世界の分水嶺
第85話ふりだしに戻る話
ランカスター王国では雪が降ったようだ。マーゴからの手紙に、毎日雪が降っていて例年通りに積もっていることが書かれていた。
学校の様子も詳しく書かれていて、留学から戻ってきたアリエル・ホールドンが男子生徒の変わりように戸惑っているようだ。
錬金術学科の生徒が作った、魅了魔法対抗用のルーン文字入りの魔法石は、魔法学科の男子生徒分が揃い理事長から配布された。
これは、仕方が無いことだけれど……作成者に関しては秘匿され、入場キーとして渡されている宝石ブローチに、魔法石が追加されることになった。
すぐに目に見えた効果はなかったようだけれど、アリエル・ホールドンが魔法学科に通い始めてからは、効果覿面だったようだ。
まず、アリエル・ホールドンが、授業の課題を取り巻きの男子生徒に押しつけようとすると、やんわり断られたり、一緒に課題をやろう、と言われたりと簡単に肩代わりすることがなくなった。
女子生徒が、アリエル・ホールドンに日常生活に対して苦言を申し立てると、大概、男子生徒が庇い立てていたが、誰も庇うことをしなくなった。
「女子生徒同士の喧嘩は、女子生徒同士で」と、割り切るようになったのだ。一方的に、アリエル・ホールドンがいじめられているわけではない、と判断できるようになったのだ。
そして、マーゴの手紙の中で踊り出しそうなほど、喜んでいることがうかがえるのが、リッツ先生の懲戒免職処分だった。
リッツ先生は、どうやら理事長命令にもかかわらず、魅了対抗用のアイテムを何も身につけること無く、アリエル・ホールドンの虜になる道を選んでいたらしい。アリエル・ホールドンをいじめていると、リッツ先生が、一方的に伯爵家の令嬢を、授業中に糾弾していたところを、同じクラスのシベルが庇い、リッツ先生が魅了魔法に対抗できていないことを証明し、理事長に訴えたらしい。
シベルの冴え渡る弁論と、数々の証拠によってリッツ先生はその日のうちに教職を追われたようだ。
シベルの弁舌は、伝説になりそうなほど見事だったらしい。
そのシベルだが、正式にエディット・フィッツウィリアムとの婚約は白紙に戻った。魅了の魔法が解けても、エディットは変わらなかったので、シベルが歩み寄ったとしても変わらなかっただろう。エディットとの婚約が白紙に戻ったことは、シベルにとって良かったことだったが、リッツ先生を解雇のきっかけになった、冴え渡る弁舌が、次の婚約者捜しの壁となった。
あそこまで、弁論の立つ女性を息子の嫁には迎えたくない、というのが年頃の子供を持つ親の意見らしい。 女は少しバカで、男の言うことを素直に従う程度が良いと考えている人が圧倒的に多い。
魔法学校に通うのだって、魔法が暴走したら困るからで、当初は女性に学問を学ばせることに対して、猛反発があったらしい。
平民達の間では、学問を付けたしっかり者の女性は良い働き手になるので、嫁として歓迎する傾向にあるが、貴族社会は非常に保守的なので、まだ、その傾向には無い。
人に意見を言うのが苦手だったシベルは、変わったけれど、貴族社会で生きていくのは大変そうだ。
「何か、変わったことでもあったか?」
いつものように工房で、冬休みの課題をしようと準備をしているとシャールーズがやってきた。ナジュム王国は冬になったと言っても、雪が降るでは無いので比較的暖かい。
