37話「そして夜は更けて」


「……流石に、これはどうだろうか?」



 ツインベッドである。


 明らかにご夫婦、恋人向け。というか普段師匠が使ってる家具と比べても、多少グレードが低いで済むあたりかなりちゃんとした宿だ。下手をしなくとも、地区で一番良い宿屋のスイートルームに相当する部屋だろう。


 刻まれた知識でパッと確かめる限り、貴族が泊っても許される程度の格がある。


 いや、そんなことは今起こっている問題の本質と関係はない。というか何の助けにもならない。



「違うんです、本当に違うんです」



 今現在進行形で入り口の前に座り込み、顔を真っ赤にして泣き出しそうなダイム。そして彼女によって引き起こされた大惨事汚部屋を直視しなければならない。



「いや、うん。大丈夫…… ちゃんと頑張れば寝るスペースは確保出来る。かな?」



 本当に、部屋中に散らからる服や本、あるいは良く分からない部品が。よくもまぁたった2つのトランクケースに詰まっていたものだと感心してしまう。


 というか、なんで部屋に入った瞬間トランクが爆発するのか訳が分からない。少なくとも僕の知識の中にあるトランクはこんな風に、中に入っている荷物を周囲にぶちまける仕組みにはなっていない筈だ。



「ちゃ、ちゃんと普段はメイドが居なくても整理できるんです」



 彼女は必死に訴えるが本当だろうか? 割と師匠も部屋を散らかす方だけれども、それはそれとしてここまで酷くはない。最低限、動線は確保するし。そもそも不必要なものをこんなに運ばない。


 いや、そもそも整理以前にトランクが爆発するのがおかしいのだ。



「というか、2冊も3冊も本を持ち歩く必要が?」


「そ、それは必要なものです。詳しくない部分が壊れた時、参考にしますし」



 パラパラとめくってみれば、確かに円管筋肉シリンダーマッスル周りの参考書らしいのだが。百科事典みたいな厚さの割に、意外な程ページ数と文字数が少ない。それこそノートパソコンより重く、文庫本よりも文章量が少ない。


 そもそも竜の皮で作られた紙は分厚くて、脳に直接知識を焼き込む共感魔術が重宝されるわけだと納得がいった。


 まぁ、これもぶっちゃけ現実逃避に過ぎないのだけれど。取りあえず技術書をまとめて机の上に置いておく。千里の道も一歩からだ、取りあえず何がどこにあるのか把握しなければ整理は始まらない。



「というか、明らかにあのトランクに入る量じゃない気が」


「そのあたりはちょっとした魔術の応用で、見た目の倍は詰められますし」



 えへんと胸を張る辺り、一般には普及していない魔術なのかもしれない。少なくとも師匠から教えて貰った知識にはないし。何よりダイムがこうやって自慢するのはとても珍しい。



「重さが明らかに入っているものより軽いのも?」


「ええこの魔導マギトランクに詰められた物の重さは、ライズルースターの竜炉とリンクして半径500m以内なら半減出来ます」



 成程。何となく、この惨劇の原因が分かった気がする。



「確かに凄いのだけど、500mを超えたらどうなるの?」



 上昇傾向にあったダイムのテンションが、一気に急降下した。つまり、ダイムが作った魔導マギトランクとライズルースターに内蔵された竜炉の距離が生まれた結果。術式が維持できなくなり、それがこの結果につながったのだと理解する。



「うん、アラームは付けよう。あと、説明があると嬉しいかな?」


「ごめんなさい、ノイ。本当はこんな風にするんじゃなくて、もっと……」



 悲しそうなダイムの視線を追うと、ベッドの上にレースで出来たショーツとガーターベルトが折り重なっている。


 まぁ、その。僕もお年頃な訳で。そういうものを彼女が用意して来たという事実に胸がドキドキしなくもないのだけれど。この惨状を目の前にしてそれを保てるほどに持て余してはいない。



「まぁ、ある意味助かったというか。アレを着て迫られたら困ってた」


「それはやっぱり、私が貧相で女の子として魅力が無いからですか?」



 確かに彼女の髪は荒れているし、目の下に隈があるし。何より銀髪よりもなお白い肌色と、かろうじて女性的な丸みが見て取れる手足の細さは。ちょっと健康的な魅力は欠いているかもしれない。


