-終幕-
其の九十一 『Largo』
――ヤ……バイ…………――
――ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ――
――ヤバすぎ……
カラカラと晴天が広がる、金曜日の『昼』、
脳内に、『緊急速報』が鳴り響いている、僕こと、『水無月 葵』は、
とりあえず『身の安全を確保しよう』と……、
納豆がひしめく学校の廊下を練り歩き……、ひっそりと、誰も来ないであろう安寧の牢獄……、『個室トイレ』に立てこもり、グルグルと、思考のループを続けていた。
――私のことを『赤眼』だって……、水無月君がそう思うように『仕向けた』の……、『誰だっけ?』――
『紫色の少女』が残した置き土産の台詞が、僕の頭の中に巡る。
……『御子柴 菫』は、赤眼じゃなかった……、御子柴は、人の心を読み取る能力を持つ『紫眼』――、ポルターガイストみたいにモノを操る『赤眼』の力は使えないってことになる……、つまり、『アイツ』が言ってたあの『噂』って――
――いや、『それどころじゃない』、『アレ』が仕掛けられていたってことは……、昨日の、『あの時の会話』も――
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪――
「――っわぁッ!?」
独り思索に
……す、スマホの着信音……、誰からだろう、僕の連絡先を知っているのなんて、『平太さん』くらいしかいないは――
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪――
――果たして、スマホ画面に表示された『ある名前』が目に入った僕の表情が……、
誇張無しに、『凍り付いた』。
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪――
……ヤ、ヤバイ……、『居留守は使えない』……、これは、電話に出た上で、なんとか、やり過ごさないと――
その手を震わせながら、システマチックな色味の通話ボタンをタップして、僕は、わなわなと自身のスマホを、自身の耳元に当てる。
『――』
「……も、もしもし…………、う、うん……、今、大丈夫だよ…………」
『――』
「――えっ!? きょ、今日……? 今日の夜は……、ちょっと、用事があって……」
『――』
「……はっ? ……今……、なんて――」
『――』
「……そう、だったのか…………、やっぱり……、やっぱりお前が『赤眼』……、そして、『黒幕』…………、だったん……、だな……」
『――』
「……わかったよ…………、じゃあ、今日の夜八時……、学校の、『グラウンド』で――」
――タンッ
通話が終了し、僕の身体の毛穴という毛穴から、ドっと汗が噴き出す。
握力が無くなるほど強くスマホを握りしめていた僕の手から、カランッとスマホがこぼれ落ち、トイレの床に転がった。
息をすること『さえ』忘れてしまっていた僕の脳内にこびりついていたのは、太陽のように爽やかな笑顔を見せる『アイツ』の姿、そして……、
――ヘドロのように、ドロドロと溶けて混ざり合う『邪悪な影』、異臭をまき散らす『裏の顔』……。
……このままでは、僕は、確実に、『アイツ』に……、
――『赤眼』に、殺される――
※
枯れ木が、灰色にしなびれている。
空が、濃い紅色に支配されている。
大地が、白く干からび、黒く濁っている。
――なんだか、見たことがあるような……、どこか、『幻の世界』のような――
僕の眼前に広がるは、
『景色』を構築している、あらゆるオブジェクトが『腐食』した、
『退廃』の、世界。
僕の前方、五メーターくらい先に、『僕』が見える。
ペンキで塗りたくったみたいな真っ青な『青眼』をしている『僕』が、能天気に、僕に向かって手を振っている。
「やぁ」
――話しかけられた。
「……やぁ」
――また話しかけられた。
「……無視するなよ、聞こえているんだろう?」
――怒られた。
「……やっと『会話』できるようになったんじゃないか、仲良くしようよ」
――……? やっと…………?
「うん、今まで、何回も話しかけてたんだけど、キミったら、『全然聞こえない』みたいに、僕のことをずっと無視していたんじゃないか」
――そう……、なの…………?
「……そう、だよ。まったく、『自分自身』の声を無視するなんて、ずいぶんひどいじゃないか」
――…………ゴメン?
「……まぁ、いいや、っていうか、そんなコトより、キミ、今相当やばい状況なの、わかってる?」
――……わ、わかってるよ…………。
「……本当にわかってんの…………? いつまでも『如月さん』や『御子柴』に頼ってばかりじゃダメだよ。 ……最後には…………、『キミ自身』が、『自分の力』で、『敵』と対決する必要があるんだ……」
――……やっぱり、そうなんだね……。
「……君のマイナス思考が世界と『リンク』を始めたとき……、君の心が『青眼』に呑まれそうになったとき……、こんな風に、『考えてみる』といい……」
――えっ……?
「――『僕のマイナス思考で、世界を、救ってやる』……って――」
――……? それってどういう――
「…………『それ』は……、『自分で考える』んだ、水無月、葵」
――……自分で?――
「……そう、『自分で』……、それじゃあ、『また会おう』、もう一人の、『僕』。 …………当たり前のことを言うようだけど、……僕は、いつでも、キミの味方だから――」
――……ちょ、ちょっと――
――暗転。
すべてが『退廃』した世界が、
早回ししているビデオ映像みたいに、
グニャリと、歪む――
※
――ハッ……!
――と、意識を取り戻した。
眼前に広がる、無機質で閉鎖間のある一枚の『扉』。
……こ、ここは……、学校の、『個室トイレの中』……、だよな…………。
――どれくらい意識が無かったのだろうか。永い間夢を見ていたような気もするし、一瞬だったような気もするし……。
――『キミ自身』が、『自分の力』で、『敵』と対決する必要があるんだ――
僕の頭の中で、ハッキリと残る、一つの『台詞』……、
――『もう一人の僕』から贈られた……、『忠告』という名の『エール』。
…
……とにかく、このまま手をこまねいて見ているだけじゃ、『アイツの思うツボ』だ……
――そっちが『その気』なら……、こっちだって、『罠をしかけて』やるッ――
僕は、床に落ちたスマホをスッと、拾い上げ、
タンッ、タンッと、慣れない手つきで何度か画面をタップする。
――ピロパリパポン♪ ピロパリパポン♪――
『アイツ』のための滑稽な鎮魂歌が、殺風景なトイレの中で無機質に鳴り響く。
僕は、ふぅっ、と少しだけ息を吐き出し、
ドクドクと鳴り響く心臓の音にフタをしながら、
――努めて『冷静沈着』に、宙に向かって、声を放る。
「――やぁ、如月さん……、うん、水無月だよ……、今日の夜、喫茶『如月』でまた話をしようって、『メールで連絡』していたじゃない……、うん、ちょっと用事ができて、行けなそうなんだ……、うん、また明日学校で、じゃあ――」
――果たして、僕は、手に持っていたスマホを、そのままズボンのポケットに入れ……、
スッと立ち上がり、ガチャリと扉を開け、安寧の牢獄……、『学校の個室トイレ』を後にした。
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