第30話情勢判断・兵力増強

諏訪上原城:大広間


 板垣信方の討ち死にを受けて、俺が諏訪方面の総代官と成った、思惑(おもわく)通りだが少し心が痛い。


「若殿、和田城、中山城、矢ヶ崎城からの伝言を申し上げます。村上と小笠原は、ともに城に兵を集めるも、攻め寄せる気配なしとのことです」


 ふむ、やはり村上義清は、攻勢に出て背後を突かれるのが怖いのだな。躑躅ヶ崎館には信玄がいて、下手に出陣してすきを見せれば、信玄に葛尾城を攻められる恐れがある。


 一方小笠原長時も、噂(うわさ)では名将ということになっている俺が上原城にいるから、林城を留守にして城攻めに出るのは怖いだろう。


 だから自分の城や敵味方勢力の境目の城には、それなりの守備兵を集めておかないと、いつ武田が奇襲や略奪(りゃくだつ)に来るかもしれないと恐れている。まあ俺の夜襲癖はすっかり有名になってしまったから、これからは楽に城取はできないが、常時夜襲に備える敵は大変だろう。


「伝令御苦労、湯茶と雑炊を用意しておる。案内してやれ」


 小姓が伝令を別室に案内していった。


 俺は領民のために、熊笹茶(くまざさちゃ)を普及させた。桑の葉茶も薬効があっていいのだが、桑の葉は人間よりも御蚕様に食べて戴(いただ)かないと、絹の生産ができない。耕作適応地は穀物生産が最優先だから、茶のような贅沢品(ぜいたくひん)には使えない。


 で、茶に関しては、耕作不適応な山奥に自生する熊笹を使い、熊笹茶(くまざさちゃ)を甲斐信濃に普及させることにした。麦焼酎と米麦の物々交換を強行したお陰で、ようやく兵糧に余裕ができた。主食と副食が安定して、やっと湯茶に目を向ける余裕が出てきた。


 だが最近家族の食生活が贅沢(ぜいたく)になった、俺のせいなのだが・・・・・反省!


 問題なのは、信玄がヘシコや塩鯖が大好物なことだ。毎夜ヘシコや塩鯖を肴(さかな)に、アルコール度数の強い麦焼酎で晩酌しているのだ。塩分摂取量の増加が恐ろしい!


 最低でも史実通りの寿命までは、生きてもらわなければ困る。でだ、糖尿病の予防、高血圧の予防、毒消し、胃炎、口臭、口内炎に薬効があると記憶していた。だから信玄に、熊笹茶を飲む事をすすめたのだ。


 それに副産物として、熊笹を集めることが、領民のよい小遣い稼ぎに成ってると言う報告も受けているから、まずまず成功したと思う。


「若殿、関東の情勢ですが」


 おっといかん、また前世の様に夢想癖(むそうへき)が出てしまった、家臣の前では集中しないと。


「うむ、どうなっておる黒影」


「12月に太田資正が、兄の死で当主不在になった岩槻城を攻め、実力で家督を奪い取りました」


「兄は太田資顕と言ったか? 嫡男はいなかったのか?」


「は、娘と孫娘だけだったようです。娘は遠山綱景の嫡子藤九郎に嫁いでいましたが、藤九郎が死んでしまい、資顕が引き取っていました。ところが太田資正は、非道にも亡き兄の妻と合わせて三人とも追放してしまったようです」


「外道だな、養子を送り込まれて本家を奪われるのを嫌ったともとれるが、兄嫁や姪を幼き子とともに追放するとは、心根が悪すぎる! 今後関東の調略が必要になっても、決して味方に招くでない。時が来れば、必ず討ち滅ぼしてくれる!」


「承りました」


「して3人はどうしておる? 路頭に迷っているようなら、儂が上原城に招こう」


「北条家の家臣、成田長泰に引き取られたようです」


「北条家は扇谷上杉と違って、慈愛で関東を治めているな」


「は、ただそれだけでは終わりませんでした」


「どうなったのだ?」


「岩槻城の親北条派家臣が離脱して北条家に臣従しました。さらには太田資正が本拠地松山城を譲った、上田朝直にまで裏切られました」


「ほう、天罰覿面(てんばつてきめん)だな。太田資正は上田朝直に討ち取られたのか?」


「いえ、討ち取られはしませんでしたが、朝直が北条家に臣従いたしました」


「城まで与えた家臣に裏切られるか、よほど信望がないのであろう。やはり討ち取り候補として書き記しておけ」


「は、承りました」


 俺は素破の収集してくれた情報を整理して、今後味方として重用する人材と、配下に加えても構わない標準能力の人材、心根が悪く信頼できない討滅候補を選り分ける事にした。自分の人物眼が愚かで、寝首を掻(か)かれるのは自業自得だが、そのせいで家臣領民が苦しむことは許されない。すぐに敵にするか味方にするか決め必要のある周辺国の武将はもちろん、歴史上有名な武将の人物鑑定も急ぐ必要があったのだ。


