4.煙、燻る

 駆ける二つの足音が、血痕の後を追う。

 構造上、音が絶え間なく反響しているので距離は掴みにくいが、先行しているフォルトゥナートとミーアの靴音も途切れずに聞こえているので、人狼は話し合いをしている間にかなりの距離を走っているようだった。

 幸いにもすれ違う点検作業員の姿はなく、スムーズにヴィンセントとベディは二人の後ろを追えていた。

 ベディは、ヴィンセントのペースに合わせて足を動かす。


「音はどう?」

「やっぱり、心臓マキナの音が響き過ぎて良く分かんねぇですね。すみません、使えなくて」

「使えないとか言わないで。君の耳は道具じゃない。……それにしても、早いな」


 先行する二人のランタンは見えていない。反響する靴音だけが聞こえるので、何らかの事件に巻き込まれてはいないことだけが、後ろのノエ達には分かる。


「ノエ、少しスピードを上げましょうか?」

「そう、だね。どのくらい引き離れてるか分からないし。ヴィンスも、それでいい?」

「えぇ。っあ?」


 返答を返したと同時に、ベディが間の抜けた音を零したヴィンセントの身体を抱き上げる。そして、一気に加速した。

 ベディが数十歩ほど進んだ辺りで、人狼の力強い咆哮が三人の耳に届く。


「ッ戻って来た」

「……一体じゃねぇですね。少なくとも三体は連れてますよ」


 フォルトゥナートとミーアのランタンが見えたと同時に、二人の明かりが照らす人狼の姿も目に入る。

 先程の手負いの人狼の傍に控えるように、彼よりも少しだけ体格の小さな人狼が四体、唸り声を上げて襲い掛かっていた。

 ミーアの赤い靴が、鮮やかに空中を舞って蹴りを放つ。

 フォルトゥナートの風の魔弾もまた、火を噴いていた。


「ヴィンス、触媒云々とか置いて、一体だけ残せばいいかな」

「えぇ。それで問題ないかと」

「了解。ベディ、二人のサポートに回るよ」

「かしこまりました、ノエ」


 二人の後ろへ着いたベディは、すぐにヴィンセントとノエを路面に下ろした。


「ようやく来たんですの?遅すぎですわ!」


 華麗に踊るように、襲い来る人狼へ蹴りを放つミーア。

 ノエは素早く瞑想メディテーションを行ない、黒い糸で体格の小さい人狼を弾き飛ばす。

 ベディは、フォルトゥナートが対峙していた手負いの人狼と刃を交える。


「ッベディ、危ねぇよ!」

「申し訳ありません、フォルトゥナート様」

「フォル、俺とミーア、ノエとベディで人狼は応戦します。お前には、アレを撃ってもらいたいんですけど」

「何、ガンドか?」

「違います、もう一個の方!」


 ヴィンセントは銀の球体を投げ、羽根を広げた機械仕掛けのカラスを生み出す。

 広げた翼が赤く染まったかと思うと、その翼で人狼の鼻先を切り落とした。


「あっちぃ?疲れんだけど。しかも、あいつら殺すのか?まだ巣まで辿り着けてないだろ」

「プラン変更です。というか、仲間を連れて来れるのであれば、この辺りに巣があるのは明白でしょう。……ずべこべ言わず、さっさとやれ!」

「お前口悪くなってんぞ。まぁ、やってやるけどな!」


 フォルトゥナートは魔弾を撃つ手を止め、次いで手が緩やかに弧を描く。空を描いた金色の光は、一振りの剣を産み落とした。

 ヴィンセントは落ち着いた彼の様子に息を整え、意識を一つに集中させる。

 幼い頃から耳の良い彼が無意識に生み出した、深い瞑想メディテーションの一種である。

 全ての音を聞こうとするのではなく、自らの内から聞こえてくる音だけに耳を傾けるのだ。

 先程は、その手を打つことも出来ないほど周囲が騒音塗れであったが、超大型演算機械デウス・エクス・マキナの音と戦闘音しか拾えない今、ヴィンセントの試みは容易く成功する。

