獣人⑤


木漏れ日ーーーー。



数十本の桜木に囲まれた学校。校歌が、第一体育館から聞こえてくる。


今日は、卒業式。俺は一人、教室に残っていた。ぼんやりと三階の窓から体育館を見下ろしていた。桜の花びらが、俺の前をひらひらと横切り、春の匂いだけを残していく。





「卒業おめでとう。九重君」




「気持ち悪いな、その呼び方。今まで通り、呼び捨てでいいよ」




「そう? じゃあ、九重。卒業おめでとう」




「あぁ。そんなことより、先生は出なくていいのか? みんな体育館に集まってる。早く行った方がいいよ」




「それは、九重も同じでしょ? こんなところにいたら卒業証書もらえないかもよ」




意地悪く笑う先生。背が低く童顔なので、相変わらず中学生のようだった。




「めんどくさいんだよ、あぁいう式。校長の話もバカみたいに長いしさ」




「アハハッ、確かに校長先生の話は長いよね。私も苦手だな。九重は、卒業したら鹿児島に行くんでしょ? 大学受かったんだよね。がんばったね。でも大学生活も大変だから気を抜いちゃダメよ」




背伸びして、頭を撫でようとする先生。反射的にその手から逃れた俺は、自分の席に腰を下ろした。




「鹿児島に親父の親戚がいるから、その人の空いてる部屋を貸してもらうんだ。大学行くには、金がかかるから少しでも節約しないとさ。バイトも探さないといけないし」




「フフ、変わったね。九重。なんかあの頃とは、別人みたい」




「そうか? 自分では良く分からないけど。先生は、このまま教師を続けるのか? そろそろアンタもいい年だろ。結婚とかしないのかよ」




「出来ないよ、結婚なんて。私みたいな化け物と結婚してくれる男なんていないよ。まぁ一人のほうが気楽でいいしね。土曜日とか、朝まで映画見てても誰も文句言わないし」




「いやっ、結婚してても映画は見れると思うけどな。そうか……。アンタも寂しい女だな」




「なによ、その目は。そんなに哀れむな! 九重だって、そんなにツンツンしてたら一生彼女も出来ないよ」 




怒って、教室を出て行こうとする先生。




「待っ」




ガシャンッ! 倒れるイス。




その時の俺は、どうかしていた。なんで、あんなことをしたのか分からない。気付いたら、俺は先生の左手を握っていた。先生の白く細い腕が、壊れてしまうんじゃないかと思うぐらい強く握っていた。


驚いて振り向く先生の目を見たら、俺の心臓がドクリと大きく跳ねた。


 


「先生……あの、俺。その」




「ダメだよ、九重。先生にこんなことしちゃ」




先生は、右手で俺の手を優しく掴み、自分の手から離した。俺は、どうしていいか分からず、ただその場に突っ立ってることしか出来なかった。


頭が、混乱して。とても恥ずかしく。言葉を考える余裕が、まるでなかった。




「今のことは、忘れます。だから、二度とこんなことしないでね。九重のためだから。大学入ったらさ、可愛い子がいっぱいいるよ。さっき言ったのは、嘘。九重なら、すぐに彼女が出来る。だから、ね? 私は先生。ただの教師で、アナタは生徒。それ以上の関係になったら、ダメなんだよ」




先生は、優しく笑っていた。でも、俺にはその笑顔はとても悲しく感じられ、思わず涙が出そうになった。


先生は、こんな風に何度も異性を突き放してきたのだろう。どんなに自分が好きになっても、相手に嫌われることを恐れ、そして諦めてきた。先生の孤独は、俺なんかには想像も出来ない。先生の深い悲しみを理解することは、俺には出来ない。




それでも俺は。




先生の小さな体を後ろから抱きしめて、




「好きなんだ、先生のこと。大学卒業したら、必ず先生に会いに来る。それまで待っててくれ」




「はなして……おねがい」




「俺じゃ、ダメなのか?」




先生は、身を震わせて泣いていた。




「先生が、化け物になったって俺はかまわないんだ。先生一人だけ、悩む必要なんてないよ。二人でさ、幸せになろう。な?」




「……」




バタンッ! 




