあった。






8月10日午前林城の大広間:善信視点


「城の接収は終わったのだな?」


 俺は鮎川善繁に確認した。


「は、この林城を筆頭に、桐原城、霜降城、水番城と、討ち死にした赤沢経康の稲倉城、横谷入城、三才山城、茶臼山城、横谷入城、赤沢氏館、三才山館に城代を派遣しました」


「洞山城にもこちらの城代を送ったのだな?」


「は、それと若殿のご指示通り、最前線が前進したことにより、安全圏に入ったと思われる城砦群の兵を集め、代わりに小人衆だった足軽たちの一族一門を入れ、城の守備を任せました」


「ああ、彼らに任せれば、山の幸や川の幸を上手く集めてくれるだろう。我らは小笠原との戦いに専念できる」


(彼らには、養蜂、硝石作り、真珠養殖、酒造、椎茸栽培、漢方薬の材料集め、軍馬の繁殖、武具甲冑作りなど、やってもらいたいことが山積しているんだ)


「は! 承りました」


「新たな兵の募集はどうなっている?」


「林城が武田家の物になり、足軽共が集まりだしております。恐らく小笠原から逃げ出した兵かと思われます」


「後方城砦の足軽隊に分散配備し、守備兵と入れ替えろ。うかつに信用することはできん、信頼できる兵を前線に回すように!」


「承りました」

 

「降伏した兵を受け入れたとは言え、勝てば守らねばならぬ城が増えて手元の兵が減る。敵は逆に落城した城から兵を集め、直卒する兵力が増強する。こちらも城砦に分派した兵力を手元に集め、直卒軍を増強しておかねば、小笠原に不覚を取るやもしれん」






8月13日午前深志城(松本城)の大広間:善信視点


「虎常、扶持武士団500兵を率いて林城を守れ。福山城は昌世が扶持武士団500兵を率いて守れ。水番城は米倉重継が扶持武士団500兵を率いて守れ。総指揮は虎常が執れ」


 俺は、楠浦虎常・加津野昌世・米倉重継に林城と支城の守備を任せて、深志城(松本城)に移動する決意をした。毎日敵の夜襲を受けている、深志城(松本城)を守りきるためだ。深志城(松本城)を修理拡大強化して、逆に犬甘城にいる小笠原長時に圧力を掛けるのだ。






8月14日午前深志城(松本城)の大広間』:善信視点


「足軽が村娘を強姦(ごうかん)しただと!」


「はぁ、村長が抗議に来ておるそうでございます。追い返してよろしいですな?」


 漆戸虎光が、危機感も罪悪感もなく答えたので、俺は切れてしまった。


「ボケ、カス、アホンダラ、ワレ殺すぞ! 乱暴狼藉は絶対許さん、死罪にすると言ったはずだぞ!」


「え、あ、いえ、兵どもも連戦で消耗し欲も溜まっております。このような前線では遊ぶ場所もなく、多少の乱暴狼藉は仕方なきこと思いましたが?」


「それは、俺の命など無視して構わんと、虎光が思っておると言う事だな!」


 俺は殺意を抑えきれなかった!


 俺の殺意に反応して、側で寝そべっていた赤狼・白狼・黒狼などの狼たちが唸り出す。何時でも飛びかかり、敵の喉笛を噛み切れるように低い態勢を取る。狼たちは俺の意思を汲み取り、明確に漆戸虎光に殺意を向けている。狗賓善狼も刀に手をかけ、何時でも切り掛かれる態勢を取る。善狼の甲斐犬も低い態勢を取っている。


「申し訳ありません! 決して若殿の命を軽んじていた訳ではありません。我が愚かであっただけ、伏して、伏して、お詫(わび)び申し上げます!」


「虎光! 我が命を軽んじたこと許し難し、蟄居(ちっきょ)を命じる!」


 漆戸虎光は一瞬反論し掛けたが、俺の本気の殺意を感じ取り黙って出て行った。さて冷静にならねばならん、起きてしまったことをなかった事にはできない。初期対応を誤るわけにはいけない。まずは率直に被害者に謝り、信賞必罰を明らかにせねばならん。


「城門を閉めよ! 誰一人逃がすでない! 我が軍令を蔑(ないがし)ろにした者を、草の根分けても探し出し成敗いたす! 犯人を逃がした物も同罪じゃ、善狼が責任を持って出入りを禁止せよ。犬狼部隊を使え!」


