3.二人の人影
昼間のひと悶着を終え、街のあちこちで稼働する蒸気機関の音だけが響き渡る夜。
「いよっす!」
玄関前で立っていたノエとベディに、後ろから元気よくフォルトゥナートが声を掛けた。その傍にいつもいるはずのヴィンセントの姿は、今日はなかった。
「誘ってもこなかったの?」
「そんなしょうもない仕事、やるかってさー」
唇を尖らせているフォルトゥナートに、ノエは小さく口元を綻ばせて「ヴィンスらしいね」と呟いた。
フォルトゥナートはくすくすと笑うノエにつられて、にっと口角を上げる。それから「よし、行こうぜ!」と元気よく夜の街へ歩き出した。
「行こうか、ベディ」
「はい、ノエ」
その後ろを、ノエとベディが並んで歩いていく。
ウォーカーの目撃情報があった場所は、ストランド・ストリートと、比較的異端取締局から近いので、三人は馬車に乗ることはせずにゆっくりと歩いていくことにした。
等間隔に付いたガス灯の仄かな明かりが、三人の足元を照らす。
「それにしてもウォーカーかぁ、懐かしいよなー」
「だね」
「お二人で、何度も戦ったことがあるのですか?」
「おぅよ。局に務めてる魔術師で、ウォーカーを倒してない奴はいないだろうな」
フォルトゥナートは、ケラケラと笑いながらそう言う。
ウォーカーは、たくさんの人々で構成されている大都市ロンドンにおいて、出現率の高い異形なのだ。遭遇率も非常に高く、たびたび局員が討伐にいく。したがって、ウォーカーはどういった異形なのか、他の異形よりも的確な分析をされている。そのため、新米局員が狩りに行く異形として、非常にポピュラーな存在に位置づけられている。
「まぁ、だからといって気を緩めていい相手じゃない。警戒は怠らないようにね」
「はい、ノエ」
ノエの忠告に、ベディはすぐに応じた。
そんな取り留めのない会話をしていれば、あっという間に三人は、ストランド・ストリートへと辿り着いた。
ノエとフォルトゥナート二人の経験により、真っ直ぐ伸びる人通りの多い本通りではなく、その通りに繋がる路地裏などの探索を、屋根の上から行なう。
三人は、パイプを足場にして器用に駆け上がり、キョロキョロと周囲に視線を向ける。
相手は、幽霊の集合体。普通の異形に比べると白い蒸気煙に紛れやすく、ハッキリと形を捉えるのが難しいのだ。
「見当たらねぇなー」
「……ベディの魔力感知は、自分以外には出来ないかな」
「恐らく不可能かと。魔力供給源たる主人をすぐに見つける為の機能ですから」
「そうだよね」
地道な方法でしか、ウォーカーを見つける手立ては無かった。屋根を渡る静かな三つの足音が、蒸気機関の稼働音にかき消されていく。
変化を見つけたのは、四つほど屋根を越えた時だった。フォルトゥナートが、あるものを見つけて足を止める。
「どうしたの、フォル」
「あそこ」
フォルトゥナートが、顎先で路地裏を指し示す。
ノエが目を凝らして見ると、二つの人影が確認できた。白い蒸気煙に紛れ形を捉えるのが精一杯だが、影の大きさからすると、大人と子どもくらいの差がある。
娼婦とそれを買った男か。
「外の出歩きは、注意しといた方がいいよな?」
「……自分達の仕事は、あくまでも『異形を殺すこと』だ。人間に声掛けするのは、業務内容的には行き過ぎたことに」
「ノエ、フォルトゥナート様はもう降りられてますよ」
「は」
ノエが先程までフォルトゥナートが立っていた場所へ目を向けると、そこに居たはずの彼の姿はない。彼は器用にパイプを足場にして下っていた。
「いかがされますか?」
「……ベディ、自分達も降りよう。フォル一人だと、色々面倒なことになるかもしれないから」
「かしこまりました」
「っうわ、えぁ、ちょっと!」
ノエの言葉が言い終わるや否や、ベディは彼女の身体を横抱きにし、ぴょんと躊躇いなく建物から飛び降りる。
ノエが声にもならない悲鳴を
フォルトゥナートもほぼ同時に、路面に足を付けた。それから
「すっげぇなぁ、ベディ!」
「いえ、大したことではありません」
