第3話 邂逅

 セイレム村に残されたのは、焼かれた地面へ倒されたすすけた木と、積み重なった瓦礫であった。

 やはりというべきか、焼け爛れた死骸は片付けられている。村の中を進むアサレラの影が、足下で濃く長く伸びる。

 西へ傾いた日は、すべてを赤く染め上げている。あの、セイレムが滅びた夜のように。


 わかっていたはずなのに、と、アサレラは臍を噛む。

 あの夜、人も植物も建物も、すべてが魔物の炎の中に消えた。爛れた養母の傍で父が炎に包まれたのを、アサレラは目の前で見たのだから。

 だが、アサレラは思わずにはいられない。他の村人はともかく、父と養母には生きていてほしかった、と。


 そうでなければ、いったいなんのために今まで生きてきたのだろう。十一年ぶりの帰郷は、彼らをおのれの手で殺すためだったというのに。

 そのためにアサレラは剣を取り、魔物との戦いに身を置いていたのだ。いずれ来たる復讐の日のために。


 アサレラは立ち止まる。村の残骸は落陽を受け、ただ佇んでいる。

 この手はいったいなんのために剣を取ったのだろうと、アサレラは左手をじっと見つめた。

 そこへ、鮮やかな黄色の花片が音もなく落ちた。


「…………花?」


 視線をあげると、小さな黄色いものが、ひらり、ひらりとアサレラの視界を横切っていく。

 アサレラは視線を上げた。青い空に映えるいくつもの鮮やかな黄色は、確かに花片である。

 セイレムに残っているものなどないはずだ――ただ一人生き残ったアサレラの、遺恨を除いて。

 なのにどうして、と舞い上がる花片を目で追っていると、なにかがアサレラのマントを引いた。


 振り向いたアサレラの目の前に立っていたのは、アサレラより頭一つ分ほど背の高い、ひょろりとした男だ。

 ゆるやかになびく長い髪は、夏に咲く花の色に似た薄紫色。

 露出した額は白く、青みがかった緑色の目はどことなく憂いを帯びている。

 黒く焼け落ちたセイレム村の無残な光景には到底似つかわしくない、端正な顔立ち。

 おそらくアサレラと同年代であろうその男は、静かに立っていた。

 その手にアサレラのマントの裾を握りながら。


「………………おまえ…………」


 ぽつりと落ちる声は、雨粒にも似て清涼で、どこか懐かしい響きがある。


――……誰だ?


「おまえは…………誰だ」


 まさしくアサレラの放つべき言葉である。


「そ、そういうきみこそ…………それに、どうしてこんなところにいる?」


 なぜかどぎまぎしながら、アサレラは問い返す。

 向かい合う二人のあいだを、風がさあ、と通り抜けていった。

 アサレラの短い銀色の髪が揺れ、男の長い薄紫色の髪がたなびく。男の纏う臙脂色の長い裾が翻り、いまだに掴まれたままのアサレラのマントが不格好に上下する。

 甘く、かすかに青くささの混じった花の匂いがほのかに漂う。

 冷気を帯びた風がおさまったころ、アサレラはいつまでもマントを離さない男へ、口を開いた。


「………………とりあえず、その手を離してもらえないか」


 アサレラの指摘に、男は今気がついた、というように自分の手元を見つめ、それからゆっくりと細い指を広げた。

 解放されたマントの裾がアサレラの足下に舞い戻る。


――なんだこいつは…………。


 いくら見た目がよくても、初対面の人間のマントを掴んで離さない、という奇行を打ち消すには至らない。

 アサレラはマントの裾にくっきりと刻まれた皺を伸ばそうと試みたが、手を離すと再び皺が寄ってしまう。

 数度の試行ののち、アサレラは諦めてため息をついた。どうやらこの男、軟弱そうな見かけに反して力は強いらしい。


「せっかく王都で買ったのに、どうしてくれるんだ」


「……人を……探している」


 一拍置いて、先ほどの問いかけに対する答えだと気づいた。


「人って……見ての通り、ここにはなにもないし……誰もいない」


 男が睫毛を静かに伏せると、緑色の目に蒼い影が落ちる。


「…………たぶん、カタニアにいる」


「カタニアって……ウルティア王国か?」


 ウルティア王国の南東、ダルウェント川の近くにカタニアという町があったはずだと、アサレラは酒場で時折見かけた大陸地図を脳裏に浮かべる。

 確かカタニアは、セイレムから橋を渡ってすぐのところにあったはずだ。


「ああ、それでこんなところにいるのか。この先の橋を渡るつもりだな?」


 あの吊り橋はコーデリア西部の住人ぐらいにしか知られていないのによく知っているものだと感心する。

 しかし、男はわずかに首をかしげた。


「…………橋? なんのことだ」


「……違うのか? じゃあ、どうしてここにいるんだ」


 セイレム村は、コーデリア王国の南西端にぽつんと存在する――いや、したと言うべきか――小さな村だ。大陸南部のコーデリアのさらに南西端なのだから、いわば大陸の果てといってもいい。

 たとえセイレムが滅びたことを知らなかったとして、取るに足らない小さな村へ立ち寄る必要など微塵もない。


「…………王都を北上したつもりだった。……気がついたらこんなところに……」


「王都? オールバニーのこと……だよな」


 男は無言で頷いた。


「…………そ、そうか……」


 考えられない方向音痴ぶりだが、同じ穴の狢であるアサレラとしては、なにも言えなかった。

 どうしたものか、と言葉を探してアサレラは視線を上向ける。


「……カタニアまで、おれと一緒に行くか?」


 頭で考えるよりも早く言葉が口をついて出て、アサレラはおのれの発言に内心驚く。

 男は眉をひそめ、撤回や弁明の間もなく、はっきりと言い切った。


「必要ない。オレ一人で行ける」


 すげなく断られ、さすがにアサレラの中へ刺すような苛立ちがにわかに募る。


「きみ一人でカタニアまで行けるのか? また迷ったら、その人とも会えないぞ」


 ついトゲのある言い方をしてしまうと、男の整った横顔に、むっとした色が浮かぶ。


「…………オレは行く。……橋はどっちだ」


「……ここから北東だ。けど……」


「そうか」


 アサレラの言葉を待たず、男はすたすたと歩いて行ってしまう。

 空を舞っていた黄色の花びらは、いつのまにかどこかへ消えていた。

 薄紫色の髪が残照を受けながらなびいていくのを呆然と見送ると、アサレラの内へ反省の念が水のごとく流れ込んだ。


――今のは――、いや、今のも、おれが悪かったな……。


 初対面の人間にあんな提案をされて警戒するのは当然である。アサレラが彼の立場であったとしても猜疑心をあらわにし、助けの手をはねのけるだろう。

 人の心は読めないし、その発言が本心から出たものかどうかなどわからない。他人を不用意に信用する者は、必ず足下を掬われるのだ。


――でも……。


 夕闇が迫り、辺りは薄い藍色に染まり始めている。まもなく日が沈み、夜が訪れるだろう。

 あの男は武装しておらず、武器も携えていなかった。無防備な一人歩きは、魔物に襲われようとしているようなものだ。

 そして、それを知りながら野放しにするのは、彼を魔物に襲わせようとしているのと同じだ。


「…………仕方ないな」


 アサレラは男を追うために故郷を後にし、そして、二度と振り返らなかった。

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