其の七十 現実世界で、VS・萌え袖


 ――ざわざわざわざわ、ザワザワザワザワ――


 『学校生活』という『ルーティンワーク』が始まる直前、朝の『教室』。

 ――の、片隅、僕の周りの空間だけが、『いびつ』に時が止まっている。


 『ヒズミ』の元凶――、僕の席の机の上に両腕をつきながら両掌で頬を覆い、80年代のアイドルみたいなポーズでこっちを見つめる爆弾娘、『御子柴みこしば すみれ』。


 椅子に座って硬直している僕と、

 ちょこんと腰を降ろしながら、上目遣いでニヤニヤとこっちを見ている『御子柴』が、

 ……果たして、『相対』している――



 「……みこ、しば……さん――」



 辛うじて声を絞り出した僕を見やりながら、御子柴がスッとその腰を上げた。今度は僕を『見下ろす』形で、その不愉快な笑みは止まらない。



 ――そうだ……。



 御子柴の、吸い込まれるような大きな黒眼を見つめながら、

 ある台詞が、『滴』のように僕の頭の中にポツリと垂れた。



 ――誰が『敵』で、『味方』かは、ちゃんと見極めとかないと、あっさり死んじゃうよ?――



 ろくろで直接脳みそをグルグル回されたみたいに、

 僕の頭の中が乱雑にかき乱される。



 ……コイツは……、『御子柴 菫』は……、


 ――『何かを、知っている』――



 「……ナニ? 水無月君……、『怖い顔』しちゃって……、朝からそんな顔してると、『シアワセ』が逃げてっちゃうよ?」



 煽るようにクスクスと笑う彼女を、

 僕は、なるべく冷静を装いながら、静かに、『睨みつけた』。



 「……御子柴……、さん……、ちょっと……、話したいことがあるんだけど」


 「……え~っ、ナニ、もしかして……、『愛の告白』とか~~?」



 御子柴が、「キャッ」と声を漏らしながら、両掌を頬にやりながらクネクネと身体をくねらせる。



 ……クソッ――



 相変わらず僕は、『操り人形』みたいに不自然な御子柴の挙動に『慣れない』。

 喉の奥からせりあがってくる胃液に心の中でエヅきながら、僕は『奴のペース』に呑まれないようにと、必死で全神経に警鐘を鳴らしていた。



 「……大事な、話なんだ。僕は、君に聞きたいコトが――」


 「そんなコトよりさぁ」



 ――ピシャリと、僕の声が『遮断』された。

 有無を言わさぬ声色で、露骨に語気を強めたトーンで、御子柴はあさっての方向をみやりながら、舞台役者のように声を張り上げる。



 「……もうすぐ、『ホームルーム』が始まるっていうのに……、『不知火っち』も、『如月っち』も、……まだ、『来てない』みたいだねぇ~~?」



 ――ドキッ……。



 その二つの名前を聞いて、

 僕の顔に、わかりやすく『狼狽』の色が浮かぶ。



 ……あっ、やばい………。



 ――『思った時』には、既に『遅い』。

 果たして、僕の表情の変化を御子柴が見逃すはずがない。


 彼女は、スッと目を細めて、他人を懐柔する時のような淫靡な流し目で、ニヤリと、口角を上げる。



 「……最近、冷えるからねぇ~~、『風邪』でも引いちゃったのかなぁ……、心配だよねぇ……、水無月、君……?」



 ――ニヤニヤニヤニヤニヤニヤ――



 その不吉な笑みが、僕の眼球にへばりついて離れない。

 友人を慮るようなその『台詞』と、その顔に溢れる『悪意』が、下手くそなアフレコ動画みたいに、どうにも『マッチ』していない。


 至極、『奇怪』。

 まごうことなく、『陰湿』。

 ――総じて、『不愉快』……。


 

 さきほどまで、『コイツから何か聞き出してやろう』と、鼻息を荒くしていた僕はもう居ない。目の前で笑う一人の女子高生は、あまりにも『異形』で……、


 ――僕『なんか』が、手に負える相手ではなかった。



 ――ざわざわざわざわざわざわ――

 ――ニヤニヤニヤニヤニヤニヤ――


 

 喧騒渦巻く『教室』のワンシーン。

 僕と御子柴を囲う半径二メートルくらいの空間『だけ』が、ポッカリ切り取られたみたいに、時の流れが止まっている。


 正直、僕はもう彼女の煽りに対して……、

 応戦する気力『さえ』残っていなかった。







 ――さて、唐突だが、『無知』とは罪なのだろうか?


 「知らなかったでは済まされない」と、人は言う。

 「いい歳して、そんなことも知らないの?」と、非難する。

 …得てして、勝者は敗者を『情弱』と称して嘲笑う。


 ――笑われた者の『バックグラウンド』……、自身の『影』に、震え怯えるその姿に気づこうともせずに――



 時として、『無知』は強さになり得る。

 公共の場で泣き叫ぶ赤子を見て、『非常識』だと怒る人は居ない。


 途方もなく『あっけらかん』と、

 バカみたいに『明るい』声には、


 ――果たして、どんな『邪悪』も、敵わない――。







 「――やぁ! オハヨウ! …御子柴さん、今日はちゃんと『朝』来れたんだねぇ!