「……き、君らさ、ほん、と……。ベディも、降りる時は、事前に降りるって言って……。気持ちがさ……」
「かしこまりました、ノエ」
ノエは頭を抱えたい気分を何とか殺し、少し離れた場所に居る二人へ目を向ける。
先程よりも距離が近付いたことにより、二つの人影の様子が分かる程度になって来た。
背の高さからして、二人共男。一人はどこかキョロキョロと周囲に首を振って、落ち着かない様子だった。対してもう一人は、壁にもたれかかって瓶を口に持っていき、顎を高く上げて何かを飲んでいるようである。
奇妙な組み合わせだ。
「……一応、声掛けとこうぜ」
「まぁ、ここまで来たなら声を」
掛けるけど、とノエが口を開いた時だった。ベディの目が僅かに見開かれ、ノエの外套を軽く引く。それに気付いたノエが、彼の視線の先を追った。
そこには、白い蒸気煙の中に混ざって、黒い煙のようなものが入り込んでいた。通常の煙とは違い、右往左往したり上下移動をしたりと明らかに煙とは異なった動き方だ。
ノエがフォルトゥナートを肘でつつき、彼に同じ場所を示すと、彼もまたこくりと頷いた。
十中八九、ウォーカーである。どうやらあの二人の品定めをしているようだ。
「……民間人の安全を優先」
「分かってるっての!」
「ベディ、ウォーカーの動きを警戒しておいて。フォルが場所を移動させている間に、襲ってくる可能性もあるから」
「はい」
ベディが静かに返事を返すと同時に、フォルトゥナートが二人の人間の元へと歩いて行った。ノエとベディも、彼の後ろへ続いた。
「どーも。こんばんは!こんなところで二人、何してんの?」
フォルトゥナートが気さくに声を掛けると、二人の顔がこちらを向いた。
「やぁやぁ、こんばんは。良い夜だなあ」
フォルトゥナートの声に答えたのは、酒瓶を持った男だ。ふわりとジンの匂いを漂わせている男は、フォルトゥナートの声に答えると、再び瓶に口を付けた。
ウォーカー達が、揺れる。今のところすぐ襲うということはしないようである。
「俺様達、取締局の局員で、今は夜間見回りをしてんだ。こういうところは、
「なるほど、政府様の手足か。こりゃあ言うこと聞かねぇとまずいなぁ、坊主」
男は、酒焼けした声でかかかと笑いながら、独特な形をした口髭を触る。
ノエは、まったく口を開かないもう一人へ視線を送る。男は、ふいっと彼女から逃げるように視線を外した。
「……失礼。貴方達の関係性を聞いても構わないでしょうか?」
「あぁ、いいとも。ただし、まずはこの場所を離れてから、なんだろう?行くぞお、坊主」
奇妙に思ったノエからの問いかけに、男は飄々とした様子で答える。そして、フォルトゥナートの後ろに回った時、逃げることを察知したウォーカーが実体化して動き出した。一番後ろにいた無言の彼へ向かって、四体ほどが一直線に襲い掛かる。
「ベディ!」
「はい」
ノエは、すぐさま男の手首を掴んで引き寄せ、すかさずベディが庇うように前へ立ち、ウォーカーを剣で切り裂いた。
切り裂かれたウォーカーは、金切り声を上げながら黒いモヤの部分へと後退する。
「大丈夫ですか?」
黙りこくったままの彼へ、ノエは問いかける。青い顔をしている彼は、その言葉にこくこくと頷いて見せた。
「……フォル、ここは自分とベディで」
「そういうわけにもいかなくなってきたっぽいぞ、ノエ」
フォルトゥナートの視線の先。そこでも黒いモヤが渦巻いている。挟み撃ちだ。
「おうおう、向こうもなかなか頭が良いねえ」
このような状況下に置かれていながらも、男は笑いつつ呑気に酒を飲んでいた。随分と余裕に構えた印象だ。どうやら彼は、生粋のロンドン市民らしい。
「ったく、変な悪知恵ばっか持ちやがって」
「フォル、好きに動いていい。出来る限り自分がサポートする。……二人もいいですか、そこから動かないように」
ノエの言葉を受けて、フォルトゥナートは素早く手を構えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます