2.先を知る手掛かり

 ノエはヘンリーの言おうとしていることを察し、微かに息を呑んだ。ベディが口を開く。


「魂への干渉……、そのようなことが可能なのですか?」

「理論だけでは不可能ではない、といったところだな。事実、魔術経路へ働きかける魔術も存在するのだから、魂へ干渉出来る魔術が無いとは言い切れないだろうさ。

 もし、人間の魂を構成する部分を、人狼の魂情報に書き換えれば?あるいはそっくり人狼の魂に置き換えるということすら、もしかしたら可能なのかもしれない」


 ヘンリーは手にしていた鋏の先を、ヴィンセントから人狼の腕へと方向を変える。


「人狼に噛まれて人狼になるという工程プロセスが行なわれずに、この人間は人狼となった。これは事実だ。であれば、魔術というものが関わってくるのでは、と考えるのは妥当な思考転換だ。頭の固い役人共では考えつかないだろうがな」

「その魂への干渉は、日に何度も出来るものなんですか?人狼の出現数から見ても、一日に一匹は作ってねぇと数が合わねぇんですけど。それだけの触媒や魔術式をそう何度も用意するのは」

「あくまでも推論だ。……僕は天才ではあるが、万能ではない。ついでに言うと、君のような魔眼持ちでもないしな。しがない魔術の研究者だ」


 そう言って、ヘンリーはとんとんと、自身の右目部分を叩く。そこは、ヴィンセントの眼帯がある側だ。

 ヴィンセントの表情は曇る。


「一世紀前なら、一笑されて終わりだろうが、今は魔術も技術も進んだ。蒸気機関が生んだ英知の結晶――超大型演算機械デウス・エクス・マキナを始め、高度な演算機械は世に多く出ている。手順を簡略化させることや、触媒の省略なども、これらを活用すれば不可能ではない。……相当知識を持った魔術師には、限られるだろうがな」

「大魔術になる、ってことですね」


 ノエが、ぼそりと問いかけると、ヘンリーは小さくペストマスクを動かした。首肯である。

 天候を変える、災害を引き起こす、悪魔の召喚するなど、膨大な魔力や大量の触媒・生贄を用いる代わりに、世界を狂わせるほどの強大な魔術を発動させる。これが大魔術である。

 魔術協会では、きちんと手続きを取った僅かな魔術師しか行使することのできない、制限された魔術でもある。


「そんなことが」

「可能なのか、どうか。そういったことは些細なものだ。この人狼の存在を説明付けるのに、この推論が一番理論的だというだけだ」


 フォルトゥナートはただ衝撃に口をあんぐりと大きく開き、ヴィンセントは溜息を吐き出した。ベディは考え込むノエを見下ろし、ベディに見られているノエは、ただ黙ったままヘンリーを見ていた。

 衝撃で震える唇のまま、フォルトゥナートはヘンリーに問う。


「それって……、魔術協会の掟を破ってるってことに」

「そもそも、協会への所属は義務ではない、権利だ。事実、協会に所属していない魔術師も数多い。所属していない魔術師が行なうということは、充分に考えられることだ。……おおよそ、その魔術師が抱く研究欲を満たす為に事件を引き起こしたのではないか、と僕は思う」


 研究欲。ただ未知を暴き、知りたいというだけの欲求。それだけの些末な理由でも、魔術師が狂気に染まることは多い。

 その方法が世界の根源に至る方法かもしれない、と自身の腕を――あるいは家系が生み出してきた魔術を――盲目的に妄信しているからだ。目的の為には、手段を択ばない。世間の倫理や常識というものは、魔術師にとっては、無意味なゴミクズ、一つの塵芥ちりあくたに過ぎない。