先生は、強引に俺の手を振り解くと教室を出て行ってしまった。教室に一人残される俺。先生の涙の粒が、手の甲で光っていた。




「ハハ、フラれた」




冷たい机に頬をつける。





でも、これで諦めがつく。告白しないまま東京を離れたんじゃ、気になって夜も眠れなかった。今は、ショックだけど。いつか立ち直れる。だから、俺は今まで通り一人で好き勝手に生きよう。


良かったんだ、これで。少し期待していた自分が恥ずかしかった。




蛇皮模様の賞状筒に卒業証書を丸めて入れると、俺はそれだけを持って教室を後にした。


廊下では、浮かれた女子が写真を撮り合っていた。蹴り飛ばしたいほど邪魔だったが、なんとか我慢する。




「九重君、一緒に写真撮らない? 思い出にさ」




「ねぇ、いいでしょ? みんなも九重君と撮りたがってるしさ」




俺は、その言葉を無視して歩いた。背後で俺の悪口を囁く声が聞こえたが、今更気にもならなかった。


告白が失敗し、落ち込んでいる自分が何故か可笑しかった。下級生で賑わっている校門から出て行くのは、なんだか嫌だったので、校舎の裏からこっそりと出ることにした。




(最後まで、暗い高校生活だったな。まぁ、自分が悪いんだけど)




校舎裏は日当たりが悪く、しかも何年も手入れをしていないので、葉が細くて腐臭を発している雑草がそこらじゅうに生えていた。それらをガツガツ踏み潰しながら歩いていると、背後から声がした。


その声は、もう二度と聞くことのない声のはずで。忘れていた興奮が、また蘇ってきて思わず全身が震えた。




「正面から堂々と出ればいいじゃない。卒業のときぐらい胸張りなさい」 




「うるせぇな、俺の勝手だろ。アンタには、関係ない。でも、まぁ先生に会うのも今日で最後だからな。アンタの注意には、正直うんざりしてたから助かったよ」




自分でも、分かっていた。言いたいのは、こんなことじゃない。




「最後まで憎たらしい教え子ね。でも、なんでかな。こんなにも気になるのは………」




先生。俺、アンタに感謝してるんだ。俺を信じてくれた大人は、先生だけだから。




「私、待ってるよ。九重のこと。これ、私のメールアドレス。遅くなるかもしれないけど必ず返信するから」




先生は、アドレスの書かれたメモ用紙を投げた。腕力がないので、俺には届かずに手前でポトリと落ちた。雑草の中から、それを拾う。




「大学を卒業して、俺がまた東京に戻ってきたら」




俺は、先生の目を見つめた。先生も俺を見ている。二人の想いが初めて通じ合った、そんな数秒。




「その時は、俺と付き合ってください」




「……うん。でも、私そんなに若くないけど、それでもいいの?」




先生は、申し訳なさそうに口を尖らせて言った。とても可愛い仕草だと思った。




「先生は、若くて可愛いよ。制服着れば、高校生でもいけるんじゃないかな」




「可愛いっていうのは嬉しいけど、後半は少しバカにされた気がするよ。童顔は気にしてるんだから、そんなに言わないで。お願いだから」




「分かった。なるべく、言わないようにするよ。そろそろ引越しの準備とかあるから、行くよ」




俺は、再び歩き出した。でも俺の足取りは、さっきよりも遥かに軽い。告白が成功し、宙に浮くような気分だった。




「本当に、私でいいの?」




その声は、悲しく草むらに響いた。




「生徒思いで、優しくて。信念を持って教師をしてる。今時、あんたみたいな馬鹿真面目な先生は珍しいと思うよ。俺は、そんな先生を好きになったんだ」




「……正直言うとね。すごく恐いの」




「恐い? なにが」


 


「いつか九重のこと、襲うんじゃないかって。殺してしまうんじゃないかって思うと恐くて仕方ないの。化け物になった時は、理性がなくなって自分でもコントロール出来ないから」




「俺なら大丈夫だよ。絶対に、先生は俺を襲わない。俺は、信じてる」 




…………そう言ったけど。




正直、確信はなかった。もし、先生が俺を襲ったとしてもそれなら仕方ないと思うし、好きな人だから許すことが出来る。


先生の罪は、俺の罪。二人で共有しよう。彼女は、絶対に俺が守る。どんなことをしても。どんな犠牲を払っても。




ッーーーー




雨? 




ここは、地下室なのに。




「れい……か。どうし……て?」




ここにいるんだ。外出していたはずなのに。




戻ってきたのか? 




しかも地下室にまで入ってきて。




約束しただろ? 




ここには、来るなって。




「ひかる……ごめんなさい。私のせいで、こんなに傷ついて」




ポタポタと霊華の涙が顔に落ちてきた。




「謝ること……ない…。僕が、た……こと」




あの少女は、どうなったんだ? 霊華以外の気配は感じない。


霊華が、殺したのか? 一瞬感じた黒い影は、覚醒した霊華だったのか。見なくても分かるよ。完全に体を破壊されて、床で息絶えている少女の姿が。




「やっぱり、私は化け物なんだよ。光は、違うって言ってくれたけど。覚醒者は、ただの化け物。あの子ね、死ぬ間際私に言ったの。『私達は、絶対に幸せにはなれない』って。化け物は、人間ではないから。だから、人間のように幸せになることなんか出来ないんだよ。光と一緒にいる間だけは、忘れることが出来たけど。それでもやっぱり私は、化け物でしかない。人間を襲い、そして喰う、ただの獣でしかない」




「れぃ……か」 




霊華、それは違うよ。


僕は、高校で君に出会ってから、今までずっと幸せだった。僕たちは、立派に幸せを掴んだじゃないか。毎日笑って、喧嘩して。


ちゃんと人間してたろ?




