文化祭、始まる

 グリ女の文化祭までの最後の一週間は、慌ただしく過ぎていった。

 と言っても、頼まれた衣装を作り終えている僕は、特に何かした訳じゃなかったんだけどね。

 その代わり聖子ちゃんは、毎日大忙しだった。


 普段なら寝坊するのも珍しくないのに、いつもより一時間以上早く起きて学校に行って、遅くに帰って来た時はよほど疲れてるのか、ぐったりしていた。


 僕も少しでも力になろうと、夕飯を聖子ちゃんの好物にしたり、マッサージをしたりしてサポートしたけれど、他の人達も……大路さんも同じように疲れているのかなあ?


 僕は肩を揉みながら、それとなく尋ねてみる。


「聖子ちゃん、毎日疲れているけど、準備は進んでいるの?」

「まあねえ。演劇部の方は道具も全部揃ってるし、後は本番で上手くいくよう、練習あるのみかなあ。一時満が調子崩した時はどうなるかと思ったけど、持ち直してくれてほっとしたわ」


 その調子を崩した原因を知ってる僕としては、苦笑するしかない。

 けどこの様子だと聖子ちゃんの目から見ても、大路さんは大丈夫みたいだ。


「クラスの出し物は? カフェの方は順調なの?」

「んー、そっちも何とか……あれ、アタシあんたに、カフェやるって言ったことあったっけ?」

「前に大路さんに教えてもらった。聖子ちゃん、キッチンには出禁を食らったんだってね」

「満ってばそんな話までしたんだ。けど、出禁はさすがに酷いと思わない? ちょっとつまみ食いしただけなのにー」


 いや、つまみ食いの話は今初めて聞いたけど。てっきり料理をさせたら危ないから出禁になったんだと思っていたけど、聖子ちゃん、そんなこともしていたのか。

 大路さんは、そんな事一言も話してなかったからなあ。聖子ちゃんの名誉のために、わざと黙ってくれてたのかな?


「そう言えばあんた、最近やけに満と仲いいね。衣装作りが終わった後も、ちょくちょく連絡取り合ってるでしょ?」

「それは……もし衣装に不備があったら、手直ししなくちゃいけないかなって思って」

「それくらいはこっちでやるから……それとね、心配無いとは思うけど、念のため言っておくよ。満にはあんまり深入りしすぎないように。でないと……」

「でないと?」

「満に男の影があるなんてなったら、親衛隊が黙っちゃいないもん。あんたは半分女子みたいなもんだけど、親衛隊を怒らせでもしたら後が怖いからねえ」


 また親衛隊の話か。半分女子みたいと言われたのが気になったけど、問題なのはそこじゃないな。

 聖子ちゃんは心配してくれているけど、本当に心配なのは僕じゃなくて川津先輩だろう。大路さんが思いを寄せている事を知ったら、噂に聞く親衛隊が何をしてくるか。

 対して僕は……心配されるような関係じゃないんだ。


「痛たたっ! 翔太痛い、揉む所間違えてる!」

「あ、ごめん。大丈夫だった?」

「平気だけどさ……もしかしてあんた、悩みでもあるの? 最近ボーッとしてる事が多いけど」

「え、そんなこと無いよ」


 そう答えたはしたけど、そんな風に思われていたのか。

 聖子ちゃんは文化祭の準備で忙しいのに、余計なことで気を使わせちゃってたかなあ。


「僕はいつも通りだよ。それより聖子ちゃんでしょ。文化祭前に無理して体を壊さないでよね」

「はいはい。あ、そうだ。その体壊すなってさ、今度満にも言っておいてくれないかな」

「大路さんに?」

「そ。さっき深入りしすぎるなって言ったけど、これは別ね。満ってば演劇部だけじゃなくて、クラスのカフェの準備だって、人一倍頑張ってるんだもの。私じゃキッチンに入れないから、その分準備を頑張るとか言っちゃって」


 なるほど、大路さんらしいや。

 でもそれだと確かに、無理をし過ぎないかって少し心配になってしまう。


「分かった、ちゃんと言っておくよ。頑張りすぎて、文化祭当日に身体を壊すなんて事になってもいけないしね」

「まあ満に限ってそれは無いだろうけど、一応念の為ね。アタシも体壊さないように、しっかりリフレッシュしなくちゃね」


 そうして聖子ちゃんはまた、僕に腰だの背中だのを揉めって言ってくる。この調子だと聖子ちゃんの方は心配無いだろうけど、大路さんには無理をしてほしくないな。

 何せ文化祭当日には劇やカフェの他に、川津先輩への告白も控えているんだから……。





 そうしてそれから、また数日が過ぎて。ついに迎えた文化祭当日。

 幸い大路さんも聖子ちゃんも、他の演劇部の人達も、風邪を引いたり怪我をしたりする事もなく、無事にこの日を迎えることができた。


「まだ始まったばかりなのに、賑わってるなあ」


 朝一でグリ女へと赴いた僕は、思わず声を漏らす。

 校舎へと続く通路には、各クラスや部活動が出している店が並んでいて、以前に来た時とはまるで別世界みたいに思える。


 正門を潜る時は、不思議なドキドキがあった。

 過去に二度、聖子ちゃんから制服を着せられて潜入した事はあったけど、普通の格好をして堂々と中に入るのはこれが初めてだから。

 そんなことを考えながら歩いていると。


「三年一組、お化け屋敷やっていまーす!」

「日頃の疲れを癒すバスケ部のクレープ屋、来てくださーい!」


 女子生徒達が、各々のクラスや部活の出し物の宣伝をしていた。そしてそんな中、一際人々の目を引いていたのは……。


「二年四組の教室で、占いカフェをやっています。もしよろしければお立ち寄りください。素敵な彼氏さんとの相性を、占ってあげますよ」

「は、はい……必ず伺います♡」


 白と黒のと言うシックな色合いをしたウェイター服を着た大路さんが、高校生くらいのカップルを相手に客引きをしている。

 占いカフェと言うから、もっと占い師っぽい格好でもするのかと思っていたけど、まさかウェイター服とは。


 それにしても大路さん……似合いすぎです。

 声を掛けられた女の子の目はハートになっていて、すっかり大路さんの虜になってしまっていた。


 大路さんはカッコイイから、見惚れる気持ちは分かるよ。けど、可哀想なのは彼氏さんだなあ。せっかく彼女と来たのに、まるで空気のような扱いになっちゃってる。

 遠い目をしている彼氏さんは、同情を禁じ得ない。そして……。


「占いカフェ―、二年四組の教室で占いカフェやってるよー。おみくじ引いて大吉が出れば、グリ女の王子様こと大路満のブロマイドが貰えるから、行った行ったー!」


 大路さんをダシにして客引きを行っているのは聖子ちゃん。どうやらその効果は抜群のようで、我先にと走って校舎の中へと入っていく女子が、多数見られた。

 この分だと、おみくじは早々に売り切れてしまいそうだ。


 僕はそんな二人に近づいて、声を掛ける。


「大路さん、おはようございます。それから聖子ちゃんも」

「おお、ショタくん。こんな朝早くから来てくれたのか」


 ウェイター服姿の大路さんが、目を向けてくる。いつもとは違うその姿に少し見とれてしまったけど、すぐに普段の感じで返事をした。


「家にいても、気になるだけですからね。演劇部の公演があるまでは、色々見て周りますよ」


 聖子ちゃんに聞いたところ、公演があるのは午後になってから。午前中は演劇部の皆でビラ配りをして、人を集めるのだそうだ。

 なるほど、大路さんと聖子ちゃんの手には、カフェのビラの他に、演劇部のビラもある。


「翔太、アンタの友達も、何人か来るんでしょ? 良い席用意しておいてあげるから、劇はちゃんと見に来なさいよ。あと、うちのカフェでお金を落としてくれる分には大歓迎だから」

「分かった。見つけたら誘ってみるよ。そう言えば、占いってどうやってやるの? 誰か占いが得意な人でもいるの?」

「ふっふっふ、甘いわね。占いなんてアプリさえとっちゃえば、誰にだってできるんだって」

 

 聖子ちゃんはどや顔で言っているけど、占いカフェなのに使用するのがアプリって……。

 まあいいけどね。それはそうと、僕は大路さんに、気になることを小声で聞いてみた。


「そう言えば、プリンはちゃんと用意できたんですか?」

「ああ、バッチリだよ。昨日準備が終わって家に帰った後、今度は一人で作ってみた」


 それは良かった。大路さん、最初は作るの全然上手くいっていなかったから、ちょっとだけ心配だったんだ。

 卵を混ぜるのにも苦戦していたとは思えない、凄い進歩だ。


「やったじゃないですか。これでもう、料理が苦手なんて言わせませんね」

「ああ。昨夜日付が変わるまで、何度もチャレンジした甲斐があったよ」

「日付が変わるまでって……大路さん、いったい何回失敗したんですか?」


 いや、答を聞くのが怖いから、この話はここで終わりにしておこう。すると今度は大路さんの方から、僕の耳元で囁いてくる。


「ところで、その……川津君はまだ、来ていないんだよね?」

「あ、はい。川津先輩は後で来るって言っていました。でも劇の時間はちゃんと伝えてありますし、絶対見に行くって言ってましたから、大丈夫です」

「そ、そうか。ありがとうショタくん。何から何まで、君にはお世話になりっぱなしだね」


 大路さんは嬉しそうに笑みを浮かべながら、またも頭を撫でられる。もうすっかり撫でられるのにも慣れているけれど、今日は服装も違うせいか、いつもとは違う雰囲気に思わずドキドキしてしまう。

 こう言うのも、文化祭マジックなのかなあ? そんなことを思ったその時……。


 ――ゾク!


