Ⅱ.人狼は夜闇に吼える

1.ペストマスクの研究者

 人狼との邂逅から二日後。

 ノエとベディは、フォルトゥナートとヴィンセントに連れられ、時計塔研究機関へと向かった。

 心臓泥棒ハート・スナッチャー事件の際に足を運んだ、幻想図書館と呼ばれる場所から更に地下、地下二階へと昇降機リフトに乗ったノエ達は降りて行く。


「かなり地下深くに、研究施設があるのですね」

「その方が色々と便利なんだよ。こっそりと裏で取引したりとか、非人道的な研究をするのにもね」


 感心したように言うベディへ、ノエが簡単に説明を付け加えた。

 どちらも許されない行為ではあるものの、自分自身の利益の為であれば顧みないのが魔術師であるので、ベディ以外の魔術師三人は顔色一つ変えなかった。

 ガタガタと大きく揺れる昇降機リフトだが、ガガガと音を鳴らしてぴたりと止まった。


「着いたぜー」


 フォルトゥナートがぴょんと降り、ヴィンセントが続いて降りる。彼は、昇降機リフトの傍に置かれている棚から、カンテラの付いた杖を取る。

 カンテラの中を開けて、光源となっている星屑鉱石に触れて魔力を流すと、青紫色の光が薄暗い通路を照らす。

 壁には星屑鉱石を用いた照明器具があるが、それでも足元を見るのがやっとなほどの暗さなのだ。暗順応していない目では、このカンテラの明かりがなければ迷ってしまうだろう。


「行きますよ」

「おー!」


 明かりを持つヴィンセントを先頭にして、三人は後ろへ続く。

 周囲の景色は、歩いても一切変わる様子はなかった。ずうっと続く薄暗く狭い通路は、自分自身が今いる場所を分からなくさせる。

 壁には各区画の番数が書かれた銅プレートが掛けられているが、ベディにとっては迷宮のように感じられた。

 五分程度進んでから、ヴィンセントは『八』の銅プレートの掛けられた部屋の扉を開く。

 開けた瞬間、鼻を刺す鋭い刺激臭が溢れる。薬品の匂いだ。


「よっす、ヘンリー」

「……なんだ、君達か」


 青紫色の光が照らす室内の中、黒い人影が開けられた扉の方へ顔を向ける。その顔を見て、ベディは小さく息を呑み込んだ。

 その顔には、革製のペストマスクが付けられていた。全身黒づくめの衣装と照明の明かりも相まって、亡霊のような雰囲気を放っている。

 部屋の中では、ペストマスクを付けた彼以外にも、小さな子どもが動いている。彼らもそれぞれのサイズに合わせたペストマスクが付けられていた。


「……奥のは、初めて見る顔だな」

「初めまして、ヘンリー・ウォルター博士。自分は、ノエ・ブランジェット。アリステラ・ロザリンド・ウェルズリーの義妹です。こちらは、自分の使い魔のベディです」

「初めまして、博士様」

「ご丁寧にどうも。君の名前だけは知っている。一時期話題だったからな」


 ヘンリーはぶっきらぼうに答え、手先まで覆い隠していた黒衣をバサバサと上下に動かした。すると、忙しなく薬品を運んだり器材を運んでいた子ども達が、彼の傍へと寄っていく。

 機械じみたその動き方は、恐らくホムンクルスの類いであろう。


「四人分、用意してやれ。その後、通常通りに動け。以上だ」


 彼の命令に、彼らはさかさかと動く。そして、四人に手渡されたのは、同型種のペストマスクと、革手袋だった。


「殺菌・滅菌処理を心掛けているんだ。多少視界が悪くはなるが、円滑にこの触媒を売り捌くためにも、それを付けて入って来い」


 ヘンリーの指示通り、四人はペストマスクと革手袋を身に付けてから、薄暗い室内に入る。

 そして、中に入ると、白い手術台が部屋の中に置かれていた。

 その上に寝かせてあるのは、四肢がバラバラになった人狼の死体だ。黒いベルトで手術台に固定され、右腕部分に解剖されている。


「今回は大分原型残して持って帰っただろー?」

「そうだな。この前は腕だけだったからな」

「それで、どうなんです?解析の結果は」

「これは、


 キッパリと、ヘンリーはそう言った。

 フォルトゥナートは目を丸くして、横に立つヴィンセントにもたれ掛かった。


「はぁ?だって、これ!どっからどー見たって人狼だろ!それ以外のナニモンでもねーだろ!」

「っおい、重い!」

「だが、異形殺しの魔術具──牙の弾丸ファング・ブレッドは作れなかった。間違いなく、これは人狼では無い」

「じゃあ何なんだよ!?」

「それが分からないから、困っているんだ」


 フォルトゥナートに荒々しく言い返すヘンリーは、ただじいっと人狼の死骸を見つめるノエの視線に気付いた。


「……ブランジェット」

「ッはい、ウォルター博士」

「何か気になるところがあるのか?小さなことでも、見つけたのならば、教えて欲しい」

「あぁ、いや、考え事です。噛み跡は、無いんですよね?」

「無い」


 噛み跡が無いということは、このニセモノは元々人狼であったことになる。しかし、それが正しいとすると、牙の弾丸ファング・ブレッドが生成されなければならない。


「みー、みー」


 突然、子猫のような鳴き声が聞こえた。

 それに素早く反応したのは、ヘンリーだ。すたすたと、部屋の奥に置かれている研究器材の積まれたテーブルに駆け寄った。その傍らには、小さな子どものホムンクルスが居ることから、鳴き声は彼らのアクションの一つらしい。


