其の百二十三 願い、空に浮かび


 ――意識が、まどろんでいる。

 自分が今、起きているのか寝ているのかもわからない。



 ――まず、僕の意識の中に無遠慮に流れ込んで来たのは、芳醇ほうじゅんで、濃厚で……、この世の全ての甘味を凝縮させたような、『甘い匂い』。


 ――続いて、『音』。もしゃもしゃと、肉食獣が草食獣を淡々と貪り食うような、『咀嚼音』。


 ――『感触』。僕の頬を、誰かがツンツンと指でつついている。



 僕は、確信した。

 ここは、夢の世界でもなんでもない。

 僕は今、現実と言う名の『世界』を、『生きている』。



 ――パチッと、眼を開けた。

 僕のことをまじまじと見つめている『ソイツ』の顔が、僕の視界いっぱいに広がる。ヒンヤリと、冷えた地面の感触が背中を伝い、僕は今、『地面に寝そべっているのだな』と理解した。


 ゴロンと仰向けになっている僕を見下ろす『ソイツ』――


 

 内巻きのボブカットがフワリと揺らぎ、

 『御子柴みこしば すみれ』が、もしゃもしゃと『紫色のサツマ芋』を食べていた。



 「――あっ、生きてた」



 緊張感のない声が僕の耳に飛び込む。

 僕はムクっとその身を起こしながら、思わず訝し気な声をあげた。



 「……みこ、しば…………?」


 「――アンタら……、すごいねぇ~~……、あ~~んな高い空の上から地面に落っこちても平気なんて……、高校生なんか辞めて、ビックリ人間ショーにでも出たほうがいいんじゃない?」



 ――クスクスクスクス……


 眼前の御子柴が、イタズラを覚えたばかりの子猫のような表情で、屈託なく笑う。



 「――そうだ……、み。みんなは!?」



 ――ハッとなり、今の『状況』を思い出した僕は、思わず慌てたように周囲を見渡した。だだっぴろい学校の『グラウンド』……、『校舎』という巨大な建造物を失ったもの寂しいその大地……、僕からやや離れた位置に、一人の、『ゴスロリ少女』が横たわっている。



 「――如月さんッ!!」



 大きな声が漏れ出て、打ち付けた石から火花が飛び散るように、僕は慌てて立ち上がった。足がもつれ、思わず転びそうになりながら如月さんの元へ駆け寄り、綺麗な白い顔のまま、静かに瞼を閉じている如月さんの肩を、僕は思わず乱暴に掴んだ。



 「……如月さんッ!!」


 「……」


 「……如月さん……、如月さんッ!!」


 「……たいわ」


 「……如月さん……、如月さん、如月さん……ッ、って、あれ――」



 ――パチッと、その眼が開かれ、

 如月さんが、眉を八の字に曲げながら、僕のことを睨む。



 「――痛いわ、水無月君……」



 ムクっと身を起こした彼女は、フッと息を漏らして、僕の眼を見ながら、怒ったような顔で……、でもどこか愉しそうに、小さく微笑んでいた。その笑顔にほだされ、なんだか全身からヘナヘナと力が抜け落ちてしまった僕は、彼女の肩を掴んでいた手を離し、だらりと腕を降ろした。



 「――人生で、二回も空から落っこちたのに、まだ生きてるなんて……、私たち、よっぽど悪運が強いんだね……」



 静かに大地を踏みしめる足音と、甲高いアニメみたいな声が僕の耳に届く。乱れた薄茶色のロングヘアを手櫛てぐしで整えている不知火さんが、ヨロヨロとした足取りで、僕たちの元へ近づいてきた。



 「――不知火さん……ッ!!」



 ニコッ、と力の無い笑みを浮かべている『黒眼』の彼女の笑顔と、いつの日か、『和栗のモンブラン』を美味しそうに頬張っていた彼女の笑顔が、重なる。……最後に会ってから、まだ数日しか経っていないのに、なんだか、彼女の笑顔を見るのは久しぶりな気がした。



 「――そういえば、不知火さんは、どうしてココに……」


 「……ああ、それはね――」



 不知火さんが、パンッ、パンッと制服についた汚れを手で払いながら、地面に目を落として、遠慮がちに声を漏らす。



 「――水無月君たちと別れたあの日以来……、私は家に帰ってなかったの……、なんだか、これからどうすればいいのか、わかんなくなっちゃって……、ブラブラと、幽霊みたいに、知らない街を一人で歩いていた……、いよいよ手持ちのお金が無くなっちゃって、仕方がなく家に帰ることにしたんだけど――」



 ――フッと彼女の視線が上がり、不知火さんは僕のことを見つめながら、不思議そうに少しだけ首を傾けた。



 「……家のポストにね……、ノートの切れ端が挟まってたの……、なにかな、と思って手に取ってみたら、なんか……、『今日のラッキースポットは教室! 愛する人を救いたかったら、夜の学校探検に出かけよう!』……とか、書いてあって――」



