其の五十八 『炎舞』
……。
……ヤバイ。
――ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ――
……ヤバすぎ。
『僕』が学生服の中に来ている白いワイシャツは、もはやびっしょりとかいう言葉では形容できないくらいに汗が染みわたってる。
眼前に迫っていた『火の玉』によって体温が上昇したという物理的な理由と、
あまりにも『ヤバい』状況での極度のストレスという精神的な理由――
たぶん、ペットボトル一本分くらいの汗が放出されてしまったと思う。このままでは不知火さんに焼き殺される前に脱水症状で死ぬ。
ヤバイヤバイと騒いだ所で解決できる問題はこの世には無い。僕は精神の安定(による汗の噴射の静止)を求めて、一人頭の中で状況の整理を試みる。
だだっ広い学校の屋上で、そろった役者は三人。
ひたすら汗をかき続けて、情けなく地面にへたり込んでいる僕、こと『水無月 葵』。
『赤眼』に感情を支配されてしまったことにより、火の玉を操る『炎上系メンヘラ娘』に変貌してしまった『不知火 桃花』。
……その『メンヘラ娘』をありとあらゆる角度から煽り続ける『ド天然娘』――、『如月 千草』。
――いや、違うか。
如月さんは、たぶん、不知火さんを煽るつもりなんてこれっぽっちも無い。
ド天然であるが故、純粋に、思ったことを、ただ口にしている『だけ』。
如月さんに落ち度があるとしたら、自身の一挙一動によって、みるみる怒りのボルテージを上昇させている不知火さんの『変化』に気づいていないという、一点……。
……ああ、天然に勝る凶器はない。消火を試みようとサラダ油をぶっかける消防隊員に緊急通報する人は居ない。無力な僕は火事現場を遠巻きに見守ることしかできない。
――何故、こんな事になったのか――
――放課後の『幕開け』。
僕は『手筈』通りに、ホームルームの終了と同時にダッシュで教室を飛び出し、玄関の靴ロッカー……、『不知火さんの下駄箱』に、予め用意していた手紙を仕込んだ。内容は一言、『話したい事があるから、屋上に来てください』。
――その間、如月さんは『手筈』通りに校内の消火器をかっさらって、屋上の『塔屋』の上に待機。 …なんで消火器が必要なのかは、僕もさっきまでわからなかったけど。
そして、不知火さんが『手筈』通りに屋上にやってくる。如月さんには、『僕に危険が迫るまで』という条件を元に塔屋の上に待機してもらった。……『塔屋の上』が絶好の隠れ場所になるという事は、最近、身をもって体験している。
僕は『手筈』通りに不知火さんに真意を聞き出す。
……果たして、不知火さんは――
僕の読み通り、『赤眼』――、
僕の『命を懸けた校内戦争』のラスボス、『黒幕』その人だった。
――と、ここまではオーケー、筋書き通りに話が進んでいた。
……決戦の舞台に屋上を選んだのも、問題ない『はず』だった。
昨日、サイコ教師『鳥居先生』と激闘を広げたバトルフィールドは『体育館』。これが、『赤眼』という『サイコキネシスみたいな力』でモノを飛ばす能力者にとってはおあつらえ向きの戦場だったことがあり、僕たちはかなりの苦戦を強いられた。
――同じ失敗を繰り返すのは愚者の証拠。僕は『平穏無事で何も起こらない学園生活』を取り戻すため、普段の八倍くらい脳をフル回転して『脳内シミュレーション』を行った。
今回のバトルフィールドは『屋上』。広がるは一面灰色のコンクリートと、澄み渡るような青く白い広大な空だけ。『敵』に用意された武器はない。こっちには『如月 千草』という、忍者とレスラーを足して炭酸水で割ったような戦闘能力を誇る傭兵が居る。
……勝ち戦だ。
正直、僕は『VS サイコ教師・鳥居』の回みたいに緊迫したシチュエーションになると思っていなかった。穏便な話し合いをもって、『僕の命を狙わないで欲しい』と彼女を説得するつもりだった。
――果たして、何も無いところから『火の玉』を生み出すなんて――
「……そんなの、アリかよ……」
――メラメラメラメラメラメラメラメラ……
僕が、状況の整理を試みるために頭をフル回転していた『数分間』――
――彼女、………『不知火 桃花』が、
――およそ、『バランスボール』くらいのサイズの、
――五つ……、いや、六つかな……?
――幾つもの『巨大な火の玉』を呼び出す時間としては、充分だったみたいだ。
――メラメラメラメラメラメラメラメラ……
身体の中に溜まったあらゆる『怒り』がスッ、と放出されたみたいに、
ガクリと脱力した様子の、『不知火 桃花』が、
細い眼で僕たちを見下ろしながら、
――薄く、笑った――
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