5.霧に解けた貴方

「───い、──ディ、─っかりしろ!ベディ!」


 強い揺さぶりと訴えかける声に、ベディはパッと目を覚ました。そして、勢いよく身体を起こす。

 勢いの付いたベディの頭は、揺すり起こしていたフォルトゥナートの鼻先スレスレを掠め、彼は「っうぉあ!?」と情けない声を上げ、尻もちを付く。

 いつものベディであればすぐに謝るところだが、彼は言葉を失ったまま周囲を見回す。

 腕の中、身体のすぐ横、目に見える範囲のどこにも、愛しき主人の姿はなかった。


「……ノエっ」

「おい、落ち着けよ!無鉄砲に走っても無駄だっての!どこにどう行ったかも分かってねぇんだから」


 立ち上がろうとしたベディを何とかフォルトゥナートが制し、ベディはぐっと拳を握って顔を下へ向ける。

 ノエとベディの繋がりを示す契約紋に、特に異常は見られなかった。

 ノエの身には、まだ命を脅かす危険は迫っていない。今のベディには、それだけしか分からなかった。

 フォルトゥナートは、黙りこくってしまったベディから視線を外し、背後でもぞもぞと動く気配に振り返る。


「ヴィンス」

「っ……、やられましたね。……恐らく栄光の手ハンズ・オブ・グローリーでしょう。この蒸気煙の中なら、蝋燭の煙は紛れますし」


 ヴィンセントは半身を起こしながら、頭を抱えたままぼそりと呟く。


「……栄光の手ハンズ・オブ・グローリー、ですか」

「あぁ。魔術具の一つで、死人の手首を使って作る蝋燭だよ。あの煙を嗅ぐと強制的に眠らされるんだ。そういう魔術がかけられてる。魔術具って、詠唱しなくても発動できるからな。人狼がこっそり持ってたのか…?」

「いや、人でしょう。人狼けものに炎の付いた蝋燭を持つなんて芸当、そうそうできないでしょうから」

「……くそ、完全に嵌められてんのか」


 フォルトゥナートはがりがりと頭を掻き、それから溜息と共にその場に座り込んだ。

 強制的に眠らされたせいか、誰もがまだ意識をはっきりとさせられていないようだった。


「……私は、ノエを探しに行きます」


 ベディが立ち上がろうと、膝に力を入れる。

 そんな彼を見て、フォルトゥナートはヴィンセントに視線を投げた。


「なぁ、ヴィンス」

「……そうですね」


 ヴィンセントはよたよたと未だすやすやと眠っているミーアの元へ、四つん這いで近寄った。


A gentle 優しきlullaby to you.子守歌を君へ


 柔らかく語り掛けるような口調で、ミーアの目元で指を軽やかに動かす。金色の光の粒は、ミーアの目元にキラキラとした粉として降り注いだ。


「何を……」

「睡眠導入の魔術ですよ。眠れない時にかける簡易魔術です」

「どうして、それを彼女に。ミーア様を寝かせておく必要は」

「こうしないと、こいつ、言いふらすかもしれねぇだろ?」


 フォルトゥナートはぐっと下半身に力を入れて、立ち上がろうとしていたベディの方へつかつかと近付いて、ぐっと肩を掴んで座らせる。そして、にこりと人懐っこい微笑みを投げかけた。

 現状では、一番似つかわしくない笑みだった。


「本当はさっさとノエを見つけるべきだからな、手短に。ベディ、?」


 数秒、フォルトゥナートの言葉の意味が分からず、ベディは口を閉じて彼のブルーアイズを見つめる。


「本当にただの使い魔か?違うだろ。ノエに聞いても、あいつ絶対口割らないからな。だからお前に訊いてみよっと思って」


 ベディは、フォルトゥナートに気付かれぬよう、ぐっと奥歯を噛み締める。

 出来る限り口を動かすことは控え、表情も変化させないように気を配っていたのだ。ノエの先生——レイティアが作った、従順な使い魔として振る舞えていた、とベディは思っていた。

 黙してしまったベディに、ヴィンセントは溜息混じりに「君に非はありませんよ」と言葉を添えた。


「俺とフォルは、それなりにノエと付き合いがありますからね。何か隠し事があるようだっていうのも、雰囲気とか癖とかで分かります」

「ま、そもそもノエって嘘吐くの下手くそなんだよ。視線を急に外したり、頭を掻いたりだとか。本人は気付いてないっぽいけどなー」


 くつくつとフォルトゥナートは愉快気に笑い、それからベディのエメラルドグリーンの双眸を覗き込んだ。


「俺様達は、すんげぇノエに助けられた。この恩は返したいと思ってる。だから、お前の存在隠し事がノエにとって良いことか悪いことか、判断しときたいんだ。

 ……お前がノエの傍にいるようになって、ノエの奴、魔術の使い方も変えてるみたいだしさ。だから、そういうのも含めて、俺様達もノエをサポートするのに、お前のことを加味して考える必要があるから、出来れば教えて欲しいんだよ。考える代表のヴィンスの為にもな」

