4.心臓泥棒の胎の中

「ッ毒…?!」

「ミルクティーにも、恐らくですけど、お菓子にも。どちらにも仕込んでますよね?匂いからしておかしいとは思ったんですけど」

「っ言いがかりは」

「言いがかりじゃない。魔術師は、いついかなる時何があっても死なないように、その時に出来る最善の準備をして工房を出る。鉄則だ。だから、毒性については証拠がある」


 ノエは、べっと舌を出した。そこには、刺青のような赤い紋様が浮かび上がっている。

 ヴィクターの顔が曇る。


「アリスは、魔法薬学にも詳しくてさ。こういう、魔術研究に関係ないものも、時々作るんだよ。今回は、たまたま持たされたのを口に含んでただけ。口の中に入った毒を分解し中和する薬草丸薬だよ。その毒性により、色は変化する」


 ノエはそこで言葉を区切り、指先で舌を触る。

 男性の目の前ではしたない行為だが、誰も何も咎めなかった。ノエは指の腹にべっとりと付いた赤を見て、再びヴィクターへ笑いかけた。


「結構殺す気満々っぽいね、致死量レベルだ。……でもこれで、もう一つの君の疑問であろう、どうして死ななかったのか、っていうのには答えられたかな?」


 ノエのその言葉が終わるか終わらないかといったタイミングで、ヴィクターが動いた。


Capio襲えッ!」


 言葉が掛けられた瞬間、脇に控えていたホムンクルス達は、懐から短剣を取り出して二人へ襲いかかって来た。

 彼らと入れ違うようにして、ヴィクターは部屋の外へと駆け出す。


「ベディ!」

「はい、ノエ」


 ノエの言葉にベディは静かに応じ、まず迫って来ていたホムンクルス一体の顎に向かって蹴りを放った。落とした短剣を半ば強引に奪い取り、次いでそれで倒れ掛かっているホムンクルスの首を裂いた。その背後で別のホムンクルスが振り上げている短剣の先を、何とか刃で受け止めようとしたが、それよりも早くノエが指先に光を宿す。


Involutæ絡めて!」


 黒い糸は振り上げられていたホムンクルスの腕を絡め取り、ベディはその隙に首を刺した。

 ベディは落とされた短剣を手に持ち、倒れたホムンクルスのヴェールをめくりあげる。その下の顔は、あの時襲撃してきたホムンクルス達と全く同じ顔立ちをしていた。


「これは……」

「あの人が…、あるいはメリーアンさんが、心臓泥棒ハート・スナッチャーっていうことだね。アリスの読みは大当たりだ」

「そのようですね。……アリステラ様に連絡を」

「うん。でも、そういうわけにもいかないかもしれないね」


 ノエがちらりと視線を向ける。すると、応接室の扉が勢いよく開かれ、ホムンクルス数体が雪崩れ込むように入ってきた。それぞれ剣を手に携えて、戦闘態勢である。

 ベディはノエを背中に庇い、手に持つ短剣の切っ先を彼らに向けた。


「……応戦、出来る?」

「貴方の為なら」

「自分もサポートする。逃げられそうになったら、振り切って逃げよう。体力も魔力も、温存しておいた方が良い」

「分かりました」


 ベディはすっと姿勢を低くして、走って襲ってきたホムンクルス達と刃を交える。ノエはベディに襲い掛かる悪意ある刃を黒い糸で絡め取り、絞め上げて骨折させる。彼らが落とした剣をベディは拾い上げ、短剣を投げ捨ててそれで斬りかかる。

