第47話宗教改革・高良山座主と種子島寺門主

1536年11月『筑後国・柳川城』種子島左近衛将監時堯・8歳


「丹波殿、高良山座主の座を正統な神代家に返されよ」


「しかし武蔵守殿」


「家臣や末社・末寺にも見放されたのであろう、形だけの座主の座から降りた方が丹波殿のためだ」


「ではいっそ若殿にお譲りする訳にはいかないだろうか?」


「なに?!」


 丹波良寛を説得していた蒲池武蔵守鑑久がさすがに驚きの声をあげた、いや俺自身も驚いた。まさか俺に座主の座を譲ろうとは思わなかった。だがこれは決して悪い話ではない、政教分離は成し遂げたいが、俺が神仏の生まれ変わりと言う噂は絶えない。と言うか俺自身がその噂を利用していたのは確かだ。


 今の今まで、先代座主の嫡男・神代勝利を高良山座主に据え政教分離をする心算だったのだが、勝利の武勇は俺に武士として活用したいと思わせるほど突出している。勝利を座主にしてしまえば、政教分離は難しくなる。ここは俺が座主となり、僧兵は寺社から切り離して武士とし、真っ当に神仏を敬う者だけを残そう。


「武蔵守、良寛の申す通りにしよう」


「は!」


 その後俺は支配下の全寺社の宗教改革に取り組んだ。特に僧兵の存在を取り締まり、寺が武力を持って領民を害することが絶対ないようにした。特に気をつけたのは肥後の阿蘇大宮司家だ、出雲大社の千家家・北島家と同じく、朝廷が日本を支配する前から土着の首長家・神の子孫を自称している家だ。


 だが今の阿蘇大宮司家は、兄弟間の内紛によって力を失い俺の家臣となっていたので、強引に宗教改革を推し進めた。武家として家の繁栄を目指す者は末社から切り離し、神社からは神器以外の一切の武器を取り上げ、神社に仕える侍の存在も許さなかった。


 最終的に恐ろしことになってしまったのだが、高良山座主を兼務しつつも神仏混淆の種子島寺を創建し、種子島寺の下に支配領域全ての寺社を置くことになった。


「高良山」

 山頂に高良山奥院・中腹に高良大社があり、山麓の四周には多くの末社・末寺が本山を護る砦のように存在する。高良山座主の権力は、房舎3860房、本領3800町、全社領7300町を擁して、草野鎮永と対立した。宮地邑渡利に館を建て、宮地五郎丸を領有した。

1586年の「九州討伐」では、島津義久に属して羽柴秀吉勢と戦った。


「現高良山座主・丹波家」

丹波良寛・筑後国十五城・

丹波麟圭・良寛の弟

孝道・良寛家臣・大宮司職


「元々の高良山座主家・神代家」

神代宗元・肥前・千葉興常に保護される

神代勝利・神代宗元の嫡男

     三瀬城主・野田宗利(三瀬宗利とも)に請われてその剣術師範

     弟子は500名・山内二十六ヶ山の総領

福島利元・神代宗元の長男

神代宗光・神代宗元の三男

千布宗利・神代宗元の四男

神代長良・神代勝利の嫡男

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