「丸投げすんな」


 視線を鋭くしたヴィンセントに対し、フォルトゥナートはけらけらと笑う。ヴィンセントはふうと一息吐き出した。


「……言いたくなけりゃ、言わなくて構いませんよ。そこまで強く詮索する気はないので」

「……ヴィンセント様、フォルトゥナート様」


 ベディは少しだけ視線を彷徨わせ、それからそっと自身の胸へ手を当てた。冷たく、鼓動も感じられない胸だ。だが、ベディにとっては自分の考えを整理する際に起こす、癖のようなものだった。

 ノエと交わした約束を違えるか、守るか。ノエを助ける手段を広げるか、狭めるか。

 ベディが悩んだのは、一瞬であった。


「フォルトゥナート様とヴィンセント様が、ノエに対して牙を剥かないことを確約してくれるのであれば、自らを明かします」

「分かった。ヴィンスは?」

「助けられた礼を仇で返す人間じゃねぇんで」

「誓います、って素直に言えばいいのによぉ」

「うるさい」


 ぴしゃりとヴィンセントがそう言う。

 二人の言葉を聞いて、ベディはゆっくりと胸から手を離し、二人の瞳を見て口を動かした。


「……私は、ノエの『先生』であるレイティア・エッジワースが生み出した人形ドール。真名は、ベディヴィエール。私は、ノエの笑顔を守る為に、剣を握り戦うことを誓った者です」


 ベディは言い淀むことなく、はっきりとそう言った。

 フォルトゥナートとヴィンセントは同じタイミングで目を瞬かせて、それからフォルトゥナートがぐいっとベディに身を寄せた。そして、彼は手を伸ばしてベディの頬を手で触り始めた。


「え、あ、ふぉ、フォルトゥナート様……?」

「すっげぇ!ヴィンス、人形ドールだって!」

「はいはい」

「本当に俺様達と見た目は変わんねぇな!」


 ふにふにとベディの頬を触り、次に瞳の奥を覗き込まれる。


「目は魔力を込められた宝石で出来ている、だっけか?キラキラしてんな、良く見たら。ってことは契約紋とかいうのも、固有能力スキルとかぶふッ」


 ずかずかと距離を詰めてくるフォルトゥナートの頭に、ヴィンセントは拳骨一発を落とす。暴力で黙らせた。


「すみませんね」

「いえ……」

「それにしても、人形ドールですか。あいつ、人形師になってたんですね」

「にしては、ベディの固有能力スキルを使おうとしなかったけどな。よっぽど俺様達にバレたくなかったんだろうな」

「まぁ、魔術師としては当然でしょう。この世界は裏切りなんてざらですから。能天気なお前には考えられないでしょうけど」


 ヴィンセントはふうと息を吐き出して、それからゆっくりと立ち上がる。


「教えてくださってありがとうございます。決して他言しませんし、俺達が知っていることをノエに教えてもらっても結構です。……それで、貴方が戦いやすくなるのでしたら」

「…ヴィンセント様」

「よし、それじゃあ、ノエの救出に行くか。んで、どうやって後を追うよ?」


 パンッとフォルトゥナートが手を打って、ヴィンセントとベディ双方の顔を交互に見やる。


「……お前も考えやがれ、阿呆」

「だって俺様、頭悪いし?」

「それならさっきの食いつきぶりはなんだってんですか。……はぁ」

「あの、ノエを探すだけなら、私にできます」


 言い合いをし始めた二人の間に入って、ベディが小さく声を上げた。


「どういう方法で?」

「契約紋という繋がりが、私とノエにはあります。それを使って、ノエの魔力が探知できます」

人形ドールってすげぇ!」

「恐らく、主人――魔力の供給源の身に危険が迫った場合、すぐに駆け付けられるように、という防衛機能の一種でしょうね。

 あと、フォル。あんまり大声を出さないように。ノエが隠したがっていることなんですから。あんまりうるさいと、ミーアを起こします。それ以上声を大きくするつもりなら、その記憶ごと飛ばしますよ」

「うぃーす。じゃあ、ベディ、案内を任せていいか?」

「かしこまりました」


 ベディは立ち上がり、するりと自身の左手の甲を撫でる。

 すると薄っすらと契約紋の一部が浮かび上がり、小さな金の糸が人狼達が現れた方角に向かって伸びていた。

 人形ドールと人形師にしか見えない縁の糸。この先に、ノエが居る。


「あっちです」

「分かりました。……フォル、ミーアを」

「ほーい」


 フォルトゥナートは未だすやすやと眠るミーアを担ぎ、ヴィンセントは周囲の様子を確認してから、ベディに視線を投げかける。


「行きましょうか」


 ベディは契約紋が察知する魔力の糸を見ながら、暗がりの中を三人は駆け出した。

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