 何やら急にら言いようの無い悪寒が背中を走った。


 いったい何? 

 僕は訳が分からずに混乱したけれど、よく見たら大路さんの表情も、何だか強張っている。すると隣でビラ配りをしていた聖子ちゃんが、そっと近づいてくる。


「あー、満ってば油断したね。こんな所で、不用意に頭なんて撫でるから」

「そうだった。ショタ君相手だとどうも気を許しすぎてしまうから、つい……」

「まあやっちゃったもんは仕方が無いよ。翔太、と言うわけだからアンタ、早いとこ逃げた方がいいよ」


 聖子ちゃんはそう言ったけど、どう言うこと? 

 二人が何を話しているか分からずにいると、聖子ちゃんは無言で、僕の背後を指差してくる。いったい何があるって言うんだろう……ひぃっ!


 僕は思わず、悲鳴を上げてしまいそうになった。

 そこにいたのは、グリ女の制服を着た女子の一団。それ自体は別におかしくは無いんだ。

 ここはグリ女なんだから、大路さんや聖子ちゃん以外にも、生徒がいるのは当たり前。けど何故か彼女達は、まるで親の仇でも見るような鬼の形相で、僕の事を睨んでいた。


「あ、あの、聖子ちゃん。あれはいったい?」

「あれね。前に話した、満の親衛隊よ。グリ女の王子様は皆の物、近づく男がいようものなら、お命頂戴しようとする、超がつくほどの過激集団。ミスったねえ、頭なんて撫でちゃうから、すっかりターゲット認定されちゃって。アンタもう、生きてグリ女を出られないかもね」


 そんな、頭撫でられただけで殺されるってどういう事⁉ 

 だけど彼女達の様子を見ると、オーバーって気がしないのが恐ろしい。

 そう寒くもなかったはずなのに、背筋がゾクゾクしてきて、嫌な汗が流れる。生きてグリ女をでれない……か。

 

 だけどそんなことを考えていると、突然聖子ちゃんが大きな声を出してきた。


「へえー、この子が満の従兄弟かあー。ちっちゃくて可愛い子じゃないのー」


 えっ、何? どう言うこと?


 聖子ちゃんの言っている事の意味が分からない。大路さんの従兄弟って、僕は聖子ちゃんの弟だよ。

 だけど僕が疑問をはさむよりも先に、今度は大路さんが声を上げる。


「そうなんだよ。弟みたいな子でね。今日は舞台を見てもらおうと思って、招待したんだ」

「ははは、弟みたいだなんて、満ってばもしかしてブラコンっぽいよ。まあいいや。弟君、今日はたっぷり楽しんでいくんだよ」


 二人とも完全に、僕を大路さんの弟として扱っている。すると途端にさっきまで感じていた殺気が、和らいでくる。


 そっか、二人とも僕を助けるために、急遽大路さんの従兄弟だなんて設定を演じてくれたのか。大路さんの従兄弟となると、親衛隊の人達も手出ししないだろうしね。


 そう言えば演劇部では、突然即興劇を始める事があるんだっけ。普段からそれで慣れていたおかげか、二人とも打ち合わせ無しで上手に話を合わせられている。


「できれば色々案内してあげたいけど、私達はまだ仕事があるから。ごめん、一人で回ってくれるかい?」

「うん、分かった。じゃあまた後でね、姉さん」

 

 僕も話を合わせてから、ボロが出ないうちにその場を離れる。「姉さん、か。いい響きだ」という大路さんの声が聞こえたような気がしたけど、まあいいか。


「あ、そうだ翔太」

「何、聖子ちゃん?」

「後で演劇部のビラ配りもやるのよ。皆で衣装に着替えてやるんだけどさ、よかったらアンタも一緒にやらない? 衣装作り手伝ってもらったんだから、もっと一緒に何かやりたいって言ってる子達がいてね。劇に出すことはできないけど、ビラ配りならギリいけるかなって」


 そんな風に言ってくれた人がいるんだ。部外者なのにいいのって気もしたけど、だけど少し興味がある。こんな機会、めったに無いもの。

 来年の文化祭ではできるだろうけど、フライングしてやってみたい気も、無いわけじゃ無い。


「本当に良いの? じゃあ、ちょっとだけ」

「そう来なくっちゃ。それじゃあ、詳しい事はまた連絡するから、後でね」


 聖子ちゃんに手をふりながら、今度こそその場を離れる。

 急な誘いだったけど、ほとんど迷う事なく答えられた。たぶんだけど周りの熱気に当てられて、僕も何かをやってみたいって言う気になったのだと思う。恐るべき文化祭マジックだ。


 演劇部の人達と一緒に何かをやって、文化祭を楽しんで。その上大路さんの告白も成功したら、言う事無しだ。今日はきっと、いい日になりそう。


 ……と、この時はまだ、そんな風に思っていたのだけど。

 もうすでに取り返しのつかない事態になっていた事を、僕も大路さんも、この時は全く知らなかったんだ……。

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