第20話 毛利綾瀬の体験記:4
――その後、私は棺の中で生き返った。
――両親の泣き顔が、目の前にあった。
「……お母さん? お父さん?」
棺に居る自覚も無く、二人が泣いている理由が解らなかった。ここは何処なのか。一体どういう状況なのか。
両親の背後に親戚の顔も見えた。誰もが喪服姿で、そこでやっと、葬儀が行われているのだと気が付いた――後から、葬儀場ではなく火葬場で最後の別れをしているところだったと分かった。もう少し遅れていたら炎の中で目覚めていたかもしれない――
改めて、テレビ局のスタジオで刺されたことを思い出す。現状を理解した私は、もう一度父と母に目を遣り、泣いてくれるのだという喜びと同時に、羨ましさを感じた。二人は、誰かの前でも泣けるのだ。私にはそれが出来ない。どんな場でも、恥ずかしさが先に立ってしまう。この時も、嬉し涙が出ないように感情をコントロールしてしまっていた。
だが、いくら表情を繕っても瞼はしっかり開いている。
「……あ……」
先にそれに気が付いたのは、母だった。
「……あ、綾瀬、綾瀬の目が……」
「え?」
涙に濡れた父の目が私を見る。
「お父さん、お母さん……」
掠れた声で呼び掛けると、両親は両手で口を覆い、更に涙を溢れさせた。
火葬は急遽取り止められ、私は救急車で病院に運ばれて改めて治療を受けた。体に出来ていた傷は、人間界で刺されたものだけではなかった。魔物につけられた傷が増えていため、医者と警察が訝しみ、事情聴取が行われた。説明しなければ辻褄が合わない為、私は異世界で体験したことを正直に話した。これ以上は無いという程の渋面で聞いていた彼等が信じたかどうかは甚だ怪しい。だが、それをどこかで聞きつけた雑誌記者が独断で記事にした。
『毛利綾瀬は異世界転生して戻ってきた』と。
記事が出た当日、雑誌記者――黒井 若芽は病室まで訪ねてきて、悪びれもせずに軽く謝ってきた。
「まあ悪いとは思ってますよ。でも、こんな特ダネを隠すのは性に合わないんでね」
ベッドの傍に置かれたテレビではワイドショーが流れていて、画面下に『毛利綾瀬アナ異世界から帰還?』とテロップが出されている。黒井が来ていてイヤホンを耳から外している為、司会やコメンテーターの声は聞こえない。
黒井は、真剣味に欠けた笑みを浮かべていた。パイプ椅子の上で足を組んでいる。
「特ダネ? こんな、誰も信じないような話が? 刺されたせいでおかしくなったんじゃないかと思われるだけよ」
テレビでは街の人のインタビュー映像と字幕が流れている。『どうでしょう、ちょっと非現実的ですねー』『三途の川が見えたんじゃないかなー』と話す女性達の次に、スーツ姿の男性がマイクを向けられる。『でも、傷が増えてたんですよね? 妄想だとしたら、そこの説明がつきませんよね』
スタジオに画面が切り替わる。綾瀬は溜め息を吐いてテレビから目を離した。
世間に知られればこう反応されるのは目に見えていた。警察や医者に説明した時にもこのビジョンは見えていた。しかし、心身疲労が酷く、気力も無く、話す以外に術はないと追い詰められて異世界について話してしまったのだ。
それなのに、この男は――
つい恨めし気な顔になって睨みつける。だが、黒井はそれを受け流すどころか、どこか爛々とした目で見返してくる。新しい遊び道具を前にした子供のように。もしくは、期待出来る何かがすぐそこに迫っているかのように。
「確かに、そう思う人も多いでしょうね」
操作していたスマートフォンの画面を私に向ける。そこには、呟きアプリの画面が表示されていた。アプリに備えられている投票機能を使ったものだ。呟きを見たユーザーの誰もが投票出来る。
『毛利綾瀬アナの話を信じますか?
