其の七十九 『じゃじゃ馬娘』とは何か――、その正体を知りたければ、高橋留美子の漫画でも読むといい


 ――カラン、カラーン―

 どこか懐かしさを感じさせるベルの鐘の音が、僕の耳の中に響く。



 「――いらっしゃい……、おや……?」


 「……ご無沙汰、しております。……如月さんのクラスメートの、水無月です」




 ――喫茶『如月』――


 橙色の照明が、僕の視界に暖かく広がる。

 落ち着いた曲調のジャズが、フンワリと僕の耳を包む。

 コーヒーの香ばしい匂いが、僕の鼻をくすぐる。


 ――『三日』ぶりに訪れたその場所に、『三日』しか経っていないというのに、何故だか猛烈なノスタルジーを感じる。『安寧』を以てして、僕の身体に張り巡らされていた糸が解かれ始める。


 カウンターの奥でカップを磨いている、白髪で痩せ型のダンディなご老人……ロリコンじじ……、違った、『如月さんのおじい様』が、少しだけ目を細めて、少しだけ口元を上げて、頬にしわをいっぱいつくりながら、ニッコリと笑った。



 「……申し訳ないのだけど、『千草』はまだ帰ってないよ」


 「……あっ、ハイ……、少し、待たせて頂いてよろしいでしょうか?」


 「もちろん、……コーヒーは、呑めるんだっけ?――」







 前回とは違って、テーブル席ではなくカウンター席に座るよう促された僕の元へ、シンプルな白一色のカップに淹れられたコーヒーが届けられる。ゆらゆらと漂う白い湯気がなんだか綺麗で、僕は口をポカンと上げたまま、じぃーーっと見入ってしまった。



 「……冷めないうちに、どうぞ……」


 

 僕のすぐ目の前、カウンターテーブルを挟んで優しくカップを磨いている『おじい様』が、頬にしわをいっぱいつくりながら、再びニッコリと笑う。

 僕は、「はい……」と遠慮がちに小声を漏らしながら、片手でその白いカップの取っ手をつまみ、慎重に、こぼれないように、深淵を思わせるほどに『濃い』ブラウンの液体を、口元に運ぶ。

 白いカップを少しだけ前に傾けて、一滴たりとも逃すまいとククッと首を前に突き出し、火傷しないように、舌を『上奥歯の裏』にくるんと移動させ……、


 ――ズズッ……



 …


 ……やっぱり……、『おいしい』……。

 ――いや、『おいしい』というのも、ちょっと違う。『おいしい』は『おいしい』んだけど、なんだろう……、圧倒的に、『安心』する……。


 なんだか、僕のすべてを受け入れてくれる、母親の膝の上で寝かされているような――



 「――『千草』は……、学校では、どんな様子なんだい?」


 「……えっ?」



 ――ふいに、声を掛けられる。目の前の如月さんの『おじい様』が、頬にしわをいっぱいつくりながら、相変わらずニッコリと笑っている。

 僕はちょっとだけ口につけた白いカップをそろそろと受け皿の上に置き、再び視線を『おじい様』の元へ戻し、少しだけ『逡巡』する。


 ……どんな……、『様子』……。



 『ええ、如月さんはクラスの中で「圧倒的な存在感を歪に放って」おりまして、彼女が教室に現れると他の生徒は「神仏を崇め恐れる老人」のように恐縮してしまって、言ってしまえば彼女はクラスの中でダントツに「浮いて」ます。』


 ――なんて、言えるわけがない。かと言って……



 『ええ、如月さんはクラスのムードメーカー的な存在で、いつも明るくみんなの輪の中心に居て、彼女が居ると教室に笑いが絶えなくて、こないだなんか彼女が作ってきた「手作りクッキ―」を先生まで一緒になって美味しく頂いて――』


 ――なんて、『もっと言えるわけがない』。 ……というか、『バレる』。



 僕は、自分で自分が『ウソを付けないタイプの人間』だと自覚している。……別に高いモラルを以てして、偽る事を『悪』と見做しているわけではない。単純に、精神力の脆さから動揺を隠しきることが出来ないだけだ。


 『ウソ』を吐いて、如月さんの『おじい様』を安心させることは出来ない。

 ……かといって、真実を吐露することで、『好々爺』の優しい笑顔を歪めることもしたくない。


 ……果たして――



 「……如月さんは、一見クールで、ちょっと近寄りがたい雰囲気……、というか、『冷たい印象』を与えがちなので、クラスの皆とはあんまり話しているところを見ませんが……、僕は、彼女と話していて、すごく『天然』な発言とか、たまに見せる『笑顔』が素敵で………、ええと、……とても、……魅力的な女の子だと、……思ってます――」



 …


 …


 …


 ……やばい、自分で言ってて、

 ――めちゃくちゃ恥ずかしくなってきたぞ……。



 ……彼女……、『如月さん』が、クラスに溶け込めていないという事実は伝えつつ、それは周囲の誤解であり、決して彼女が、人としての『優しさ』や『愛らしさ』を持っていないわけではないと、僕なりの見解を伝える作戦だったんだけど……。


 ――冷静に考えて、僕が今、話をしている相手は、如月さん『の』『おじい様』だ。

 彼女の魅力を知らないワケがない……。



 僕は自分の『フォローの下手さ』への沈鬱と、自らの想いを放出してしまった『気恥ずかしさ』で、居てもたっても居られなくなり、思わず目の前の白いカップをグッと手に取り、勢いよく口元に運んだ。 …グニャリと揺らいだ濃いブラウン色の液体が、驚いたようにカップの外へこぼれ落ち、僕の学生服にピシャリとかかる。



 「――水無月君……、だっけ……、本当に、『ありがとう』」


 「……ブッ……、えっ? ……ゲホッ」



 ――ふと声を掛けられ、ゲホゲホとコーヒーの海に溺れる僕の事を、柔和な笑顔で見やりながら、如月さんの『おじい様』がそっと口を開く。



 「……あの子はね、アレでも昔はかなり『おてんば』で……、それこそ『じゃじゃ馬娘』っていう言葉がピッタリ似合うくらい元気で明るい子だったんだけど……」



 何かを懐かしむように遠くの方を見やる如月さんのおじい様の表情に、

 ――スッ、と、『陰』が差し込む。



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