2.狭い闇での攻防戦
「ベディ!」
「はいっ」
ベディはノエの声に応じて、とんっと路面を蹴った。ヴィンセントへ唾液で濡れた牙を剥いて襲い掛かった人狼に、白銀の刃を振るう。だが、それは人狼の硬い爪が受け止めた。
「ははっ、やるぜ!」
フォルトゥナートは右手を拳銃のように構え、人狼の足を狙って意識を人差し指に集中させる。
イメージは、弾丸を放つ拳銃。
そのイメージと彼の中の魔力が合致した瞬間、それは形を成す。フォルトゥナートの人差し指に光が集約した。
「
短縮された
「
人狼の気が逸れた僅かな瞬間に、意識を切り替えたノエの十指が動き出す。
指先が軽やかに空間の中で紡ぎ出すと、黒い糸はベディの足場を形成した。ベディはそこに着地する。
「……やはり、硬いですね」
衝撃にびりびりとする腕を軽く振るい、剣の柄を再び強く握る。
「殺さない程度っていうのが、案外一番面倒ですね」
「しかも周囲に注意しなくちゃいけないのもね。普段も気を付けてはいるけど、今回は気を付けるレベルが違うし」
「そうですね」
傷をあらかた治し終えたヴィンセントは、銀色の球体をポーチから取り出した。
「ま、最悪殺したとしても、この人狼が来た方角に巣があるんだろうけど」
「ですね。……とりあえず、パイプの保護の方を重点的にお願いします。あっちが傷付いて使い物にならなくなったら、最悪国家転覆犯みたいなもんになりますからね、俺達」
「うん、分かってる」
ノエは
その勢いのままに人狼の背中側を取り、剣を素早く構えて背中を斬り付ける。
正面では、フォルトゥナートが次々に魔弾を発射していた。
「
ヴィンセントは、先程のナイフで今度は指先を傷付け、その指で銀色の球体に触れる。そうすれば、銀色のカラスが機械仕掛けの羽根を開いた。
だがカラスの動作は、ヴィンセントの心の状態を示しているかのように、いつもよりもどこかぎこちない。
ヴィンセントは周囲の騒音に顔を顰めつつ、懸命に意識を一つに集中させることに努める。
「喰らえ、喰らえ。——全てを」
ヴィンセントの祈るようなその言葉に、カラスは歯車で組み上げられた機械仕掛けの翼を広げ、ガチャガチャと音を立てて飛び立つ。
そんな彼の様子を見て、ノエは奥歯を噛み締めて踏ん張る。
「ッ
八本の黒い糸は地表を這いながら枝分かれし、丸太のように太い人狼の両足に絡みついた。人狼が暴れて糸を踏むたび、つきりつきりと魔術経路へ痛みが走るが、それを無視して
ベディが
フォルトゥナートの持つ切り札の一つ、フィンの一撃に昇華した風の魔弾を撃つには、装填の時間とイメージ補完の時間が必要となる。
今必要なのは、フォルトゥナートが魔弾を撃てるだけの時間だ。
「フォル!魔弾を撃てるッ?」
「っえあ?魔弾!?分かった!」
分かった、ですぐに撃てるような魔術ではないのだが、彼は元々の魔術センスが高い。すぐにそれを実行して見せる。それが彼の強さだった。
フォルトゥナートは人差し指だけ向けていたのを、中指を沿わせて他の指は折り曲げた構えを作る。
彼の魔力を最大限に近い形で集結させる構えにして、ガンド撃ちと呼ばれる呪い独特の構え。
フィンの一撃に匹敵する風の魔弾が、フォルトゥナートの指から放たれる。
「
周囲の空気や蒸気煙を切り裂いて、その魔弾は人狼の背後から腹部を撃ち抜いた。
人狼は痛みに吠える。
その声は狭い空間に響き渡り、ビリビリと全員の肌を震わせる。
幽霊や一部の怪異が用いる精神攻撃の一種、
常ならば何ともない声でも、既に耳からの情報処理に参っていたヴィンセントは、顔を顰めてがくりと座り込んだ。
「ヴィンス!」
「問題ないです。ただ、これで二体、三体と増えなければいいですが……!」
あれほど大きな遠吠えで、更にこの空間は音が響きやすくなっている。その声が仲間を呼ぶ可能性は、非常に高い。
人狼は、フォルトゥナートに狙いを定め、鋭い爪で切り裂こうとしたが、その腕をベディが勢いを付けた剣撃で弾き、狙いを反らさせる。
人狼はベディを叩き潰すように、腕を大きく振りかぶって彼の剣へ振り落とす。ベディは両足を開いて踏ん張り、その強撃を何とか受け止める。