「三河の情勢はどうなっている?」


「織田信秀の嫡男信長と、斎藤道三の娘濃姫の具体的な輿入れ話が進みました。そのお陰で背後の不安がなくなった信秀は、三河安祥城を拠点に岡崎城に侵攻したようでございます」


「ふむ、兵力・編成・侵攻路は?」


「織田信秀は庶長子信広を先鋒(せんぽう)とし、4000兵を率いて安祥城から出陣いたしました。矢作川を渡河して、上和田に布陣しました」


「ふむ、今川殿はどう対応されたのだ?」


「今川義元殿は、松平広忠救援のため1万の兵で出陣させられました。大将は太原雪斎殿、副将は朝比奈泰能殿で、松平軍と合流した後で織田軍先鋒の信広と接触し、小豆坂で合戦となりました」


「そう言えば、朝比奈泰能は田原城を囲んでいなかったか?」


「申し訳ありません、申し遅れました。田原城の戸田一門は、朝比奈泰能殿に打ち滅ぼされ、田原城は泰能殿が城代として管理しております」


「ならば今川殿は、矢作川を挟んで遠江側の安全を確保されていたのだな?」


「確(しか)とは申せませんが、少なくとも渥美半島の織田派の勢力は抑えられたものと考えられます」



「うむ、善繁(よししげ)はどう思う」


 俺は、鮎川勝繁に諱(いみな)を与えて、鮎川善繁に変名させた、長坂勝繁と同じではややこしい。


「は、4000と1万では最初から兵力で織田が劣っておりました。さらに背後で蠢動(しゅんどう)すべき味方が討滅(とうめつ)されては、著(いちじる)しく織田が不利であったと思われます」


「だが動かねば三河は手に入らぬし、味方した戸田が攻め滅ぼされて何もせねば、今後味方に成る国衆や地侍が居なくなるな・・・・・」


「はい、左様でございます。本来は、戸田が囲まれた時点で援軍を送りたかったのでしょうが、諸般の事情で遅れてしまったのでしょう」


「本拠地の背後が心配だったのだろう。黒影続けてくれ」


 話が横道にそれ過ぎた、合戦の経過を聞き今後の参考にしないといけない。特に参加武将の性格や癖を知るのは、今後の戦略戦術を考える上で重要だ。


「今川軍は坂の頂上付近に布陣し、優勢に合戦を進めておりました。しかし信広部隊も劣勢を悟って無理をせず、兵を信秀本隊のある盗木の付近まで後退いたしました。本隊と合流して勢いを盛り返した信広部隊の奮戦によって松平隊が崩され、次第に今川軍が劣勢となりました。ですがあらかじめ今川軍は伏兵を配置しており、伏兵が側面から織田本隊に奇襲をいたしました。その結果織田勢は総崩れとなり、矢作川を渡って安祥城まで敗走いたしました」


「善繁はどう思う」


 鮎川善繁の判断を聞いてみる。


「先ほども申し上げましたが、今川義元殿が敵より多くの兵を集めた時点で、圧倒的に有利であります」


「うむ、至言(しげん)である」


 軍議に集まっている全諸将が、真剣に聞いている。努力を怠(おこた)れば、他の近習ライバルから後れを取ると、前回の村上義清合戦で思い知ったのだろう。俺も信玄も、能力のある者は出自にかかわらず抜擢する。


 信玄はまだ譜代に遠慮しないといけないが、俺は独力で稼いだ金で兵を雇っている。その稼いだ金の範囲で、俺自身が一から教育した者を足軽大将に抜擢しているのだから、一門譜代衆も文句は言えない。信玄の配慮で俺の近習に押し込んでもらったのに、軍議や合戦でまったく活躍できない。それなのに不平不満を言えば、召し放ちになり一族一門に恥をかかせることになる。


「さらに今川義元殿は、背後や内部にある潜在的な敵を討滅した上で、合戦を始めておられます」


「ふむ、合戦での目に見える手柄が大事なのではなく、まずは調略や内政で敵より多くの兵を集め、次いで合戦時に裏切る可能性のある者を取り除くことが、何よりも重要と申すのだな」


「はい、もう一つですが、織田軍は武勇で松平部隊を打ち破っておりますが、合戦場の索敵を疎(おろそ)かにしたため、伏兵の奇襲で敗れております」


「ふむ、武勇よりも索敵を重視せねば、敵に勝る武勇も役に立たないと言うことだな!」


「はい、1に兵力、2に忠誠、3に索敵、4に武勇でございます。」


「皆の者、これで理解できたであろう。内政によって国を富ませて軍資金を集め、多くの兵を養うのが1番の道じゃ。武勇の鍛錬は当たり前の事じゃ、繰り返すぞ、武士が武勇を磨くのは当たり前の事で、他人に誇るような事ではないのじゃ!」


「「「「「は、承りました!」」」」」


「2番は民を富ませ安らかに生きられる国を作るのじゃ、さすれば民は必至で国を守ろうとする。国の守りを民に任せる事ができれば、我ら武士は安心して他国に攻め入れるのじゃ」


「「「「「はっは~、承りました!」」」」」


 さてと、今川が織田を破ったのなら、史実通り桶狭間の合戦は起こりそうだ。ならばどうすべきか?


