4回目は誠実に【テーマ:不道徳な恋愛】

 

 東京都渋谷区道玄坂某ホテル、深夜1時24分。


「言っておくけど、私から手は出さないから」

 女はそれだけ言うと、頭までスッポリと布団を被った。仄かに漂うローズの香りに、風呂上がりの湿り気が残っている。


「そんなに警戒しないで大丈夫だって」

「……」

 隣の男が声をかけても、衣擦れの音がするだけで返事はない。そのいじらしさに、男は笑みを漏らした。

 ヘッドボードのティッシュ箱、アイマスク、鈍色に光る四角いパッケージ。それらを尻目に、男は照明を暗く調節していく。


「じゃあ、おやすみ」

「……おやすみ」

 布団の中から漏れ聞こえた小さな返事は、消え入る様に夜の闇に溶けていった。



 同日同所、午前9時12分。


「で、指一本触れず本当に寝たと」

「はい」

「あなたバカじゃないの?」

 女は大きくため息をついた。


「ここまできたら普通いくんじゃないの男として。いけるな、とか思わなかったわけ?」

「いけたのでしょうか」

「言うわけないでしょそんなこと。待って、飲んでる時に言ってた自慢の誠実さってこれ連れ込んだホテルで寝るだけのこと?」

「これで3人目です」

「あなたバカじゃないの?」

「本当に誠実だったでしょう」

 苦笑する男を見て、女は再びため息をついた。


「ホテル代もあなたが払って、何もしないの?」

「疲れてたし、そもそも風呂に入りたいからここに泊まったというか」

「まぁ、私も眠かったけど」

「そうでしょ。そもそも、別に付き合ってるわけでもないし、ホテルに泊まったからといって必ずしなきゃいけないわけでもない」

 男は同意を得られたと思ったのか、早口に捲し立てた。


「経験人数とか、即持ち帰りとか、世の中にはそんなことを誇らし気に言う人がいるけど、それは随分一方的な物言いだと思うんです」

「誰からの?」

「男からの。遠慮の気持ちとかはないのかな、と」

「遠慮ね。でも、連れ込んでおいて一線を越えないなんて、女性に対して失礼とは思わない?」

「ホテルに行けば同意と取るなんて、そんな簡単に考える方が失礼です」

「据え膳とか言うじゃない」

「女の人がそんなこと言わないで下さいよ……でも実際、あなたも手は出さなかったじゃないですか」

「何もないならそのまま終わるに決まってるでしょ。それとも、手出されるの待ってた?」

「そういうわけでは、なくて」

「じゃあ私の存在は関係なく、本当にお風呂に入りたかっただけなのね」

「それも、違い、ます。俺はホテルに行ったらあとはするだけなんて、思わない人が良いだけで」

「……もしかして、恋愛しようとしてるの?」

「それが目的じゃないっていうか、まぁそうなればいいかも、とは思っていたけど、でも……」

 最後は尻すぼみに、男は何事かを呟くだけだった。


「ふーん」

 女は素っ気なく返事をすると、視線を逸らして窓を見た。カーテンの隙間からは陽光がこぼれ、漂う塵埃を照らしている。外からは行き交う車の雑踏がかすかに聞こえた。


「後腐れなく終わるなら、なんの問題が残るの?」

 不意に女が口を開いた。


「え?」

「もちろんつけるものはつけてもらうし、痛いのは嫌。つけないなんて挨拶できないのと一緒。わかるでしょ」

「は、はい」

「それが出来れば、問題なんて生まれないと思わない?」

「どうしてですか」

「だって、お互い大人なんだから」

 眉をひそめる男の様子に、今度は女が苦笑いを浮かべた。


「どこかで会ったとしても変に意識しなくていいし、後ろめたさを感じる必要もない。そういうビジネスライク的な意味わかるでしょ、大人なんだから」

「……」

「一晩一緒に過ごして気持ちが高まって付き合いだしたとしても、それは喜ばしいこと。そういうきっかけから始まっても誰も文句は言わないわ。大人なんだから」

「まだ好きかどうかもわからないのに、先に一線越えるってことですか」

「別に、行為自体はスポーツ感覚でも問題ないんじゃないの。ちゃんと避妊してるかどうかが誠実さだし」

「……」

 二人は暫く無言で、外の喧騒だけが室内に残響する。間もなくチェックアウトの時間になる頃、男が呟いた。


「あなたはそんな考えの人だったんですね」

「そんな考え?」

「ちゃんとお互いの気持ちを伝え合ってから、すべきだと思う」

「お互いのどんな気持ち?」

「それは、好き同士っていうか」

「好き同士でないと出来ないの?」

「出来ないことはないけど、妊娠のリスクだってあるわけだし……」

「何度も言わせないで。避妊は最低限すべきことです」

 毅然とした言葉に、男は俯向き何も言わない。


「それに、妊娠をリスクだと考えてるわけね。結局は保身?」

「そういう意味で言ったわけじゃない! 感染症、とか、いろいろあるじゃないですか……」

 弁明する男に、女は微笑む。


「いい、わかってる。あなたはとても誠実で優しい人。それは十分良くわかる」

「……」

「トイレ」

 女がトイレに向かった後、女の枕元から鳥の声が聞こえた。ラインの通知だった。


「……」

 ほんの出来心で、男は通知を覗き見た。


『さっさと帰っちゃえば?』

 咄嗟にタップしたがすぐに閉じた。その前にどんなやり取りがあったのか、見ないほうがいいと直感したからだ。


「そろそろ時間だし、帰ろっか」

「あ、はい」

 戻ってきた女に男は答えた。

 帰り支度をしている間、男の頭の中はラインの内容で一杯だった。そうして気になって仕方がなくなった男は、ロビーに出るとき聞くことにした。


「どうしてさっさと帰ろうとしなかったんですか?」

「やっぱりライン見たのね」

「いや、わざとでは……すいません」

「既読が付くんだからわかるに決まってるじゃん。あなたバカじゃないの?」

「3回もバカって……」

「あなたが何を考えているのか、知りたかっただけ」

「何を考えるべきなのか、もうわからないですよ」

「私に言わないで」

「……すいません」

「まぁ、しっかり付き合い始めてから始めようとするのは、悪いことではないよ」

「はい……でも、次に目指すべきことはわかります」

「何?」

「あなたにもう一度会った時、もうバカとは言わせないことです」

「やっぱり、あなたバカじゃないの」


 東京都渋谷区道玄坂。

 辺りは陽に溢れ、活気に満ちていた。



#匿名短編バトル恋愛編(2019/2/18~3/4)

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885140312

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る