「魔法学科の男子生徒たちの魅了魔法が解けたみたいで、一気に環境が変わった、と手紙が」
魔法石の作り方には、だいぶシャールーズに協力してもらった。たぶん、シャールーズのことだから無償での協力なんてことは考えていなくて、なにか代償を要求してくると思っている。
ナジュム王国は、商業が盛んだしね。
「そうか。……で?」
シャールーズは、私の手元にある共鳴石を見て先を促した。三学年になって二ヶ月が経つ。そろそろ共鳴石の使い方の結果を出したいところだ。私は、春には帰国し、初夏に卒業式を迎える。
「シャールーズの言われたルーンも調べたのだけれど、私のやりたいことができるわけじゃなかったの」
そう、共鳴石を使うための手段は調べ尽くした。どうしてもペアリングに使うためのルーンが見つからない。見つからない場合は、自分で新しいルーン文字を書き起こすしかない。
「よっぽど気をつけないと、既存のルーン文字の力に引きずられる」
「わかってるわ。だから……既存の文字の組み合わせで新しい効果を出そうと思うの」
新しい文字を生み出すなんて、デザインの才能でも無いと難しい。せっかくたくさんの文字があるのだから、それを組み合わせて、便利な効果を生み出したい。
「それは、あまり試したことが無いから、やってみると面白いかも知れない。ところで……」
シャールーズは、ソファに座っている私にさらに密着するように座り直し、のしかかるような勢いで私の左手を手に取った。
「この指輪、どこの男から貢がれた?」
私の中指にある見事な装飾の指輪に、不機嫌そうにシャールーズが言った。
「これは成人の証の指輪で、シャールーズからデザイン画をもらったものよ」
ランカスター王国では、成人した証に自分の手紙の封蝋などに使える紋章をかたどった指輪を作る。私はランカスター王国の伝統的なデザインにしようとしていたが、シャールーズがナジュム王国の伝統的な意匠のデザインを見せてくれた。私は、その中から選んで、成人の証の指輪とした。
「素敵でしょ?ランカスター王国で、ナジュム王国の伝統的な意匠の指輪なんて、誰もしてないわ。私だけの物」
シャールーズは、成人の指輪の話をしたことを忘れていたのか、ばつが悪そうな表情を一瞬して、すぐに照れたように頬を少し赤くした。
握りしめていた私の左手を口元に持って行き、指輪をしている中指に軽く唇を触れさせる。
「ありがとう。俺の国を好きになってくれて」
共鳴石のペアリング方法は、ある程度思い浮かんでいる。共鳴石ひとつひとつに、ユニークな番号を付け、使用する場合は、ペア同士そのユニークな番号を覚えさせて登録すれば良い。登録した番号以外は反応しないので、共鳴石の問題はクリアだ。
ただ、単なる石に「番号を登録する」なんてシステマチックなことはできない。
聖地の位置を確認するための道具にしようと思っているので、聖地にある共鳴石の番号は、予め販売用の共鳴石に書き込んでおいて、モスクで販売した時に、販売用の共鳴石の番号を、聖地の共鳴石に書き込めば解決しそうじゃ無いかなぁ?
聖地の位置が知りたいなんて、敬虔な信者だろうし、モスクで独占販売ってことにすれば、モスクにも寄付以外の収入が入るし、一定以上のマージンを私に払ってくれれば、私も潤う。
テスト段階では問題なかったんだけど。誰か聖地に入り込める人を見つけないと。シャールーズとか、聖地の立ち入り禁止区域とかに入れるのかしら?