 史実通り織田松平と組んで、駿河を掠(かす)め取るか?


 今川氏真を支援して、織田・松平に対抗させるか?


 どちらに転んでもいい様に、事前に布石を打っておくべきだろう。だが史実を知っていることは、誰にも言えない秘密だ。ならば今川・北条と組んで、信濃・飛騨・美濃・越後を切り取るための方策としてとして、従弟の今川氏真との友諠(ゆうぎ)を厚くすると説明するか?


 だが具体的にはどうすべきだろう?


 そうだ、信虎爺ちゃんと定恵院伯母ちゃんに動いてもらおう。爺ちゃんは、恐ろしいくらい長命だよな?


 今川家内の事を考えれば、最低でも女傑(じょけつ)の寿桂尼の信頼を得なければならない。旦那の今川氏親が病床にある間は、今川家の政治を指導していたと聞くし、長男の今川氏輝は実質的には寿桂尼の傀儡(かいらい)だったとも言われている。


 今川義元が討たれた後の、今川家のキーパーソンは寿桂尼だろう。ならば、信虎爺ちゃんが寿桂尼の信頼を得ていれば、信虎爺ちゃんが軍師や陣代として登用される可能性もある。


 信虎爺ちゃんを登用させるには、武田家が今川家を裏切り、駿河に侵攻することはあり得ないと、寿桂尼に思わせる必要がある。せっせと文などを送り、個人としても交流しよう。文の送り先は、寿桂尼・義元・氏真・信虎爺ちゃんと定恵院伯母ちゃんだな。


 さて、上原城は松尾信是に預けて躑躅ヶ崎館に行って、いろいろな許可をもらわないと、史実のように信玄に切腹させられてしまう!


 先年分国法で、国衆や地侍が勝手に他国と交渉したり、手紙のやり取りをすることは禁止と定めた。信玄に許可を取り、信玄と俺の2人が署名し花押を押した物以外は偽書としよう。それと今川義元は、とても猜疑心(さいぎしん)が強いと素破から報告を受けている。全ての手紙は、一旦義元に届けて読んでもらい、それから各人に転送してもらおう。


 俺の記憶が確かなら、織田から寝返った領主が、再び織田家に寝返る事を疑われて、今川義元に殺されていたはずだ。信虎爺ちゃんと定恵院伯母ちゃんが、殺されるような事だけは避けねばならない。


 信玄と義元の検閲なしの文の遣り取りは、絶対禁止だ!






諏訪上原城:善信私室


 俺は飛影・闇影・黒影・鮎川善繁と内密の軍議を行った。


「闇影、武田の国衆や地侍に叛意(はんい)のある者はおるか?」


「小山田殿と穴山殿は半独立状態です。もし武田が不利になれば、裏切る事を覚悟しなければなりません」


「具体的な動きはないのだな?」


「今のところは大丈夫です」


「善繁は兵の配置をどう思う?」


「曽根昌世殿が和田城で、村上と小笠原に睨みを利かせておられます。和田城には今田家盛殿が500兵、中山城には滝川一益殿が500兵、矢ヶ崎城には相良友和殿が500兵で守りを固めておられます」


「うむ、葛尾城の村上義清と林城の小笠原長時に対する楔(くさび)としては、これで十分だと言うのだな?」

 

「はい、それに甘利信忠殿が、妻籠城で扶持武士団1000兵を率いて、美濃斎藤と飛騨三河に睨みを利かせておられます」


「うむ、木曽は手に入れたばかり、民政を厚くして忠誠心の育成に重点を置きたい。信忠には連絡を密にさせよう」


「はい、そのように手配いたします。次に飯富虎昌殿ですが、青崩城砦群で扶持武士団1000兵と子飼い800兵を率いて、美濃三河国境線に睨みを利かせておられます」


「ならば国境線の手配りは大丈夫だな?」


「はい、大丈夫だと考えます。ただそのせいで若殿の上原城には、扶持武士団1800兵と足軽800兵の、合計2600兵しかおりません」


「守備や籠城には十分だが、攻勢をかけるには不足と言いたいのか?」


「御意(ぎょい)!」


 さてどうする?


 兵糧は十分だ、全く収穫がなかったとしても、1年は甲斐の民を喰わせていける。足軽を集めすぎると、銭で雇った足軽が主力の尾張織田信長や、畿内三好軍が兵力不足となり、歴史を変えてしまいかねない。だが兵は必要だ、甲斐・信濃・飛騨・越後・武蔵・駿河・遠江だけから足軽を集めるか?


「北条殿・今川殿と争わないように、甲斐、信濃、飛騨、越後、武蔵、駿河、遠江だけから兵を集めてくれ」


「承りました」

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