其の七十一 圧倒的な『存在感』を歪に放つ孤高のマドンナ、……の『野望』?
――キーン、コーン、カーン、コーン――
……ようやく朝のホームルームか、なんだか朝から先客万来だったな。
……あれ、なんか……、『デジャヴ』……? ……まぁ、いいか。
朝のホームルームの開始を告げる鐘が鳴り、髪を一つの束にくくったポニーテール姿の『若い女教師』が教室へ入ってくる。『閉眼の札』によって再起不能となってしまった鳥居先生の代わりに担任を務める新任教師、……一つのクラスの『担任』を受け持つという責務が重いのか、彼女の眼にはクマが出来ており、就任三日目にしてその心労が顔にありありと表れていた。
「……おはようございます、朝の出欠確認を取ります……」
疲れを隠しきれていないその声で、
彼女は投げやりに『名前』の羅列を始める。
――アサクラさん
――ハイ
――イチジョウさん
――ハーイ
――オリベさん
――…ハイ
等間隔に音を鳴らすメトロノームのような、無機質な点呼を聞き流しながら、僕は眼球だけ動かして教室内の様子を窺った。
総勢『三十名』のそのクラスに、空席が『六つ』――
……クラスの不良代表『須磨 剛毅』と、それを取り巻く二人のチンピラ…、藤原と難波、称して三バカ……、が、居ないのはいつも通りとして……、
――そういえば、校舎裏で奴にボコられてから一回も顔を会わせていないな……、あいつ、あの後今週一回も学校に来てないんじゃないか、……まぁ、あんなの『居ない方』が平和でいいけど……。
……『御子柴』は、さっき教室を出て行ったところを見たな。……っていうかアイツ、朝から学校に来ておいて『早々にフケる』とか……、どういうモチベーションで登校しているのだろうか。
……『不知火さん』は……、たぶん、もう『来ない』だろうな……。
『如月さん』からもらった『手紙』によると、彼女はもう『僕たちの前に現れない』と言っていたらしい。……しらぬい………、さん――
……『如月さん』の姿も、珍しく見えないな。……まぁ、昨日の事を考えると、疲れてて当然だ……。っていうか、僕も若干身体が痛いし、今日は無理せず休めばよかったな――
――カラスマさん
――ハイ
――キサラギさん
――…
――…キサラギさん?
果たして、その『名前』が呼ばれた瞬間、
故障したベルトコンベヤーのように、等間隔に鳴り響いていたメトロノームが、ピタリと『止まる』。
「……あら、連絡も無く彼女が休むのは、珍しいわね」
『若い女教師』が、誰とでもなく、呟くようにそんな事を言った瞬間――
――ガラガラガラガラッ――
教室のドアが静かに開け放たれ、音の鳴る方に無数の視線が集中する。
教室の中に入ってきた彼女は、机と机……、人と人の間を縫って、教壇から最も手前に位置する自身の席に向かって、ゆったりと、凛としたさまで、歩いた。
周囲の生徒たちは、氷像のように硬直し、どこに目線を向けるわけでもなく、ただ彼女が歩き去るのを待つ。
彼女が教室の床へ足を踏みしめるたびに、狐のしっぽのように艶やかな黒髪が、――光の加減によっては、碧色に見えなくもない幾千もの細い糸が――、揺らいだ。
彼女は目的地に到着するや否や、音も無く着席する。
「……あ、あら、如月さん、おはよう……、今日も、おうちの仕事の手伝いで遅れたのかしら……?」
如月さんの凄みのあるる雰囲気にたじろぎながら、ぎこちなく、ただし努めてフレンドリーな雰囲気を醸しながら、『若い女教師』が如月さんに声を掛ける。
如月さんは、スッ、と目を細めて、若い女教師の事を鋭い眼光で睨みつけながら、吹き荒ぶ冷気を全身から発しながら――
「……いえ、今朝は、寝坊しました。ごめんなさい」
――果たして、『そんな事』を言う。
「……へっ?」
『若い女教師』が、教師としての尊厳を完全に忘れ切って、ポカンとしたマヌケ面を晒しながら、ポツリとマヌケな声を漏らす。
――ざわざわざわざわ――
周囲が、ザワめく。
一石が投じられた水面のように――
彼女のその一言は、画一化されたクラスという空間に不協和音を生み出した。
――『今、確かに「寝坊」って言ったよな……』――
――『まさか、聞き間違いでしょ……、「野望」とか……』――
――『…「野望」しました、って意味わかんねぇよ……、いや、でも……』――
――『あの如月千草が、寝坊することなんてあるのだろうか?』――
…
…
…
…いや、フツウに『ある』だろ。彼女、『人間』なんだから。
周囲のざわめきに対して、僕は一人、心の中で『ツッコミ』を入れる。
――彼女は、『緑眼族』という意味ではちょっと特殊な人間だけど、かなりの『ド天然』で、それが愛らしく、まっすぐな心を持った、普通の女子高生だ。
…
……あっ、そうか。
――そのことを知ってるの、僕だけなんだっけ――
「……あ、あら……、そう。……疲れているの、かしら…、あまり、無理はせずにね。……ええと、次は――」
――キノシタさん
――…ハイ
――サクラバさん…
何か、『恐れ多いモノを、無理やり見ないようにする』みたいに、若い女教師が早々に追及を切り上げる。ざわめきは次第に聞こえなくなり、水面は再び落ち着きを取り戻した。
つまらなそうに教室に響く点呼と応答を聞き流しながら、
ふと僕の頭の中に浮かんだ、
一つの『if』。
――彼女……、『如月 千草』が、『色眼族じゃなかった』としたら……、どんな『女子高生』になっていたのだろうか――
…
…
……少なくとも、僕『なんか』と接点を持つことは無かっただろうな。
フッ、と乾いた笑いを漏らしながら、
僕はベルトコンベヤーに乗せられた機械の部品みたいに、
『若い女教師』の口から『ミナヅキ』という音が発声されるのを、行儀よく、ただ待った。
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