「何かあったのか?」

「あぁ。今回は体液も残ってたからな。それの解析結果が出た。……ふぅむ」

「勿体ぶらずに教えてくださいよ」


 ヘンリーは、薄らと色の付いた試験管を揺らし、顎を撫でた。


「人間だな」

「は?」

「その人狼モドキは、だ。人狼じゃない」


 その場に居た誰しもが、ベルトで固定された人狼の死骸を見た。


「っ判定方法間違ってんじゃねーの!?」

「君は僕をなんだと思ってるんだ。今まで失敗したことは一度たりとも無い、天才博士だ」


 ヘンリーは試験管を置き、それを知らせたホムンクルスの頭を労うように撫でながら、四人の元へと戻って来た。


「人狼というくらいならば、人間の血液が混ざっていてもおかしくないのではないのですか?」


 唯一、きょとんとした顔で、ベディはヘンリーに問い掛けた。ヘンリーは、パチパチパチとペストマスクの内側に隠した瞼を動かして、じとりとノエの方へ視線を向けた。


「随分、表情豊かなホムンクルスだな。実に君の優秀さが分かるが、それでもある程度の基礎知識は入れておくことを勧めよう」

「……どうも、ご忠告感謝します、博士」


 ノエは小さく頭を下げて、ヘンリーはベディの方へ向く。


「人狼の血は、人狼の血なのだ。吸血鬼の血が吸血鬼の血であるように、人間が人間の血であるように。つまり、これが人狼であるのならば、人狼の血でなければならないということだ」

「……成程。良く分かりました。ありがとうございます、博士様」

「……フン、まぁ良い」


 ヘンリーはそう言ってから、ぱんぱんと今度は手を鳴らした。すると、小さなホムンクルス達は、今度は椅子と作業道具を乗せた配膳用ワゴンを運んできた。

 ヘンリーは運ばれた椅子に座り、くるくると作業道具の中から、大きな鋏を取り出して手先で遊ぶ。


「じゃあ、あんたはどういうお考えなんですか?」

「僕は、この状況を『人間が人狼にされている』と定義する。それを可能とする方法はただ一つ、魂への干渉術式だ」


その言葉に、ノエは先日の任務を思い出して、僅かに眉を寄せた。


「は?干渉術式って……何?」


 フォルトゥナートは首を捻りながら、そう言った。

 その発言に、ヘンリーはぴっと鋏の先をフォルトゥナートへ――正しくは今彼がもたれかかっているヴィンセントの喉元へ――向けて、軽く鋏の先を上へ上げた。


「……何故、何故僕がこんな初歩的な知識を披露しなければならないんだ」


 ヘンリーは明らかに苛立った声を零し、じろりと四人の方を見て、小さく舌を打った。ペストマスクがその音を軽減させていたが、明らかに舌打ちの音だ。


「そうだった。後期組でも、君達は魔術学校に通ってない方だったな」

「俺は、地元ナポリの学校で勉強してたぞ。中途退学だけど」

「知識を持っていてもそれがすぐに引き出せなければ、学習していないのと同じだ!」


 ヘンリーは頭を抱えて、それから大きく溜息を吐き出した。


「干渉術式はその文字の通り、何らかの事象に対して干渉して、改竄する術の方程式のことだ。最たるもので言えば、魔術師が行使する魔術というのもそうだ。魔力を用いて物理法則に干渉し、改竄し、魔術を発動させる。その時の反応として光が生じてしまうわけだが、ここら辺は割愛しよう、今は必要ないからな」


 まるで呪いの言葉を言い放っているかと思うほど低い声で、早口で一息にヘンリーは告げる。その声音には、明らかに沸々とした怒りが籠っていた。

 魔術師は研究する生き物でもある為、その基礎知識を持っていないというだけで、研究員であるヘンリーにはあり得ないことであるのだろう。

 ヘンリーは上がっていた肩を下ろし、頭を抱えて首を振るった。


「そんな顔すんなら、魔術って言っていいじゃんか。魔術と干渉術式は言い換えみたいなもんだろ?」

「魔術は、目に見える物を書き換えるだけだ。目に見えないものを書き換えるような魔術を、便宜上干渉術式と呼んでいる」

「つまり貴方の考えは、この被害者は目で見えない部分に、干渉された、ということですか?」


 ヘンリーは、こくりと頷いた。

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