 ある程度頭数が減ったところを見計らって、ベディはノエを抱きかかえて応接室を飛び出した。ノエはベディの背後に向かって、袖口に縫い付けていた銀符ぎんふを投げつける。

 風の弾丸がホムンクルスへと襲い掛かり、追っ手の数を更に減らした。


「ノエ、前からも二名ほど来ていますが、外に逃げますか」

「逃げよう。だけど、行くべき方向は彼らが導く場所。そこに、恐らくヴィクターはいるだろうから」

「……私には、私達を誘い込む理由が分かりませんが」

「簡単だよ。まだから」

「間に合う、ですか?」

「詳しい説明は、後!」


 ベディは蹴りで二人を昏倒させ、玄関ホールへ飛び出した。そこには、先程玄関の扉を開けたホムンクルスが、玄関を塞ぐように立っている。


「一階、玄関前の大扉に入ろう。そこ以外だと、彼ら二人の守備範囲だ。工房は、大扉の向こうにあるのかもしれない」

「敢えて、向こうの罠にかかるのですね」

「うん。自分の用事はまだ、終わっていないから」

「了解しました。頭、気を付けててください。降ります」


 ベディに言われ、ノエは身を小さくして頭を腕で覆い隠す。

 ベディは二階の廊下から一階のホールへ飛び降り、剣を一閃して二人を牽制し、大扉の方へと飛び込んで行った。

 薄暗い室内に入ったと同時に、ベディはすぐに中に人の姿がないかと確認する。

 ノエは頭を押さえていた手を外し、ぽんぽんとベディの肩を叩いた。

 それを合図に、ベディはノエを下ろす。


「食堂みたいだね」

「そのようですね」


 ノエは今入ってきた扉をグッと引く。しかし、扉が開く気配は無かった。外側から押さえているのだろう、完全に二人は閉じ込められていた。


「そもそも、ヴィクター様が逃げる可能性があるのではないですか、ノエ」

「逃げたところで、誰にあの人は泣き付くのかって話になる。毒を盛った現場がある以上、ロンドン警視庁スコットランドヤードに駆け込むのは不可能だし、魔術協会にはアリスが声を掛けてるだろうから、間違いなく即逮捕だろうし。彼がこの局面で頼れるのは、彼自身が時間をかけて作り出した魔術工房要塞だけだ」

「成程……」


 ノエは、白いテーブルクロスが掛けられた長いテーブルの上に置いてある燭台を手に取り、ベディが傍のサイドテーブルの上に置かれていたマッチを手渡し、ノエはそれで火を点けようとした。が、未だ指先の震えが止まっておらず、上手く擦れない。

 そっとベディが彼女の手からマッチと燭台を取り、代わりに火を点けてテーブルに置いた。


「その手の震えは、大丈夫なんですか?」

「まぁ、アリスの言ってたことが正しければ、大丈夫なはず。……こういうのは自分の専門外だからな」


 ノエの言葉を聞きながらベディは、燭台の明かりで照らされた食堂を見回す。

 食堂は特に豪華な調度品もなく、殺風景な場所だった。人の集まる団欒の様相は見られない。必要最低限の道具しかない、といったように見える。

 二人が入って来た扉を含めて、四つの扉があった。


「……あの、ノエ、先程の『間に合う』という言葉の意味を聞いてもよろしいですか?」

「あぁ、うん。あとで教える約束だったもんね。いいよ」


 ノエはこくりと頷いた。


「まだ自分達が外部との連絡を取ってないからだよ。外部と連絡を取られたら取り返しがつかない事態になる。だから、外に絶対に逃がしたくない筈だ。そもそも、魔術師同士の殺し合いは。自分達が死んでも、誤魔化しが効く」

「……誤魔化せるほど、殺し合いは起こっているということですか」

「……うん、そういうことになるね。……ベディ、魔術師はね、原初へ至る手段を完成させる為なら、どんなことでも行なう人でなしだ。どんなことも、必要ならば躊躇わない。死んだ魔術師は、詰めが甘かったってことで、お終い。やった方も特に罪に問われるわけじゃないから」


 ノエは、何でもないように言う。

 だが、彼女の入念な下準備や、アリステラの言動から、どれほど死というものが、魔術師にとって身近であるのかが窺える。


「……話を、ヴィクターへ戻そう。どうして彼は、ホムンクルス達を従えていながら、人間や魔術師の心臓を奪ったのか……」

「……確かに、ノエの言う通りであるならば、ホムンクルスの心臓でも代用は可能なのですよね」

「うん。ただ必要数は多くなる。……時間がかかるからその方法を諦めたのか、人間や魔術師でなければならない理由があるのか。……いずれにせよ、自分はあの人を――心臓泥棒ハート・スナッチャーの討伐任務があるから、」

「ついて行きます、ノエ」


 一切迷うことなくベディはそう言った。ノエは目を瞬かせて、それからふわりと微笑んだ。


「ありがとう、ベディ」

「いえ。……とりあえず、貴方はあまり動かない方がいいでしょう。これ、持っていてください」


 ベディはノエに燭台を持たせ、それを持った彼女をひょいっと横抱きにした。


「蝋が落ちてきたら言ってください。ノエが火傷しては困るので」

「大丈夫だって」

「貴方は気軽に『大丈夫』を使用するので、信用できません」


 真面目な顔をして言うベディに、ノエはくすくすと声を出して笑い出す。


「冗談を言うベディは珍しいな」

「冗談ではないのですが」


 ベディは手近にあったドアノブを回す。しかし、そのドアノブは回らない。ノエが手を翳すと、そのドアノブは金色の輝きを放ち始めた。


魔術錠マジック・ロックか。簡単に外には出してくれそうもないね。開く扉を探そう」

「本格的に罠に誘い出されていますね」

「まぁ、目的の一つだからね。次の扉を開けよう」

「はい」


 ベディは、少し歩いた先にある別の扉を開ける。今度は抵抗なく扉が開いた。カーテンが閉め切られているせいか、あるいはガス・ランプが全て切られているためか、食堂の薄暗さがそのまま廊下にも続いていた。

 ノエが燭台の揺らめく炎を掲げる。


「……行きます」

「うん」


 ノエはぎゅっとベディの服の袖を掴み、燭台を強く握る。ベディは炎が消えないように注意しながら、早歩きで廊下を駆けていく。

 先程とは違い、ヴィクターによく似たホムンクルスによる妨害は、一切ない。

 二人はそのまま短い廊下を突き進み、唯一あった扉の前へ立った。

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