 ただ、それを差し引いても美人と言える顔立ちと、何より意外とコロコロ変わる表情はとても魅力的である。それこそ転移直後に出会っていれば、彼女に恋をしていたと断言できる程度には。



「いや、シンプルにさ。僕は師匠に挑めてもいないし」


「別に、決着を付ける前に手を出しちゃ駄目って事は無いですよね?」


「嫌だよ、僕はダイムに好きだって言いながら師匠の事を思うのは」



 まぁ、僕がやっていることは最悪に近い行為であることは間違いなく。二股どころか自分に恋する女の子を踏み台にして、憧れの人に告白しようというのだから度し難いにも程がある。



「というか、ダイムが欲しいのはライズルースターの機兵乗りライダーなんでしょ?」


「……最初は、そう思っていたんです」



 魔導マギトランクのが炸裂してから、座り込んでいた彼女はようやく立ち上がる。



「だから、それこそ私で繋ぎとめられるなら。それはそれで位のつもりでした」


「うん、だから僕も容赦なく利用することにしたんだけどさ」



 改めて考えなおせば、なおいっそう最悪である。年下の女の子の恋心を全力で利用しようと考える辺り。僕には間違いなく悪質なヒモの資質があるに違いない。



「ただ、そうやって利用するつもりでお洒落して。可愛く振舞おうとしてノイに気に入られようと頑張っていたら…… その前からちゃんと好きではあったんですけど」



 確かに彼女は僕があの最悪な約束を結んでから、ずっと綺麗になった。髪の荒れも前よりはずいぶん良くなったし。服も実用と着心地から、実用と可愛さに選ぶ基準が移っている。


 特にシャツなんて飾り気のない油と脂で汚れた物を着た切りだったのが。フリルで飾られた可愛らしいものを、汚れたら着替えるようになったのが見て取れる。


 まぁ、白衣はそのままなのだけど。アレは僕の学ランみたいに彼女にとって譲れない部分なのかもしれない。


 いや、僕の学ランはファッション以上に。これ以上着易くて動きやすい服が。この世界で手に入らないのが大きな理由なのだけれども。



「たぶん、恋に落ちてしまいました」



 ああ、もう本当に。この瞬間の彼女は間違いなく。あの時、僕の目の前に立った師匠に迫る位には僕に強く焼き付いて――



「ありがとう、けど僕は悪い男だから」


「ええ、私はそれを知った上で恋してしまったダメな女の子ですし」



 本当に、互いにダメすぎて笑ってしまった。こんな悪い男に恋するくらいなら。他に誰かもっとましな相手にと考えて。ライズルースターが埃をかぶっていた事実を思い出す。


 あの機体が完成するまで、彼女以外の誰も関わらなかったなんて事はあり得ない。それこそ建造から最低限のスクロールを刻んだ機兵乗りライダーまで、何人もの人間があの機体と出会って。


 その誰もがライズルースターを選ばなかった。


 もしかしたら駄作機と罵った人もいるかもしれない。あるいは失敗作と師匠は呼んでいた。その上で僕だけが、あの機体に乗りたいと思って。


 そして彼女はそんな僕にシンプルな好意を抱いて、そんな運命と呼ぶには浅はかな積み重ねで結果的に恋をしたのだ。


 本当に困る。応えたいと思ってしまうのが辛い。


 けれどそれでも僕は、彼女の力を借りなければ師匠と同じ舞台に上がる事すら出来なくて。それを知った上で、技術者としての彼女を求め。その恋心を踏みにじる。



「だから、その恋を知った上で。師匠に挑むのを手伝って欲しい」


「はい、勿論。ただ負けたらノイは私のものですし。勝ったとしても――」



 そして、踏みにじられていることを理解した上でダイムは。



「私を幸せにしてくれるって、リーナと約束したんですよね?」



 本当に真っ直ぐな笑みを向けて来た。もう本当に、あと一歩でも状況が違っていたらここでコロリとやられていたに違いない。



「ああ、勿論。ただそれより前に、この惨状をどうにかしよう」


「ええ、さっきの告白は本気ですけど。半分位は現実逃避も混ざってましたし」



 結果として僕らが部屋を片付けて、二人でベッドに倒れ込めたのは夜も更けてからであり。ぐったりと疲れた結果、色気なんて欠片も無く泥の様に眠ったのだけど。


 それはそれとして、この一夜は間違いなく。僕等にとって忘れられない思い出になった事だけは間違いなかった。 


 

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