 機械仕掛けのカラスの羽根が、更に赤くなり始める。ヴィンセントが予め注いだ血液とは違う、切り付けた人狼の血液をも体内に取り込んだカラスは、まさに死の使いの如し。


「まだまだ行きますよ」


 ヴィンセントは、小さい人狼二頭の相手をする。

 だが、彼のカラスだけでは近距離に迫られた場合、対処が困難となる。

 その人狼の首に、叩きつけるように黒い糸の鞭がしなる。

 ノエは石壁に背中を付けて、黒い糸をミーア、ベディ、ヴィンセントそれぞれの戦局が優位に働くよう、ささやかなサポートを行なう。

 足を路面に縛り付け、襲いかかろうと大口を開ければ、その顎に黒い鞭を打つ。

 ミーアは眉を寄せ、顔を顰めて低く言葉を吐き出す。


「そんな下手な補助なんて必要ありませんわよ!——見せましょう、魅せましょう!赤い私の死の舞踏デッドエンド・ラストダンスッ!」


 ミーアの声に呼応して、赤い靴はより一層輝きを増す。

 腕を振るいあげていた人狼の上へ飛び乗り、その背骨を砕かんばかりにヒールで踏みつける。

 人狼は咆哮と共に猛烈に暴れ、ミーアの身体を振るい落とした。

 その身体は硬い路面に落ちる前に、ノエの黒い糸の束に抱かれる。


「ミーア」

「ッも、問題ありませんわよ!というか、貴方の助けがなくたって、無事に着地出来ましたしッわひゃっ」


 追撃を目論んだ人狼の鉤爪を、ノエの糸が絡め取って地面に叩き付ける。その背後から、ベディが人狼の背を切り裂いた。鮮血が噴く横を通り過ぎ、ベディはノエの前へ立つ。


「ノエ、問題ありませんか?」

「平気だよ。少しくらくらきてるけど」

「空気穴は有りますけれど、空気自体は薄いですものね。まぁ、貴方の場合?治せなかった障害が原因でしょうけど!」

「はいはい。それでいいから。ベディ、フォルの魔術展開まで時間を稼いで」

「かしこまりました、ノエ」


 ベディは剣を構え直し、もう一体の人狼と対峙する。ノエは手負いの大きな人狼に向かって糸を伸ばし、ヴィンセントのカラスが厚い胸板を一閃する。

 僅かな血飛沫が空を舞うが、それはすべてカラスの体内に収められ、機械仕掛けのカラスは更に強化される。

 ミーアは眉を寄せて、再び地を蹴って人狼へ蹴りかかっていった。

 そうして四人で時間を稼いでいる間に、フォルトゥナートの周囲にはいくつもの造形魔術で作られた剣が生み出されていた。その柄一つ一つに小さな竜巻のような渦が巻き付いている。

 元素置換魔術と造形魔術をいくつも併用しているというのに、彼は研ぎ澄まされた精神力と集中力で制御していた。つうっと汗が伝うのを拭うこともなく、フォルトゥナートは真剣な眼差しで仲間の背中を見ていた。


「ッもいいだろ!」

「分かりました。……全員こちらへ!」


 フォルトゥナートの声を聞き、ヴィンセントが機械仕掛けのカラスを手元に戻して、ノエ達に声を掛ける。それを聞いて、ノエはベディに目配せし、ベディは彼女とミーアを抱えて、一気に跳躍してフォルトゥナートの後ろへ回る。


「ノエ、蒸気用配管パイプの方に糸を!」

「分かったっ。——Henmo es tu Henmo編もう、編もう!」


 ノエの詠唱に応じ、黒い糸は格子状になってパイプの表面を覆い隠した。

 それを引き金に、フォルトゥナートが瞑想メディテーションを切り替える。節のある指がくいッと動けば、それと連動して剣の切っ先も動く。それは走ってくる人狼達に向けられていた。