 そして、そういった一人の研究が、世間にとっての大事件を引き起こすという事例は、決して


「……いずれにせよ、これは人狼ではない。君達に話せるのは、それだけだ。この情報をどう活かすかは、君達の仕事だ」


 ヘンリーは、マスクの下でニヤリと笑った。それから今度は足をどんどんと踏み鳴らす。

 すると、小さなホムンクルス達が一斉に、「みーみー」と激しく鳴きながら、バタバタと腕を上下に動かして、四人を出入口の方へと追い詰めていく。


「ちょ、ちょちょ、ヘンリー!」

「僕はもう話すことは無い。これ以上は研究の邪魔だ。出てってくれ」

「だからって、追い出すことはねぇ…!」


 フォルトゥナートが文句を言い終わる前に、ホムンクルス達に薄暗い廊下へと追い出された。

 呆然としている四人に、ドア脇に置いていたカンテラ付きの杖をホムンクルスの一人が差し出して来た。

 ヴィンセントがそれをゆっくりと受け取ると、完全にピシャリと扉が閉められてしまった。

 四人はしばらく無言になったが、フォルトゥナートがそっと口を開いた。


「………どーする、こっから?」

「一応言っときますけど、片っ端から人狼を捕まえるとか、非合理的なので却下ですよ」

「ヴィンス、俺様の考えが分かんの?!魔眼の力!?」

「やっぱり考えてやがりましたか……」

「ノエ、手を」

「あぁ、うん、ありがとう」


 ヴィンセントは、光の弱くなっていたカンテラに魔力を流して灯す。ノエはベディの手を取って、それから空いているもう片方の手で、やや乱雑な手つきで頭を掻いた。


「ノエ、何か考えがあるんですか?」

「……まぁ、アプローチ方法はあるけど」

「ッ何、勿体ぶらずに教えろよ!」

「っ重っ!」


 のしかかってきたフォルトゥナートに、ノエは眉を寄せて彼を睨む。


「……とりあえず、一階に戻って、……情報員と話がしたいかな」

「まぁ、これ以上ここに居ても仕方ねぇしなー。俺様は乗った!」

「それならさっさと行きましょうか」


 ヴィンセントは、すたすたと来た道を戻り始め、フォルトゥナートが慌てて後ろを追った。ノエは手を繋ぐベディを軽く引っ張り、暗闇の中で柔らかく微笑む。


「ほら、自分達も行こう。置いていかれてしまうから」

「……はい、ノエ」


 ノエとベディも、先を行く二人の背中を追った。


 一階に戻った四人は、ノエの提案した通りに、玄関ホールの奥にある、情報員達が忙しなく動いている情報課のバックルームへと入った。

 バックルームは、日中は目まぐるしいほど忙しなく人が動いている。一般人からの依頼の整理や、依頼を完遂し終えた特務員への報酬書類の作成など、彼らのすべきことは山ほどあるのだ。

 すれ違う者皆、疲労によってか目は充血している。

 ノエは、カウンターテーブルの上で寝そべる緋色の毛の猫を撫でる。そして、その三角の耳に口を近付けた。


「手の空いた情報員、誰でもいいから一名、お願いします」


 そっと口を離すと、猫は大きく伸びをしてから、ゆったりとバックルームの中を歩いて行く。忙しなく動く人の足を、まるで読んでいるかのように、するすると間を縫うように通って行った。


「猫に話し掛けて、分かるものなのですか?」

「ただの猫じゃないよ。伝書猫っていう、中に蒸気機関が組み込まれた猫だ。あの子の中には、録音機器が内蔵されてて、今この中で一番偉い情報課の課長の所に行くようになってる。便利だろう?」

「そのようなものが……」

「ここ五年前くらいに導入されたばかりですからね」

「あな、貴方達が呼んだ方達ですかっ!っきゃあ!」


 パタパタと駆ける足音に顔を向けると、黒髪の三つ編みを揺らしながら廊下を走ってくる少女が見えた。急ぎすぎたのだろう、何も無い廊下でつまずき、顔面からぺちゃりと転んでしまう。手に持っていたいくつかの資料が、周囲にばらまかれる。


「あ、あばばば」


 フォルトゥナートとヴィンセントは、白い目で少女の後ろ頭を見る。

 ベディが駆け寄ろうとしたが、それよりも早くノエが片膝を付いて、少女に手を差し伸べる。


「大丈夫?」

「ひゃ、ひゃい!だ、大丈夫……」


 彼女は大きな丸縁眼鏡の位置を直しながら、目の前の白い手の先に居るノエを見た。そして、白い頬をぽっと赤く染めた。


「……あの」

「は、はひ!だ、大丈夫で、ごごごごじゃりまするるるる」


 熱に浮かされたかのような喋り方に、ノエは首を横に捻った。

 見兼ねたフォルトゥナートが、未だ手を差し伸べた形のまま固まっているノエの肩に手を置き、ポンポンと数回叩く。


「ノエ、そいつから、俺様達依頼受けたんだよ」

「……確かに、放っておけないタイプかもしれないね」

「はぐぅっ」

「どうした君。胸押さえてるけど、病気か何かか?」


 急に少女がぐぅと自身の胸を押さえたのを、ノエは不安げな双眸で彼女を見る。

 フォルトゥナートは頭に手を当てて、はぁと大きく溜息を吐いた。


「……ハァ。ほら、座ってると邪魔になりますから、早く立ちやがりなさい」

「は、はひ!そ、そうです!そうでした!」


 少女は眼鏡のフレームに触れ、それから散らばっていた資料をかき集めて立ち上がる。そして、背筋を真っ直ぐに伸ばして、綺麗に頭を下げた。


「わ、わた、私は時計塔取締局情報員、ベアトリクス・ローラインと申します。貴方達のサポートを承りました。こ、この度はどのようなご用件でしょうか?」

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