3.金色の人狼
金色の人狼は、一声高く吠えたかと思うと、尋常ならざる速さで太い腕を振るった。
ノエはあらかじめ生み出しておいた黒い糸を素早くより合わせ、太い糸にしたそれらで人狼の一拳を受け止める。
「ッぅ……!」
強い衝撃に軽い身体が仰け反りそうになるが、ぐっと足を踏ん張って耐える。
金色の腕は、鋼鉄にも近い強度を誇る黒い糸の上を滑り、衝撃波は硬いはずの路面を容易く抉った。大きな砂煙と礫が飛び、ノエを始めとしてヴィンセントとミーアの二人にも襲い掛かる。
「ッこの!」
フォルトゥナートは風の弾丸を連射し、周囲の人狼が伏したのを確認し、三人の元へ駆けようと試みる。しかし、その行く手を手負いの人狼が塞いだ。
ぎりり、と彼は唇を噛み、奥歯を鳴らした。
「邪魔だっての!」
更に風の弾丸を重ねるも、人狼は止まらない。
切迫したフォルトゥナートがガンド撃ちの構えを取ったその時、背中に輝く剣が人狼の肉体を切り裂いた。
「お怪我はございませんか、フォルトゥナート様」
「ッありがとな!」
フォルトゥナートの礼の言葉にベディはこくりと頷き返し、二人は金色の人狼の元へ駆ける。
砂埃が濛々と立ち込める中であるのに、巨大なその人狼の姿は隠れていなかった。金色の人狼は、太ましい腕を振り下ろそうとしていた。
フォルトゥナートは立ち止まり、ガンド撃ちの構えを取る。
「
フォルトゥナートの魔力が込められた呪いの弾丸は、金色の人狼の腕に当たった。しかし相手は怯むことなく、最初に狙いを定めていた位置からずれた場所に拳を叩き込んだ。
再び煙が舞い上がる。
「ちょ、ちょっと、げほっ、何ですのこれ!?どこですのよ、ここ!どういう状況なの!?」
「ッあー、本当うるせぇですね!」
煙る視界の中、フードをしっかりかぶって目に砂粒が入らない様に気を付けながら、ミーアは隣に座っているヴィンセントへ噛みつくように言う。そんな彼女をヴィンセントは軽くあしらいながら、姿の見えないノエの背中を探す。
近くにいたはずだというのに、巻き上がった砂と埃のせいで、数インチ先のものですらはっきりとは見えない。
そんな二人の横を、ベディが駆ける。彼には見えずとも、感じることが出来たからだ。
「ノエッ!」
黒い外套と黒い糸。
ベディはそれを視界に捉えた瞬間、金色の人狼の位置を把握して、その拳に半ば剣を叩き付けるように斬り付けた。
「ベディ!」
ベディは、驚きと共に伸ばされたノエの手を取り、更に人狼の指の付け根に剣を差してから、
「ノエ、お怪我は?」
「大丈夫だよ。——ベディ」
「はい」
ベディは短く応じ、ひょいっとノエの身体を抱き抱えスピードを上げる。
金色の人狼は、ノエのことを執拗に狙っていた。ベディが突き刺した銀の剣のダメージをものともせず、鋭く尖った爪でベディの背を狙う。
それをノエは黒い糸で弾き、軌道を変化させる。
「ッベディ、人狼の背後にあるホームの場所、行ける?」
「かしこまりました」
ベディはぎゅっとノエの身体を強く抱き、ぐっと強く足を踏み込んで跳躍した。
「ここが、最適な場所ですか?」
「他の人狼は、ここに自分達が居ても襲ってはこなかった。恐らく、何らかの魔術が仕掛けられてるんだと思う。……ベディ、皆をここに」
「はい」
ベディは素早くホームから降り、砂煙が立ち込める中から素早く三人を探し出す。三人を掬い上げるようにして抱き抱え、再びホームの硬い地面に着地した。
「ッちょっと!どういうことになってるのよ!?」
ミーアは、きゃんきゃんと子犬のように喚きながら、金色の人狼を指差して問い掛ける。
彼女からしてみれば、意識を失った次の瞬間には、今までの人狼とは規模が違う「怪物」が起きていたのだ。半ばパニックになるのは、ある意味では当然でもあった。
フォルトゥナートが溜息混じりに「うるせ」と呟けば、ミーアがまた彼に噛み付くように発言を重ね、二人の間で口喧嘩が勃発する。
だが、ノエとヴィンセントは止めることなく、金色の人狼の動きを見ていた。
ホームめがけて、硬い拳が振り落とされる。
しかし、その腕はホームの床に当たる直前で、不自然に歪曲して弾かれていた。
「反発させる魔術が掛けられてるみてぇですよ。どこかに魔法陣か、触媒があるかもしれねぇですが……、それの補強は厳しいですね」
「つまり、耐えられるのはあと十数発くらいか。ヴィンスは、あの魔術はなんだと思う?自分にはさっぱり、見当もつかなくて」