○●○●
年末年始は、シャールーズと過ごした。朝から晩までべったりとシャールーズにくっつかれていた。寝室はかろうじて別だけれど、最近、それすらも危うい。寒いからと、私を抱き枕のようにして寝たいとシャールーズが言うのだ。
絶対、抱き枕で終わらないと、肌感覚で分かったのでお断りしているが、「結婚したら見てろよ……」と悪役のような捨て台詞を毎回シャールーズは、言ってから自分の部屋に戻っている。
年が明けて早々に、アミルが御用聞きにやってきた。いつもは、ナジュム王国を拠点としているアミルの商会の担当者が来るのだが、年始の挨拶ということでアミルが来た。
「ジュリアが考えてくれた、紅茶とミントとローズマリーのブレンドティーも売り上げが好調で、別の風味も行けるのでは?と考えて、緑茶とミントとローズマリーのブレンドも先月から売り始めた」
「緑茶あるの?」
「ジュリア、流行にめざといね。最近、取り扱い始めたんだ。紅茶の茶葉を蒸しただけなんだけど、ミントとローズマリーの爽やかさを倍増するような味で、人気が出てる」
私はとっさに、日本的な物があるのかという意味で言ってしまったのだけれど、アミルは勘違いしてくれたようだ。
緑茶とはいっても、茶葉を蒸しただけのようだし、紅茶と違った物を売ってみようと思えば、誰でも思いつく製法だ。何でもかんでも転生者、と考えるのはよくないかもしれない。
「その緑茶ブレンド飲んでみたいわ。シャールーズが好きそうだから」
シャールーズは、爽やかな風味のする物が好きな傾向がある。緑茶とミントとローズマリーのブレンドとか絶対好きだと思う。
「仲が良くてよろしいですね」
私がデレっとした表情をしたのが分かったのか、アミルが呆れている。
「け、軽食の売り上げはどう?」
私は話題をそらした。これ以上突っ込まれて、根掘り葉掘り聞かれるのもちょっとヤだ。
「売り上げが良いので、今度、ロンドニウムにも進出しようかと。力仕事の職業は王都だと少ないが、それでも寄り合い馬車の馬丁や、郵便配達なんて、時間に追われている労働者はいるから。そこそこ売れると見込んでいる」
「私も売れると思うわ。最近、カフェばかり増えたと聞くし」
アミルが、カフェといえば、と話題を切り替えた。パルヴァーネフで売り子をやっている年頃の娘が、誘拐されるという事件が多発しているらしい。
「単なる誘拐事件と思うと、そうではないみたいなんだよね。誘拐された、と騒いでいた店の主人が、次の日には、娘は奉公に出したんでした、とか、病気療養で引っ越したんでした、とか、もっともらしい理由を付けて、誘拐では無かったと警備隊に申し出ているらしい」
「え?そんなこと間違えるの?」
「おかしいとは思うけど、警備隊が念のために捜索しようとすると、凄い剣幕で、誘拐じゃ無かった取り消してくれ!というものだから、警備隊は何も出来ないらしい。まあ、親族が違うと言ってしまえば、誘拐ではないからね」
「ちょっと……気味が悪いわね」
記憶を操作されているとかだったら、気味が悪い。でも、アミルの話からして、記憶の操作と言うより何かを口止めされた、って感じがする。
おそらく、娘を手放すことによって金品を得たのだろう。娘と両天秤にかけて金品を選んだから、ばつが悪く、警備隊にものすごい剣幕で喚いていたと推測できる。
「攫われた娘は、全員、家が貧乏で女性でも働かないとやっていけないような家では?」
私の問いかけにアミルが驚く。
「まるで、見てきたように言うね」
「ナジュム王国は、女性の労働は褒められた習慣では無いのよ。女性は宝石だから家の奥で大切に保管しなければいけないというのが、常識なの。女性が労働すると言うことは、それだけ貧乏ってこと」
「新しい考えの持ち主かも知れないでしょ?現に、シャールーズ王と、ジュリアは二人でよく行動している」
「新しい考えの持ち主なら、次の日の娘の行方の理由について、そんなこと言わないと思うわ。……私がシャールーズに売春宿やその関連施設に人身売買している所が無いか、調べてもらうように頼んでおくわ」
「やっぱり、ジュリアもその線だと思う?」
「見目の良い女性を攫う理由なんて、金儲けか自分で囲うか、古来からその二択しか無いわ」
私は、シャールーズに面会を求めると、執務室に案内された。シャールーズは快く出迎えてくれて、私はアミルから聞いた話と、私の推測を合わせて説明した。
「人身売買か……。わかった。警備部隊長に頼むとしよう」
シャールーズが、従者に警備部隊長を呼んでくるように頼もうとしたとき、執務室の廊下の前が騒がしくなった。
誰かが、許可なしにシャールーズに会いに来ていて、シャールーズの従者や、護衛達が必死に止めているようだ。ただ、その訴えがあまりに悲痛な女性の声なので、止めるに止められないといったようだ。
「どうした?」
シャールーズが、室内に居た従者に声をかけると、外を見てきます、と従者が外に出ようとする。瞬間、執務室のドアがけたたましく開かれた。
「お願いです、陛下。娘を助けてください」
身も世も無く泣き崩れる身なりの良い女性が、執務室の入り口で平伏した。
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