信じる 72%
信じない 18%』
無意識に眉を顰めていると、黒井は弾んだ声を出した。
「しかし実際は、これだけの人が『信じる』を押している」
「そんなの……」
私は困惑と呆れが混ざった心持ちで画面から黒井に目を移した。
「面白半分に選んでるだけでしょ。それは遊びのツールで、ユーザーは二次元好きが多い。こういう話が好きなのよ。本気で信じてるわけじゃないわ」
「そうかな? 適当に押してる人も相当数いるでしょうが、それを差し引いても72%がゼロにはならないと思いますよ。それだけでも記事にした価値はある」
黒井は画面を見直しながら、笑みを深める。
「あなたは……何を考えてるの?」
「僕は、人々とこの喜びを共有したいだけですよ。人の魂は死んでも滅びず、別の世界で生きられるのだと。これ以上の救いがありますか?」
「救い? あんな地獄に行くのが救いだって言うの? 冗談じゃないわ」
「こちらの世界だって様々な意味で地獄でしょう。命の保証がされていると反論されるかもしれませんが、毛利さんは殺されているわけです」
「それは……滅多にあることじゃないわ」
「そうでしょうか? 報道されていないだけで、毎日どこかで誰かが殺されています。アナウンサーであったあなたなら、知っているのでは?」
「…………」
綾瀬は俯いた。一貫してふざけた、軽薄な態度を取っているが、彼が言っていることは概ね正しい。
秩序によって平和が実現しているように見えるこの国でも、毎日どこかで誰かが殺されている。そういう意味では知球も、異世界も地獄には違いない。
「百歩譲って弐本が平和だったとしても、世界全体で見れば表層を見ても地獄である国はいくらでもあります」
「…………」
反論しないで顔を顰め続ける綾瀬に気を良くしたのか、黒井はぺらぺらと得意気に話し続ける。
「それに、世界が平和であってもポイントはそこじゃないんですよ。殺されなかろうと、人は必ず死ぬのです。でも、転生できると保証されているなら安心じゃないですか。僕は人類に、心の平穏を与えたい」
「じゃあ、何であなたは死んでないのよ」
矛盾をつける部分を見つけて、綾瀬はやっと口を開いた。
「死んだら報道できませんからね」
「死んで、また異世界で死んで、戻ってくればいいじゃない。私みたいに。戻ってきてから、自分の実体験を書いて広めた方が反響もあるわよ」
憎まれ口くらいしか思いつけないのが、どうにも悔しい。だが、この指摘はそう間違ってはいない筈だ。
「転生を認識していない今の弐本でそんなことをしても、死体は火葬されるだけですからね。体が無ければ記事も書けません」
事前にその質問を予想していたかのように、黒井は余裕たっぷりだった。その顔が、不意に曇る。
「長生きしたくないという人が大半で、早く死にたいという人もいる。僕には理解できない」
ぼそぼそと低く小さい声で呟き、次の瞬間には人を食ったような表情に戻る。眉を顰めている綾瀬に正面から顔を近付け、にやりと笑う。
「あなたは地球で死んで異世界に行ってそこで死んで、また地球に帰ってきた。ある意味、これ以上ないほどに安全な旅です。この絡繰が広まれば、転生ビジネスが始まるかもしれない。いえ、きっと始まります」
「転生ビジネス……?」
まさか、転生する為の死を与える商売だろうか。観光地へ行く気分で死ぬ為に並ぶ人々に、それを殺す役割を担う店――戻ってきた時のことを考えて薬物を使うのか、凍死させるのか――
何にしろ。
「そんな商売が法律で認められるわけがないでしょう」
「勿論。しかし、法律など関係無いアングラな世界で生きる人達はいくらでもいますよ」
「…………」
そう言われると、ぞっとせざるを得なかった。黒井の語る未来は、十分にあり得る未来だ。それを望み、綾瀬の話を雑誌に暴露したのか。
(そんなことになったら、人間社会はめちゃくちゃよ)
まず、自殺者が増えるのは避けられない。その上で、もし彼等がこの弐本の地に生き返らなければ、綾瀬は彼等の自殺を幇助したと責め立てられるだろう。自殺者達の転生が成功し、彼等が異世界で長く生活することになったとしても、弐本に生き返ってこない限り、事実は分からない。
――失敗したのか。
――成功したのか。
分からない以上、転生に対する弐本の混沌化は進み、綾瀬は周りにも――自分自身が苛む、私が殺したという自責の念にも責められ続けるのだ。
「ところであなたは、異世界で何か能力を手に入れましたか?」
「……何故?」
唐突な質問に、更に顰め面になるのを自覚する。これ以上、彼の知りたいことを素直に提供する気は無い。
「異世界で手に入れた能力がここでも使えるなら、転生して戻ってきた者は、パワーアップして生き返ることが出来るということです」
「…………」
その考えは無かった。果たして、自分はここでもあの壁を作れるのだろうか。
「新人類として、皆があなたに憧れるでしょう」
黒井は、自信に満ちた目を向けてくる。
「……私の姿を見れば分かるでしょう? 耳も尻尾も生えていないわ」
「……成程」
思わせぶりな笑みを浮かべ、彼は何度か頷いた。残念そうな素振りは全く無い。
「あなたと私は根本的に考え方が違う。もうここから出ていって。そして二度と来ないで」
「……では今日はお暇しましょうか。失礼します。ゆっくりと休養されてください」
厳しい声で拒絶を示すと、黒井は肩を竦めて立ち上がり、病室を出ていった。
その数時間後、綾瀬はここでもバリアーを出せることを確認した。しかしそれを世間に公表する気は無く、彼女が出来るのはバリアーのダサくない名称を考えることくらいだった。
死後に行く場所は異世界だった~しごいせ~ 沢樹一海 @k-sawaki
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