「ちょっ、地面抉るつもりですの?!」

「ベディ、砂煙とか土煙、気を付けといて」

「かしこまりました、ノエ」


 それぞれの反応を背に負いながら、フォルトゥナートは獰猛に笑う。常の人懐っこい笑みを見せる口元や、優し気なオーシャンブルーの瞳は鳴りを潜める。

 十指が、動いた。口が神秘に繋ぐ言葉を紡ぐ。


Il vento dell'amore愛の風はく è vorticosoるくる intorno, e la 渦巻き、 pioggia di amore愛の雨は taglia attraverso我が身を me stesso.切り裂く!」


 流暢な彼の母国語に応えるように、剣が一直線に人狼達の立つ方向に向かって、弾丸の如く射出される。

 剣の柄に纏わりついていた風が唸りを上げて、人狼達の頭上に剣の雨が降り注ぐ。

 断末魔と、叫喚、最後の咆哮が、ドドドドドという剣の雨の音で掻き消される。

 その魔術が展開していたのは、時間にして十数秒ほど。しかし、その魔術は圧倒的な蹂躙だった。

 濛々と土煙が巻き起こる。後ろで隠れていた面々は、外套とフードで身を縮めてやり過ごした。


「ノエ、怪我は有りませんか?」

「平気。ベディも大丈夫そうだね」

「っぷは、っもう!この音で警備員とか来たらどうしますの!」

「大丈夫だと思いますけどね。フォル」


 ヴィンセントはぱんぱんと外套を払って、ふらふらと揺れている寄る辺ない身体を支えに行く。

 いくら魔力を操ることに長けた男でも、あれほどの複数発動は堪えるものなのだ。

 そっと腰に手をやって、もたれかかりやすいように肩を貸す。


「フォル」

「っあ、わり……」


 目元に滲む疲労感に、ヴィンセントは労うように腰を叩いた。


「なかなか頑張ったんじゃないんですか?ってうわ」


 ずっと重くなった体重の掛け方に、ヴィンセントはそろそろとフォルトゥナートの顔を見る。彼は目を閉じて、深く息を吐き出していた。

 魔力欠乏症の症状の一つか、とヴィンセントは察する。あれだけの魔力を動かしたのだ。身体に何も起こらないわけがない。普段のフォルトゥナートを知っているヴィンセントからしては、少々早いような気もするが、と思ったが。


「あら?何?おねんねの時間ですのっ……?」


 ミーアがくすくすと笑いながら近づいて行こうとし、突然がくりと膝を付いてしゃがみこんでしまった。

 それと同時に、ヴィンセントとノエにも身体に異変が生じる。

 ノエは頭を押さえ、ヴィンセントは急激な脱力感にフォルトゥナートを支えたまま、ずるずるとその場に座り込んでしまう。


「ッノエ!」

「な、にこ、れ」

「ッくそ、わな、」

「駄目……、眠い………、わ」


 四人を襲ったのは、急激な眠気。

 魔力消費による疲れのせいか、フォルトゥナートは早々に穏やかな寝息を立ててしまっている。

 ノエも、ヴィンセントも、ミーアも、何とか抗おうと試みているが、反比例のようにどんどんと瞼は重くなってしまう。

 ベディにもその症状が現れ始める。頭の中がどんどんと重くなり、脱力感が強くなる。

 ミーアが耐えきれずに眠る。ノエも、がくりとベディの腕の中で力を失った。ヴィンセントは奥歯を噛み締めていたが、フォルトゥナートの頭を落とさない様に気を付けている間に、がくりと意識を失ってしまった。


「本当、悪い人達ね」


 唐突に前から声がかかる。

 白い煙の中、ゆらりと現れる背の低い人影。


「私の可愛いペット達を傷つけるなんて。食べちゃいたいくらい怒ってるけど、でも、私の王子様を連れて来てくれたから、特別に許してあげる」


 少しくぐもったように聞こえる弾んだ声。

 ベディの耳に届くその声が大きくなるたび、彼の瞼はどんどん下がっていく。身体が脱力していく。


「ありがとう、御者さん。もういらないから、帰っていいわよ」


 その言葉を最後に、プツンと意識の糸が切れた。

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