劇の練習と、胸のモヤモヤ

 川津先輩のことになると、途端にいつも通りではいられなくなるのが大路さんの弱点。

 もし僕が余計な事を言ったせいで劇が台無しになってしまったら、申し訳ないでは済まされない。


 大丈夫だろうかと心配していると、大路さんの方から尋ねてくる。


「そう言えばショタくん。川津君は、誘ってくれたのかい?」

「え、ええ。この前バスケ部の見学に行って、その時話をしました」


 大路さんをはじめ、演劇部の人達が文化祭に向けて頑張っていると言う話をそれとなくしてみたら、川津先輩の方から、当日は絶対に見に行くって言ってくれたのだ。


 あの調子なら、もしかしたら僕が声を掛けるまでもなく、見に行ってくれていたかもしれない。それはとても喜ばしい事なんだけど、問題は大路さんの方だ。


「川津先輩、絶対に見に行くって言っていました」

「そうか。と言う事は、もう逃げ場はないって事だね」

「ご、ごめんなさい。よけいな事をしちゃいましたか?」


 不安になって尋ねてみたけど、大路さんは静かに首を横に振る。


「何を言っているんだい。私が川津君を誘ってほしいってお願いしたんだよ。その結果、例え劇が上手くいかなかったとしても。ショタくんが気にする事じゃないさ」

「は、はあ……」


 そうは言うけれど、やっぱりちょっと気にしてしまう。だけど大路さんはそんな僕の心中を見抜いたみたいに、うっすら笑みを浮かべながら。

「それに」と言ってから、言葉を続ける。


「上手くいかないと言うのは、あくまで例え話だよ。私はみんなで作る劇を、台無しになんてする気は無い。だからそんな心配そうな顔をしなくても……そうだ」


 大路さんは何を思ったのか、持っていた台本を僕に差し出してきて、思わぬ提案をしてきた。


「よし、今から少し、練習をしてみよう。悪いけどショタくん、少しだけ相手を頼まれてくれないかな」

「ええっ、僕がですか?」


 いきなりの提案に、目を丸くする。

 そう言われても、僕は演劇なんてやったことが無ですし。大路さんの調子がどうかという以前に、僕が相手じゃまともな練習にならないのでは? 

 だけど大路さんは力強い笑みを浮かべながら、僕の両肩に手を置いてきた。


「私がちゃんとリードするから。君には、ラプンツェルを演じてもらいたいんだ。大丈夫、ショタ君なら可愛らしいラプンツェルになれるよ」

「可愛らしい、ですか……」


 途端に、ちょっとだけ落胆する。

 可愛いなんてもう言われ慣れているのに、どう言うわけか大路さんに言われるのは、何だか……。

 するとそんな僕の心中ん察したのか、今度は大路さんの方が元気がなくなる。


「嫌かい? やりたくないのなら、もちろん無理強いはしないけど」

「い、いえ。ぜひやらせていただきます」


 ションボリした大路さんを見て、慌てて返事を返す。

 僕で練習になるのかって気持ちはやっぱりあるけど、それでもこう言ってくれたんだから、やっぱり断れないよ。


 ただ、ちょっぴり緊張するのも事実。今もそうだけど、大路さんと至近距離で目を合わせられていると、なんかだかこう……。

 大路さん、綺麗だからなあ。どうしてもドキドキしてしまう。


 だけど、僕がそんな事を考えているなんて思っていない大路さんは、台本を広げて手順を説明してくる。


 今回やるのはラプンツェルと王子様の、何度目かの逢瀬の場面。窓から垂らした髪をつたって登ってきた王子様と、ラプンツェルが対面している所から、シーンは始まる。


 僕は大きく深呼吸してから、ラプンツェルの台詞を読み始める。


「ああ王子様。今日もこうして貴方に会えた事を、とても嬉しく思います」


 当然、僕の台詞は棒読みだった。

 演技なんて初めてだし、こんな台詞恥ずかしくて、口にするだけで精一杯。手には台本を持ったままだし、雰囲気も何もあったもんじゃない。

 それでも大路さんは大根の僕に、まるで本物のラプンツェルのように接してくれた。


「それは私も同じです。遠くにいても、いつも貴女の事が頭から離れませんでした。いっそここから、貴女の事を連れ出してしまいたい」


 大路さんはそう言って、僕の腰に手を回してきて。思わずビクンと体が震える。


「————ッ⁉」


 台本には台詞は書いてあっても、こんな動きをするなんて書いていなくて。

 急なことに驚いて、思わず持っていた台本を床に落として、バサッという音が、部屋に響いた。。


 この場面って、こんな動きをするんだ。ええと、それじゃあ僕は、この後なにをすればいいんだっけ? 台詞は……台詞は……。


 頼みの綱の台本を手放してしまった僕に、この先の展開は分からない。

 慌てて拾おうとしたけど、大路さんはいたずらっぽく、耳元で囁いてきた。


「このまま行こう。大丈夫、リードするから」

「えっ!?」


 そうは言われても、セリフもこの先の展開も頭から飛んでしまったし。

 そんな慌てる僕をよそに、大路さんは腰に回している手に力を入れて、ぐっと僕を引きよせる。当然、二人の距離は一気に縮まって。そしてもう片方の手が、僕の髪を優しく撫でる。


「綺麗だ」


 うっとりとした眼を向けられて、ドクンと心臓が高鳴る。

 あまりの至近距離なのに、離れようと言う気にもなれなくて。僕はただ、大路さんの動きに体を合わせて行く。


「ずっとこのままでいたい。私は、貴女のことが――」


 まるで吸い込まれるように、大路さんから目を逸らす事が出来ない。まるで時が止まったみたいに動けずにいて。この時間が、永遠に続くような気がしていたけど……。


 ピピピピピピピッ!


