其の百十一 神様からの宿題を忘れると、漏れなく地獄行きらしいので、放課後になったらすぐにとりかかった方が良い
「――もう、大丈夫だな、お前」
あどけなく、しかして抑揚のないトーンの声が、ぼくの耳に届いた。
声がする方に顔を向けると、苔にまみれた
僕と如月さんが湿った野山の大地から立ち上がると、少年はヒョイっと
「『水無月 葵』、お前の心が絶望に支配され、この世界を退廃に包み込むことは、おそらくもう、ないだろう……、愛する者……、緑眼の加護に守られている間は、な……」
チラッと、如月さんの方に目を向けた。
いつの間にか、いつもの能面のような無表情に戻っていた如月さんが僕の視線に気づき、フッと、遠慮がちに微笑む。僕はなんだか恥ずかしくなって、眼を慌ててそらしながら、少年の方へと向き直った。
「……だから、僕に、僕の過去の事を教えてくれたんだね。……僕を、自分の過去に向き合わさせて、克服させるために……」
「――そうだ、……そもそも、色眼の力を人間に与えたのはこのワシだからな。……『
……取引――
――果たして、『忘れてた』。
……そういえば、この少年とは、色眼族のルーツを教えてもらう代わりに、少年の頼み事を引き受けるという『取引』を交わしていたんだった。
少年は、ニヤニヤと笑っていた顔をスッと戻して真顔に戻ると、抑揚のないトーンで言葉を連ねた。
「……シンプルだが、大きな仕事だぞ。お前らにはな、『歴史を取り戻してほしい』んだよ――」
…
…
…
――えっ……?
――果たして、『ピンとこない』。
バカみたいな顔でポカンと口を開けている僕を見やりながら、少年が眉を八の字に曲げながら、はぁっと大仰なタメ息を漏らす。
「……察しの悪い奴だな……、歪んでしまった『色眼の歴史』を正しい姿に戻し、無為な戦争に終止符を打って欲しいんだよ」
――果たして、『未だにピンとこない』。
「……異国の神々の都合によって捻じ曲げられてしまった『色眼の使命』について、その正しい起源を現代の色眼族たちに伝えて……、色眼族たちの争いを止めて欲しい……、ってことかしら?」
首を斜め四十五度に傾けながら、淡々と言葉を連ねる如月さんに向かって、少年はピョンっと飛び上がり、にぱぁっと満面の笑顔を見せた。
「――そうだ! 緑眼の女、お前はやはり察しがいいな! ウン、水無月葵、お前は絶望には打ち勝ったが、頭は悪いな、精進しろ、ウン」
――再び、ちょっとヘコんだ。
「自分で蒔いた種なもんでな、自分で刈り取るのがスジではあるのだが……、見ての通り、ワシは、『この体たらく』だ。そもそも土着神だからこの村から出ることもできんし……、誰か、頼みを聞いてくれそうなヤツが現れるのを、ずっと待っていたのだ。……やって、くれるか?」
……色眼の、歴史を、取り戻す――
そんな大それたこと、僕に出来るのだろうか。
僕なんか、自分一人守るのに精いっぱいなのに、
全ての『色眼族』を、救うことなんて――
「――やるわ」
『躊躇』という言葉を知らない少女が、
僕に
鋭い、声を放つ。
「……今まで、ずっと、当たり前だと思って……、何の、疑問を持つこともなかったわ……、『色眼の使命』に、ついて――」
ポツポツと言葉を落とした如月さんの声が、枯れた野山へ、
如月さんは、湿った大地に目線を落としながら、ぎゅっと下唇を噛んだ。
「……まるで、『呪いにかけられている』みたいに、思い込んでいた……、でも、あなたに……、水無月君に出会うことで、気づくことができたの……、『使命だから正しい』って……、それは、違う……、本当は、何が正しいのかなんて、自分の頭で、きちんと考えなくちゃいけない……」
地面に向けられていた如月さんの眼が、スッと僕の方に向かれ、互いの視線が交錯する。如月さんは少しだけ僕に笑いかけたあと、フッと空を見上げ、自分自身に語り掛けるように、力強く、言葉を放り上げた。
「……本当は、気づいていたのかもしれない。気づかない振りをしているだけで……、『使命だから』って、無理やりフタをして、見ないようにして……、だから、他のみんなも、ほんのちょっと背中を押してあげるだけで、意識を、変えることができると思うの……、私が『変わることができた』ように――」
刻が、ピタっと、足を止める。
無限がたゆたう空間で、如月さんの声が、僕の頭の中で、やまびこのように鳴り響く――
「……『色眼の歴史を取り戻す』。あなたと二人なら、できると思うわ。……水無月、葵、君――」
一切の装飾を置き忘れた枯れ木の隙間から、乾いた木漏れ日がアトランダムに閃光を突き刺す。
幾多の軍勢に対して、勇猛果敢に立ち向かっていった、ジャンヌ・ダルクの如く――
如月千草が、踊るように、笑った。
「――よくぞ言ってくれたな! ウン!」
素っ頓狂な声が野山に鳴り響き、空間に刻が再び刻みこまれる。
ニコニコと、満足そうな笑顔を浮かべる少年が、如月さんにスッと手を差し伸べて握手を求めた。如月さんは首を斜め四十五度に傾け、少しだけ困ったような顔をしながらも、律儀に少年の握手に応じていた。
「――そういえば……」
何か思い出す様に、ポツンと声をこぼしたのは『僕』で――、ブンブンと手を振り回している少年が、チラッとこちらを見やる。
「……『ずっと待っていた』って言ってたけど……、今まで、一人もいなかったの? 君の話……、色眼族のルーツについて、聞いた人って……」
少年は、「ああ」と、興味なさそうにぼやきながら、如月さんから手を離し、真っ白なしっぽを弄ぶように撫でやった。
「……そもそも、村が滅びるまでは、異国の神々の手回しによって、この山一帯が『呪いの地』と流布されていたからな、ワシは色眼族たちと関わり合いを持つことすらできず、遠くから彼らの歴史を追うことしかできなかったんだよ。村が滅びてからは、たまにやってくる色眼族の連中と接触を試みようとしたことはあったが……、みんな話の途中で、耳を塞いで逃げてしまうのだ。……自我を揺るがされん事実だからな、お前らみたいに、『覚悟』を持ってやってきてる連中じゃないと、聞くに耐えんのだろう――」
……なる、ほど――
確かに、僕はそもそも『色眼の使命』について疑問を持ってたから『白狐村』に行って真相を確かめようと思ったんだし、如月さんだって、『色眼の使命』の違和感を乗り越えて、自分の『意思』に自ら気づくことができたから、少年の話にまっすぐ耳を傾けることができたのだろう。……いきなり、アイデンティティを揺るがされかねない、あんな話……、なんの準備もなしに聞かされたのなら、逃げ出したくなるのもわかる気がする……。
「――いや、『一人だけ』……、ワシの話を、最後まで聞いた奴がいたな。……ただ、ソイツの場合、話を聞いたうえで、ワシの頼みを断りやがった。『俺にはやらなきゃいけないことがある』とか、なんとか言ってな……」
ふと、何かを思い出す様に、少年の真っ白なしっぽがピーンと直立する。少年は、僕の全身を舐めるように見やると、何か考え事をしているのか、自身の口元に指をあてがった。
「……そういえば、お前の、その、『恰好』――」
ざわざわと、着飾ることを忘れた枯れ木が、
寂しく佇む三人を見下ろすように、
乾いた鐘の音で、
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