彼が
ノエはベディの表情を読み取り、フォルトゥナートの背中に問いかける。
「ッフォル、魔弾の装填時間は!?」
「そう何度も撃てねぇよッ!十分くれ!」
「……やはり、殺す気でいかねぇと、厳しいみたいですね」
「いや、そもそもあの時倒した人狼よりも強いよ。……ヴィンス、魔眼は?」
「もう少し動きを抑えねぇと、厳しいですね。あれだけ激しく動かれると、凝視出来ない」
ノエはぐっと奥歯を噛み締めて、再び指の先から糸の先までイメージを伸ばしていく。動きを少しでも制限して、ヴィンセントの魔眼が少しでも使いやすい舞台を仕立てようと動く。
ノエの意志に呼応するように、黒い糸の先は、人狼の足からどんどん上へ這い上がって行く。しかし、人狼はベディの剣撃を腕に受けながら、這いあがってくる糸を振り払うように地団駄を踏み始めた。暴れる人狼の動きで、糸が次々に引き千切られていく。
鋼鉄を誇る強度のある特殊な糸だが、ノエの魔力が薄れつつあるためか、その強度が落ちていたのだ。
千切れる度に、ノエの手の甲や前腕に裂傷が入り、ゆっくりと血液が零れ出す。だが、引き攣った痛みも千切れる糸も全て無視して、ノエはどんどんと糸を編んで伸ばしていく。
黒い糸は、人狼の
「ノエ!「ベディ!」」
制そうとしたヴィンセントの声をかき消すように、ノエは声を張り上げる。彼女の瞳は、人狼の背中で見えないベディの双眸を見据える。
ベディはノエの声に応える代わりに、ぐっと柄を握る。
そして落とされる鋼鉄の爪を弾いて、ぐうっと半身を後ろにそらして勢いを付け、先程とは逆に、人狼を路面に叩き付けるように剣撃を振るった。
人狼の小さな穴の開いた腹部に、斬傷が走る。血液が、内腑の一部が飛び散る。
まるでスローモーションのように倒れていく身体に、ヴィンセントがすぐさま眼帯を取り外した。
暗がりの中で、サンセット・パープルの瞳が露わになる。
「断ち切れ」
その言葉と同時にすぱん、と三角の耳の片方が切れる。
人狼は叫ぶ。絶叫。絶叫。絶唱。
ヴィンセントは両手で耳を抑え、続けて腕の一本を切り落としてやろうとするも、人狼が痛みでのたうち回り、ぶちぶちと下半身に絡まっていた糸が無造作に千切られる。
「っい……ッ」
ノエがあまりの痛みに耐えきれず顔を顰め、とうとう集中力が切れてしまう。と同時に、糸は光の粒となって、空気の中に溶けるように消えてしまった。
「ノエ!」
「やべっ」
めちゃくちゃに暴れる人狼の太い腕が、パイプに当たりそうになっていた。
フォルトゥナートが腕の位置を反らすべく、風を起こそうと目論むが、詠唱呪文を唱えている間に当たることは明白だった。
ノエが糸の網を張れれば対処出来るが、今の彼女ではすぐに網を張れない。
ヴィンセントがカラスを仕向けるものの、とても防ぎきれる大きさではない。
その時、紺色の外套がホームから飛び降りて来た。
ふわりと風で外套も、その下に身に着けているスカートも、更にその下の白い太腿と金色に輝く紅いブーツも露わになる。
ホームからパイプまで、三ヤードを一息で飛び越え、軽くパイプの上へ着地する。着地した瞬間に後ろ蹴りを放ち、固いヒールを人狼の腕にめり込ませ、ホームの方へ腕を弾き飛ばす。
パイプから曲芸師のように軽やかに降りると、人狼の臀部に回し蹴りを放つ。
臀部を蹴られたことが堪えたのか、きゃうんと人狼は愛らしい鳴き声を上げて、痛む身体を引きずるようにして暗がりの中へと走って行った。
「フン、所詮獣ね!」
翻った外套の裾を直しながら、フードから零れているツインテールの金髪の内、一房を指先に巻き付けながら、鼻を鳴らして胸を反らす。
ノエはぺたりとその場に座り込み、遅れてヴィンセントも背中を付けながらホームの壁にもたれかかる。
全員の視線が、この場に似つかわしくない人物の姿を見ていた。
「ミーア……?」
ミーア・エンペントル。
彼女がそこに立っていた。
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