 ……そんな幻想的な時間は、機械的な電子音によってかき消されてしまった。

 聞こえてきたのは、プリンを冷蔵庫に入れた際にセットしていた、スマホのタイマー。プリンが冷えたことを知らせる音が、部屋の中に鳴り響く。


「おや、どうやら時間みたいだね」


 まるで魔法が解けたみたいに、一気に現実に引き戻される。大路さんは頭や腰に回していた手を放して、僕もさっきまで感じていたドキドキは、もうすっかり無くなってしまった。

 ……いや、本当はまだ少しだけ、心臓がトクトク言っているけれど。


「ここまでにしようか。ありがとう、良い練習になったよ」

「えっ、あれで良いんですか?」


 棒読みの上に、台本を落としてからは、台詞すらまともに喋れなくて。とても練習になったとは思えないのに。


「実はね、君が台本を落としたくらいから、演技は全部アドリブでやっていたんだよ」

「アドリブって、何でまたそんなことを?」


 それなら、一回止めても良かったんじゃないだろうか。

 そんな疑問を口にする僕に、大路さんは笑った。


「ただ台本を読むよりも、その時の役の気持ちになって演じるのも、練習になるんだよ。ショタくんの演じるラプンツェルが、王子様の求愛を受けて動揺する姿があまりに様になっていたものだから、それに合わせてみたくなったんだ。それで、どうだったかな?」

「どうって言うと……」

「私の演技だよ。本番でもあれくらいできたなら、大丈夫だと思うかい?」


 ああ、そう言えばそんな話をしてたんでしたっけ。

 僕は以前に見た大路さんの演技を……川津先輩のことで頭が一杯で、狼狽していた時の様子を思い浮かべる。


 あの時の大路さんは、ガチガチでまともに喋れもしなかったのに、今ではすっかり調子を取り戻していて……いや、もしかしたら最初に演技を見せてもらった時よりも、上手になっているかもしれない。

 間近で見た大路さんの演技はそれほどまでに、卓越しているように思えた。


「とても凄かったです。前はあんなだったのに、よくこんなに……あ、すみません」


 つい調子に乗ってしまって、前に見た大根演技のことを悪く言ってしまった。

 だけど大路さんは気を悪くするでもなく、くすくすと笑う。


「謝らなくてもいいよ。以前のアレは自分でも分かるくらい、酷いものだったからね。けどこのままじゃいけないって思って、死ぬ気で練習したんだ。今もまだ緊張はするけれど、本番までにはもっと上達してみせるさ」


 そう言って、ニッと笑う。

 大路さんはやっぱり、凛々しくてカッコいいや。調子を崩してしまうのは仕方が無いけれど、ちゃんとそれを克服して、前以上に上手くなってしまうのだから。


 もしかしたら、川津先輩に下手な演技は見せられないって思って、それをバネにしたのかもしれない。

 今回プリンを作っているのだって同じだ。苦手な事でも、好きな人の為ならどこまでも頑張る。大路さんは、そう言う人なんだ。そう、川津先輩の為に……。


 不意に、胸にチクリとした痛みを覚えた。

 何だろうって思ったけど、それはほんの一瞬で。気のせいかなと思いつつも、どこかモヤモヤする、そんな痛み。


 いったい何なんだろうと思ったけれど。そんな僕をよそに、大路さんは冷えたであろうプリンを、冷蔵庫から出してくる。


「おお、ちゃんと冷えて固まっている。私一人だと、絶対にここまでは来れなかったよ。ショタ君のおかげだ……ショタ君?」

「あ、はいっ」


 呼ばれて、ようやく我に返ることができた。

 さっきの痛みがなんなのかは気になるけど……まあいいや。


 出来上がったプリンを見てみると、甘い香りが漂って、プルプルとした白い表面が揺れていた。


「良かった。ちゃんとできていますね」

「肝心なのは、味だけどね。味見してみようか?」


 と言うわけで、大路さんと一緒に味見をしてみたけど、ちゃんと美味しくて。完璧なプリンだった。

 僕は何度も作ったことがあるプリンだったけど、大路さんが何度失敗しても諦めずに作っていった事を考えると、うっすら感動すら覚える。


「やりましたね。これで今度、川津先輩に渡せますよ」

「ああ、ショタ君のおかげだよ。本当にありがとう」


 大路さんは深々と頭を下げてきたけど、実際に作ったのは大路さんだ。

 僕はアドバイスをしただけなんだから。


「あとは、文化祭前に、これを一人で作れるかどうか。それと川津が受け取ってくれるかどうかだけど……」


 急に、不安そうに声を漏らす。プリンは無事に作れたけど、やっぱりまだ少し怖いみたい。

 だけど僕はそんな暗い雰囲気を吹き飛ばすように、わざと明るい声で言った。


「きっと大丈夫ですよ。一度はちゃんと作れたんですから、きっとまた作れます。それに川津先輩も、大路さんが一生懸命作ったんですから、受け取ってくれますって」

「ふふ、ありがとう。君にそう言ってもらえると、希望が持てるよ」


 さっきの練習の時みたいに、僕の頭を撫でてくる大路さん。もし告白が上手くいったら、大路さんは川津先輩と付き合ってしまうんだよね……。


 それはとても喜ばしい事なんだけど。何だろう、この胸のモヤモヤは? 

 いや、どうでもいいか。僕はただ、二人が上手くいくよう応援していればいいんだから。

 余計な考えを打ち消しながら、僕は大路さんに笑い返すのだった。

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