黒い風⑥

生田と駅前で別れた私は、これ以上にないくらい興奮していた。舞い上がっている自分を抑えるのに必死だった。


家の前の通り。前方から男性が歩いてきた。背が高く、黒い帽子を深くかぶっていた。この辺りでは、見たことない顔。


すれ違いざま、一瞬、彼と目が合う。


「…………」



「…………………」




ただ、それだけ。




彼から、強い殺意を感じた。体を突き刺すような激しい怒りと憎しみ。



一度も会ったことがないこの男に恨まれる覚えはない。



だからこそ、



余計に不安になった。身の危険を感じた。




私は、慌てて校長に電話をかけた。校長なら、何とかしてくれる。私達、覚醒者を束ねる長だから。



ザザザ…ザザ…ザ…ザ…。



聞いたことのない雑音が、スマホから聞こえた。


妨害電波……?



私は急いで家に入ると、鍵を閉めた。しばらくドアスコープから外の様子を伺った。



「………………………」


もう男の姿はなかった。




「お帰りなさい。模試は、どうだった?」



「ママ………。私、見られた。たぶん覚醒者を狩る組織のメンバーだと思う。どうしよう……。どうしよう……ママ…………」



私は、泣きながらママに抱きついた。



ピンポーーン!


ピンポーーン!!



「とっ、とにかく、中に入りなさい!! 自分の部屋にいて。絶対に出てきちゃ、ダメよ」



私は急いで階段を上がり、自分の部屋に入った。鍵を閉め、ドアに耳をぴったりくっつけて外の音を聞いた。



「……………」



無音。


しばらくたっても何の音もしないから、私は鍵を開け、階段を音をたてないように降りた。リビングでは、ソファーにママが座っている。



「ママッ!」


足元が、ぬるぬる滑る。


「……………マ…マ?」


ママは、口と鼻から大量の血を流して死んでいた。ソファーは血の海で、ママの右足は綺麗に切断されていた。


「俺に会ったのが、お前の運の尽きだ。そこの母親と同じように死ね。楽に殺してやる」



赤目の男。変異はしていないが、覚醒者だろう。

私は、左手で思い切り右手を引っ掻いた。激しい痛み。この痛みで、覚醒できる。



「ママ…を……かえ…じ…て」



一秒、一秒、狂暴に変化していく私の体。



「バカな奴だ。お前……最悪の選択をしたぞ」



「ギ………ギキ………」




ねぇ、生田ーーー



私ね、本当はナナが羨ましくて、羨ましくて仕方なかったんだ。あんな風にアナタと話したい、ふざけて笑いたいってずっと思ってた。



だから……。


だからさ。



短い間だったけど、一緒に勉強が出来て、話が出来て本当に嬉しかったよ。



さっきは、告白もできたし。



「覚醒者になった己の悲運を恨め」



生田………。


先に待ってるから。



地獄で、告白の答え聞かせてね。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



退屈な授業。

その退屈さを加速させたのは、いつもなら教師に質問攻めをする前園さんがいないから。


1人いないだけで、お通夜のように静かな教室。


僕たちのクラスを引っ張ってくれた、リーダー的存在。

誰に対しても平等で。特に女子には慕われていた。



前園さん……。



彼女が消えてから、3週間がたった。本人もそうだが、両親も見つかっていない。

きっと、何かの事件に巻き込まれたのだろう。覚醒者と言うこともあり、表向きは引っ越しに伴う転校扱いになっている。



あの日ーー



僕が、前園さんを家まで送っていれば。



「くっ……そ……」



何度、後悔しても彼女は戻ってこない。


教室の窓ガラスに前園さんの顔が、ぼんやり浮かぶ。


何かを訴えている。そう感じた。


こんな僕に告白してくれた前園さん。彼女がどうなったのか、どうしても知りたい。



放課後、僕は校長室を訪れた。校長は、僕が来ることを分かっていたみたいだ。


「さぁ、入りなさい。そこのソファーに適当に座って」


「いえ、立っています。いきなりですが……。僕のクラスの前園さんは、どうなったんですか?」


「彼女は、死んだわ」


「死ん…だ?」


その言葉を聞き、目眩がした。自殺は、ありえない。


「誰に殺されたんですか?」


「私達、覚醒者を狩っている腐った組織のメンバーよ。今、誰が彼女を殺したか調査中だけどね」


「どうし…て……。くそっ! どうしてなんだよ!!」



壁を思い切り殴った。



「落ち着きなさいっ!!」



僕の傷ついた左手を校長は、その小さな両手で包む。



「黒い風が吹いたその日から、この世界は狂ってしまったの。憎しみが、どんどん大きくなって。膨れ上がった憎しみは、もう爆発寸前。組織のメンバーだけじゃない。覚醒者もみんな、憎しみに囚われているのよ。でもね、ナオ君。アナタだけは、自分を失ってほしくない。『人間』のままでいてほしい。だから……。だから、ツラいとは思うけど、今回の前園さんのことは心にしまってて」



「………………」



「お願い」



「…………………分かりました」



本当に出来るだろうか、僕に。

校長が、言っていることは痛いほど分かる。僕を心配してくれているのも。



前園さん………。



僕は、どうしたらいい?




深夜2時。


僕のような弱い人間には、今回の事件はあまりにも衝撃が強く。精神を病みつつある僕の夢の中に必ず前園さんが出てくるようになった。



『生田……。どうして私を助けてくれなかったの?』



僕を責めた。



「ごめん」



『生田のこと、信じてたのに……。好きだったんだよ?』



「ごめん……」



謝ることしか出来ない自分が、どうしようもなく情けなく……。許せない。


不快な寝苦しさに我慢が出来なかった。家を飛び出した。靴も履かないで。


さっきから、体が燃えるように熱い。

発作を抑える薬は、寝る前に飲んだはずなのに。体内で狂暴な悪魔が、暴れ始めている。

僕は、ナナの家の前に立つと2メートル以上ある高い塀をジャンプして飛び越えた。もはや、人間の跳躍力を超えている。



玄関のドアの鍵は…………開いていた。



僕が、ここに来ることを予知していたかのよう。校長……。ナナの母親が、僕を待っている。異常な嗅覚が、居場所を突き止めた。


広い廊下。いくつもある扉。その一つを開け、中に入った。

出窓に腰掛け、校長は絵本の中の少女のように静かに星を見ていた。


「………不法侵入。それと器物損壊。まぁ、それはいいけど。いきなり、女性の寝室に入ってくるなんて。意外と大胆なのね、ナオ君は」



「おばさん。お願いがあります。前園さんを殺した奴を僕に教えてください」


「復讐するの? ダメよ、それは。言ったでしょ。前園さんのことは、忘れなさいって」


「忘れられないんだよっ!! いっ、いつも前園さんの顔が……顔が、浮かんできて……。もう限界なんだ。……お願いします。これ以上は…………もう………」


僕は、亡霊にとりつかれたようにフラフラ歩き、おばさんの両肩を掴んだ。

背中の肉にギリギリと僕の爪が食い込み、純白のネグリジェを赤色に染めていく。



「おばさん……はや…く……」


「死んでも言わないよ。ナオ君には、復讐なんかさせたくないの。分かって」


背中が、温かい。後ろから、誰かに抱きしめられている。



「もう自分を許してあげて。私も背負うから。ナオの苦しみ」



ナナ………。


泣いてるの?



一気に頭の熱が冷めるのを感じた。体の変異も止まり、元に戻っていく。



僕の為に血を流し、泣いてくれる人がいる。



憎しみに打ち勝つ強さが欲しい。


『人間』として生きていかなければいけないから。

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