「俺にもさっぱりですね。まあこういう時は、教育機関に入ってた二人に聞くべきでは?」
ヴィンセントはそう言って、言い争いをしている二人へ目を向けた。
先生からの偏った魔術知識と、ウェルズリー家の魔術書からの知識を得ているノエと、時計塔魔術学校に所属していなかったヴィンセントでは、どうしても持っている
対して、フォルトゥナートはイタリアの魔術協会「黒の協会」で幼少期から学んでおり、ミーアは飛び級で卒業試験を受けるほどの学生である。
今、冷静に現状を把握している二人より、言い争っている二人の方が、学があるのだ。
「おい、そこの二人。あれが何の魔術か分かりますか?」
ヴィンセントに声を掛けられて、不毛な言い争いはあっさりと中断される。
「知らないですわ。私、自分の扱う魔術以外に興味ないですもの」
「あー……、お前にはまぁ、そんなに期待してなかったです」
「な、なによ!当然でしょう!私は、ウェルズリーの分家、エンペントルの娘。不要な知識を付ける必要はなかったんですもの!」
魔術師は、研究に力を注ぐ生き物である。したがって、魔術研究を進めるには、一分一秒すら惜しい。無駄な時間は不必要だ。
そういった考えは、歴史のある名家ほど深く浸透しているので、自身の家で進める魔術研究に関する科目以外受講しないという学生の存在は、別段珍しい話ではない。
ミーアは頬を膨らませ、そっぽを向く。
ヴィンセントは溜息を吐いて、それからフォルトゥナートへ視線を向けた。
「フォルは?」
「分かるぜ、
対するフォルトゥナートは、あっさりと金色の人狼を見ながらそう言った。
人狼は未だ、堅牢なるホームの床面を砕こうと拳を振るっている。
「確か、
「そんな長々と講釈を聞いてる暇ねぇんですよ!端的に!」
「え、えと!身体の一部や全身を、特定の獣に変質化させたり、変身したりする魔術っ!強い集中力とイメージ力で、自らの内側にある本能部分を引き出して、その本能に近い獣の幻影を身に宿したり、能力を得られたり出来るってやつ!」
「強い、集中力とイメージ力、か」
ノエはフォルトゥナートの言葉を頭の中で反芻させ、それから金色の人狼を見上げる。
「……いかがいたしますか、ノエ」
「とにかく、殴る」
「は、それ作戦って言えますの?!」
ノエのシンプルな言葉に、ミーアが慌てふためいた声を上げた。
「あぁ、奇遇ですね。俺も同じようなこと考えてましたよ」
「そう?」
「なぁ、ノエー。魔法薬ってもうねぇのか?」
「あと二つかな。一つ欲しいってこと?」
「欲しい」
「はいはい」
「ちょっと!私を無視しないでくださいます?」
ノエは人狼を真っ直ぐに見ていた瞳をミーアへ向け、それから目標である人狼を指差した。
「簡単な話だよ。出来る限りあの
「は、はぁ?!そ、そんな非合理的な…っ」
「でも、それしか方法はない」
痛みは、魔術師にとって見れば、魔術を発動させる上で、最も邪魔になる要因である。だからこそ、それが気にならなくなるように
チェルシーは、見た目の年齢から考えると、魔術師としてはまだ幼い。
ノエは、チェルシーの痛みに対する耐性は、かなり低いと算段を付けた。だからこそ、この場の魔術師全員でそれぞれの得意魔術で殴るという正攻法にして、非正攻法とも言える作戦が一番良いと考えた。
「硬そうな幻影ですね。剥がせるでしょうか」
「何言ってんだ、剥がすんだろ?」
魔法薬を飲み終えたフォルトゥナートの瞳には、既に好戦的な色が宿っている。ヴィンセントは溜息を一つ吐き出して、しかしその表情はフォルトゥナートと同様に、いささか輝いているようにも見えた。彼は、機械仕掛けのカラスを腕に止まらせた。
「二人共、闇雲に突っ込まないで。時間も魔力も大きく消費しない程度に、効率的に叩くべきだ。それとミーアにも、手伝ってもらう事はある」
「………あら、貴方の言い分だと、私は単体には不向きなのでしょう?」
「陽動だよ。ヴィンスとミーアには、フォルとベディの魔術が発動するまでの時間を稼いで欲しい。作戦はある」
ノエはふっと小さく微笑んで、人狼の拳でひび割れつつあるホームの床を、かつかつとブーツで音を鳴らした。
「さぁ、———狩りを始めよう」
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