 ――如月さんの口から『ノートの切れ端』という言葉が発されたその瞬間……、僕と如月さんは、二人同時に、もしゃもしゃとサツマ芋を頬張る『爆弾娘』の元に顔を向けた。



 「……ヘンな手紙だな、って、無視しようと思ったんだけど、なんだか胸騒ぎがしちゃって……、自分でもおかしいと思いながら、学校に来てみたら――」



 薄茶色のロングヘアが風になびいて、

 フワリと揺らいだ幾千もの細い糸を、月明かりが、淡く照らす。



 「――まさか、『こんな事』になってるなんてね……、お役に、立てたかな……?」



 屈託なく笑う不知火さんを見て、放課後デートの待ち合わせをしていたあの日……、精いっぱいの『造り笑い』をしながら、らしくない台詞を吐き出していた彼女を思い出す。

 ……不知火さんはもしかしたら、『色眼族の使命』を背負った『リアルの自分』を忘れるために、『なんでもない一人の女子高生』を、『演じていた』のかもしれない……。等身大の笑顔を自然に見せる今の彼女には、そんなロールプレイングは必要なさそうだけど――



 「――私も役に立ったでしょ~~! 水無月くぅん! 誉めて誉めて~~!」



 ――ガバッと、突然やってきた『ソイツ』に、背中から抱きつかれる。

 視界の端で黒のボブカットがフワリと揺らぎ、僕の全身に腕を絡めつかせる御子柴が、無遠慮に自身のほっぺたを僕の頬に擦りつけた。



 ……や、やめ――



 柔らかい肌の感触と、人肌の暖かさが衣服を介して僕の全身に伝い……、一人の男子高校生として、僕はシンプルにドキドキしてしまった。







 ――果たして、『殺気』。



 全ての生物の生命活動を停止させんばかりの、絶対零度の眼差しを、右から――、

 全ての生物を灰と化さんばかりの、焦熱地獄の眼差しを、左から――、



 ――両サイドからほとばしる『怒りのオーラ』を肌で感じとり、命の危険を覚えた僕は、慌ててガバッと立ち上がり、僕に纏わりついていた御子柴の身体が、コテンと、地面に転がった。



 ……殺気の発信源が、今『どんな色で僕のコトを見ているのか』確認する度胸は、さすがになかった。







 …


 …


 …


 ……まて――



 ――僕は今、『こんな事をしている場合じゃない』。



 ――スッ、と真顔に直った僕は、三人の少女をその場に残したまま……、深淵が広がるだだっ広いグラウンド……、ちょうどそのド真ん中のあたりで、大の字になって寝そべっている、ゾンビのように生気の無い『一人の男子高生』の元へ近づく。


 

 「……烏丸――」



 力なくそう呟いた僕の声が聞こえたのか、チラッと、僕のことを一瞥だけした烏丸だったが、すぐにその視線を、暗闇が広がる夜空へと戻した。

 冷たい空気が僕の体温を奪い、何を言うべきなのかと逡巡している僕を置き去る様に、烏丸がムクっと、静かに身を起こす。そのまま、こちらに一度も眼を向けることもせず、ヨロヨロとした足取りで、校門へと歩き出した。



 「――烏丸ッ!!」



 居てもたってもいられなくなった僕は、もう一度その名前を呼んだ。何を言えばいいかはわからなかったけど、名前を呼ぶことくらいはさすがの僕にだって出来た。

 ――ピタっと、その足が止まり、少しだけ、烏丸の身体がこちらに向かれる。



 「――十月、五日……」



 だだっ広い大地に、ポツンと落ちた烏丸の声が、深淵の闇に波紋を生み出す。



 「……妹と母親の……、命日だ……、俺は毎年、その日は白狐村しらぎむらを訪れて、家族の、墓参りをしている……」



 ボーッと、星のない夜空を見つめながら、月明かりに照らされている烏丸の背中から、抑揚の無いトーンの声が吐き出されては、うねりをあげながら僕の元へ届く。



 「……今からだと、大体あと一年くらいか……、その日までに、お前が犯した罪に対しての『償い』……、お前なりの答えを、『命を懸けて』、考えて来いよ……、俺が納得できる答えじゃなかった場合は……、その時こそ、お前と、如月千草のこと、『殺してやる』からな……。俺の、『命を懸けて』――」



 ――ざっ……、ざっ……、ざっ……

 

 

 だだっ広いグラウンドに、無機質で、力の無い足音が響く。

 

 遠く、小さくなってゆく親友の姿を眺めながら、

 僕は、ギュっと、両掌にいっぱいの力を込めた。



 星の無い空を見上げて、濁った空気が混ざる深淵の夜空に向かって……、静かに眼を瞑った僕は、人知れず、小さな願いを飛ばす。



 ――いつかまたアイツと、くだらない話ができる日が、訪れますように――



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