……人は、朝日と共に起床し、月と共に眠るのが最も『人間らしい生活』だと言えるからねぇ! その調子だよ! …水無月君! 相変わらず、驚く時の声が大きいねぇ! ……人は、大きな声を出すのが一番だよ! 『カラオケ』だって、立派な『健康法』だって言うからねぇ!」



 ……コイツ、拡声器でも使ってんのか――


 ――ってくらい、『途方もなくあっけらかんと』、『バカみたいに明るい声』が、

 僕の、…いや、教室中にの生徒の耳に、『ねじ込まれる』。



 久方振りの登場。

 頭脳明晰、運動神経抜群、容姿端麗、現代を生きるリアル『出来杉くん』……、

 ――神代じんだい 紅一こういち



 神代が、HAHAHAとアメリカ人のように笑いながら、ニカリと真っ白な歯を見せつけながら、僕と御子柴の顔を交互に見やる。



 ――果たして、僕と御子柴が生み出した歪んだ円形の空間の中に、ノーダメージでずずいと入り込めるような強者は……、

 『神代』のように、脳みその中まで太陽で出来ているような『ネアカ人間』だけだった。


 神代の登場と共に、僕たちを取り巻く空間で、『時が取り戻される』。

 ――と、同時に、ニヤニヤと『歪』な笑顔を終始崩さなかった御子柴の表情が、

 スッ……、と、すべてに『興味を失った』ように『能面』と化す。


 

 「……ジンダイ、キラーーイ…………」


 ――そして、『そんな事』を言い捨てる。


 御子柴はだらんと腕を降ろすと、くるりと後ろを振り向き、餌を食べ終わった猫のように、テコテコと歩いて教室の外へと出て行ってしまった。


 そんな御子柴の様子を見ながら、神代が困ったような笑顔を見せる。



 「……おやおや、相変わらず、僕は御子柴さんに『嫌われてる』らしい……、全く、彼女と仲良くできる君が羨ましいよ、『水無月君』……」



 …へぇ――


 ――どうやら、御子柴は神代の事が『苦手』らしい――



 ……まぁ、それもそうか。

 御子柴は、他人の心を手玉に取るのが『趣味』みたいな奴だ。

 神代みたいに、よく言えば『ポジティブ』、悪く言うと『あまり物事を深く考えない能天気』な奴は、話していて張り合いが無いんだろう。


 …


 ……僕のように、一人頭の中で『余計な事』ばっか考えている奴の方が、彼女の『オモチャ』としてはちょうどいいんだろうな――


 …


 ――って、ちょっと待てよ。



 「――えっ、『神代』……、僕は別に『御子柴』……さんと、仲が良いわけじゃ――」


 「――それでねぇ、水無月君!」



 ――ピシャリと、僕の声が『遮断』された。

 …なんかこのパターン多いな。僕はたぶん、賑やかな居酒屋で店員を大声で呼べるタイプの人間じゃない。



 「……ちょっと、相談したいことがあってね……、今日の『放課後』……、時間、あるかい?」


 ……えっ……?



 ――学級委員長の『神代』が、僕に、相談……?



 その理由に皆目見当がつかない僕が、訝し気な表情で神代の事を見やる。

 その様子を察してか、神代がカラッと笑いながら補足説明を加えた。



 「……『相談』と言っても、大したことじゃないんだ……、ただ、『水無月君』にしか頼めないことでね……、じゃあ、放課後、『生徒会室』で待ってるからね!」



 言うなり、神代はニカリと真っ白な歯を僕に見せつけながら、さっそうと自分の席に戻っていってしまった。


 ……えっ、ちょっと――


 ――僕、『了承』の返事してないんだけど……。

 …不知火さんの時といい、なんか、このパターン多いな。……、僕はたぶん、怪しげなツボの訪問販売を断れるタイプの人間じゃない。


 …


 ……それにしても……。



 ――『水無月君』にしか頼めないことでね――



 ……なんだろう、見当もつかない。



 グルグルと思考のループに陥っている僕の耳に、背後からボソリと『ゾンビの呟き』が聞こえる。



 「……水無月、なんかお前……、最近大変そうだな」



 くるりと後ろを振り返る。

 普段は自分以外のすべてに対して興味を持たない『死んだ魚のような目』の烏丸が、

 その片目をちょっとだけ細めて、その顔にちょっとだけ同情の色を浮かべていた。



 「……ハハッ、ありがと……」



 僕は烏丸に釣られるように、ゾンビのように覇気の無い表情で、

 無理矢理口角を上げて、ヤケクソ気味に乾いた笑いを見せた。



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