 俺の身辺警護が手薄になるのを危惧したのか、狗賓善狼が一瞬話しかけようとするが、流れる様に嶽影達が俺の側に近づくのを見て口を閉ざした。


「承りました!」


「村長を呼んで参れ」


 出て行く狗賓善狼の背を見送りながら、俺は怒気を抑えることに専念した。村長や村娘は被害者で、俺が加害者の総大将なのだ、怒りを持ったまま会うなど許される事ではない。


 村長と村の有力者なのだろう、ひどく怯(おび)えた様子で4人の男が入って来た。ああそうか、乱暴狼藉の抗議で武田の総大将が会うなどとは、まったく想像していなかったのだろう。通常このような事は、よくて城代、普通は村担当の代官が対応するはず。


「村長よ、ここにおられるのは、総大将の武田善信様である。今回は、乱暴狼藉を禁じた善信様の命に違反した者を罰するため、特別に直接お会いくださることになった、感謝するがよい! で、どういう事情であったのだ?」


 俺の体面を思ってだろう、鮎川善繁が村長に話しかけた。


「へい、お会いくださり感謝いたします。昨晩遅く、武田様の兵を名乗る者が村に参りまして、臨時の兵糧と軍資金の徴発(ちょうはつ)だと申されたんです。城代様からのお知らせで、臨時の徴発(ちょうはつ)は一切ないと聞いておりましたので、そのように申しましたんです。するとそれを聞いた兵たちが急に暴れ出し、無理やり手近な物を奪い、娘や若嫁を押し倒して乱暴していったんです」


「その者の面体(めんてい)は覚えているか?」


「へい、私も含め多くの者が見ておりますので、間違えることはありません」


「若殿、いかがいたしましょうか?」


「徹底的に調べて犯人を探し出せ! 1人も見逃すことは許さん。庇(かば)い立てしたり隠蔽(いんぺい)したりする者は、侍大将であろうと磔(はりつけ)にいたす!」


「承りました」

 

「村長よ、今後このようなことのなきよう軍令を徹底する、安心して暮らすがよい」


「有り難き幸せ!」


 村長たちが近習に案内されて出て行った。犯人捜しのために、顔の確認をするのだろう。だが最低だ!


 加害者大将の俺が偉そうに言って、被害者が感謝する、おかし過ぎるだろ!


 被害者が我慢して小さくなり、加害者が権利を主張して居丈高(いだけだか)に振る舞う、最悪の時代であり世の中だ。どうすれば今後このような事が二度と起こらない様にできるのだろう?


 御陣女郎(ごじんじょろう)はある程度自主的に集まっているが、軍で管理運営した方がよいのか?


 戦後日本で生まれ育った俺には、売春婦の管理運営を軍がする事には抵抗がある!


 従軍慰安婦報道のトラウマだな。必要な事はうすうす分かっていた、分かっていたが避けて来た。だがそのせいで、民が迷惑していたのかもしれない。今までも同じような事があったのに、泣き寝入りしていたのかもしれない。


「善繁! 御陣女郎をできるだけ集めて、兵たちの欲望を抑えろ。御陣女郎が使う小屋や長屋もこちらで用意しろ。前線でも焼酎や肴(さかな)も買えるように手配せよ。それに鐚銭や扶持米でも、御陣女郎や酒肴(しゅこう)を買える様にせよ。近隣城砦の兵も、休みの時に遊べるように手配せよ」


「承りました、なれどそれは最前線の深志城(松本城)ではなく、後方で縄張りの広い村井城(小屋館)に設置してはいかがでしょうか?」


「細かな事は任せる! 黒影、相談に乗ってやれ、どうせなら鐚銭と玄米を回収しろ」


 俺は生理的な嫌悪感から、売春宿の設置運営を善繁と黒影に丸投げした。黒影なら伝手(つて)があるだろうし、闇影に連絡して内部情報の収集に役立てるかもしれない。内調を担当する闇影抜きには、売春宿の運営はできないだろう。だが闇影の存在は、俺と影衆以外には絶対秘密だ!





 河原者・山窩に運営を任せて、兵を撤収させた城砦は以下。


山家城:加津野昌世:扶持武士団500兵

山家館

宮原城:米倉重継 :扶持武士団500兵

埴原城:三村長親勢

尾池城:諏訪満隆勢

浅田城:千野靭負尉・千野光弘・千野昌房

小池砦

赤木北城

赤木南城

八間長者城

中原館

横山城

北熊井城

南熊井城

武居城

妙義山城

釜井館


新たな兵力配備は以下だ


深志城(松本城)  :6700兵


林城  :楠浦虎常 :扶持武士団500兵

福山城 :加津野昌世:扶持武士団500兵

水番城 :米倉重継 :扶持武士団500兵

桐原城 :武居善種・武居善政・武居堯存

霜降城 :花岡善秋

洞山城 :三村長親勢

横谷入城:浅間孫太郎

稲倉城 :千野靭負尉勢

三才山城:赤羽大膳

茶臼山城:諏訪満隆勢

横谷入城:丸山善知勢

赤沢氏館:千野昌房勢

三才山館:千野光弘勢

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