「光。私はーーー」




「……ぃ」




声が、出ない。あと少し。


あと少しだけでいいから! 




息をさせてくれ。




震える左手を伸ばした。霊華は、その手を握って、自分の頬に当てた。柔らかい霊華の頬を涙が流れているのが分かった。




こんなに泣かせて、ごめん。




「ひかるっ! 目を開けて。まだ、死んじゃダメだよ。ダメだよ、光。私と幸せに暮らすんでしょ? 約束したよね。ひかる……おねがいだから、目を開けて・・・・・・」 




僕には、もう言葉を発する力はないけど、それでも僕のこの想いだけは霊華に伝えなくちゃいけない。




「おねが……ぃ。目をあけてよ。ひかる・・・・・・」




僕は、霊華に出会ったことを神に感謝してるし、こんな最期だけど後悔もしていない。高校の時、霊華に出会ったのは運命だと思ってる。死人も同然だった僕を暗い沼から引き上げてくれた。他の大人は、みんな僕を無視したけど、霊華だけは立ち止まって僕の話を聞いてくれた。




「うぅ……いゃ……」




だから、霊華は幸せにならないといけない。僕の死を引きずって、生きてほしくない。




霊華の僕を呼ぶ声が、だんだんと小さくなっていく。






ーーーーーーー。




かーーーー。








『ありがとう』







動かなくなった。死んでしまった。私は、光の頭を自分の膝の上に乗せ、何度も何度も頭を撫でた。




「きっと、光は天国に行けるよ。地獄に行くのは、私一人で十分だから。どうか、神様。光をお救い下さい」




私は、そっと光を床に寝かせると立ち上がった。自分の腕を見つめ、集中する。


すると、すぐに反応があった。違う生き物のように左腕が蠢き、日に焼けた男の腕のように太くなった。血管が皮膚を持ち上げ、更に腕に凶暴さが増していく。私の細かった腕は、数十秒で獣の腕と化した。


吐き気を堪えて、それを見つめる。この腕なら、簡単に自分の心臓をひねり潰すことが出来る。何も考えず即死できる。




「私も今からそっちに行くね、光」




自分の腕を胸に近づけた。目を閉じる。





先生ーーーー





「先生っ! やっと教師になったよ。自分で言うのもなんだけど死ぬほど頑張った」




「九重……わざわざ、私に会いに来たの? こんな田舎まで」




「だって、約束しただろ。戻ってくるって。ってかさ、なんで勝手に引っ越してるんだよ。探すのに苦労したよ。ほんと」




「ごめんなさい。急に会うのが恐くなって」




「まだ、そんな弱気なこと言ってるのか。少しは変わってると思ったけど、あの頃と同じだな。相変わらず、童顔だし」




「そのことは言わないで!」




「ハハ。もう一つの約束、覚えてる?」




「うん」




「先生………。いや、霊華さん。僕と付き合ってください。お願いします」




すごく嬉しかった。


光が、私に会いに来てくれたこと。私に告白してくれたこと。光の気持ちが変わっていなかったこと。そのことが、嬉しかった。




「霊華さん、泣いてるの?」




この人と一緒なら、私も幸せになれる。本気でそう思った。




「光と一緒にいたい。ずっと……ずっと」




トクン。




『霊華。君は、死んだらダメだよ。君の体は、もう君だけのものではないんだから』




声が聞こえた。一瞬、光の声が。


私は、自分の胸を見つめた。




トクン……トクン……トクン。




いつの間にか、私の腕はひ弱な元の形に戻っていた。




「ひか……る」




再びあふれ出た涙を止めることは出来なかった。私は、泣いた。全身で泣いた。泣くこと以外何も出来なかった。


朝が来て、夜になって。また、朝が来て。ようやくこの涙が止まった。そして、私は生きることを決めた。




新しい命の存在に気付いたから。


私は、妊娠していた。光の子を。この子と一緒に生きていく。そして、幸せになる。




必ず!




一ヵ月後ーーーーー。




私は、光との家を売り払い、そして旅に出た。このお腹の子と幸せに暮らすことができる安全な場所を求めて。光は、私が幸せになることを望んでいる。だからもう、涙は流さない。天国にいる光が心配するから。


山は、紅葉していた。もうすぐ冬が来る。その前に探さなくてはいけない。二人の安住の地を。




「わたし、幸せになるから。だから、光。天国で見守っててね」 




雲の隙間から見える夕日は、とても優しくて。照れた光のようだった。

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