明けそめるとき

烏目浩輔(からすめこうすけ)

前編

 そういえば、乗り物のなかで車が一番苦手だった。ドアを閉めるときのドンという音が、心臓に響くような気がするからだ。


 空き地じみた未舗装の駐車場に車が入っていったとき、川口かわぐち里沙りさは助手席でそんなことを考えていた。


 車は小石をザリザリと踏み鳴らしてゆっくりと駐車した。カーナビに表示されている時刻表は午前十二時十八分。里沙はそれを確認したあと、車の外に視線を移す。


 静まり返った深夜の駐車場に、他の車は一台も停まっていなかった。ぽつんと佇む古びた常夜灯がひとつ、自分の足もとだけを青白く照らしている。昼間に降った雪の名残なのだろう。駐車場と隣り合う雑木林に、白いものがちらほら見える。


 なんだか寂しいところ……


 里沙の第一印象はそうだった。賑やかなところとは思っていなかったが、こんなに静かなところとも思っていなかった。運転席の澤田さわだ悠人ゆうとも似たような印象を抱いたのだろう。フロントガラス越しにあたりを見まわしてこう呟いた。


「懐中電灯を持ってくるべきだったな……」


 もうすぐ二十八歳になる悠人は、カーキーのモッズコートがここ最近のお気に入りだ。今日もデニムのパンツにそれを合わせている。

 

 里沙は思いつきを口にした。


「スマホについてるライトを使ったらどう?」


 だが、言い終えが早いか、悠人はさっさと車の外におりていた。


 もう、せっかちなんだから…… 


 苦笑しながら車外に出ると、ジジジという異音が耳に届いた。常夜灯の電球から発せられている音だった。それがやけにはっきりと聞こえるのは、冬の冴えざえとした空気のせいかもしれない。


 悠人は周囲をキョロキョロと見まわすと、駐車場の奥に視線を定めた。あれか……? という顔をしているので、里沙はうなずきながら言った。


「そう、あの階段」


 悠人はスマホのライトを頼りに、駐車場の奥に向かって歩きだした。里沙はその背中についていきつつ、今さらではあるが改めて思った。


 やっぱり大きい……


 幼なじみの悠人とつき合ったのは中学二年生のときだった。当時から身長に大きな開きがあったものの、今はさらにその高低差が歴然としている。高校生になってからもぐんぐん伸びた悠人と違って、里沙の身体は早々に成長を諦めてしまった。


 駐車場の奥には土が剥きだしのそまつな階段があった。雑木林の中に伸びていくその階段をあがり切ると、断崖絶壁の上に設けられた展望台があるはずだ。眼下に広がる紺碧の荒々しい海が美しく、それなりに有名な絶景スポットになっている。


 また、絶景は昼間の海だけではなかった。展望台には視界を遮るものがなく、夜になるとため息が出るほどの星空をのぞめる。


 しかし、満天に星が輝くと周知されていても、日没後にここに近づく者は少ない。自殺の名所という不名誉な称号もあるからだ。去年も十人強の人が崖の上から海に身を投げたという。


 陽が落ちると自殺者の霊が現れて、生きている人間を海に引きずりこむ。里沙はこれっぽっちも信じていないが、そういう噂がまことしやかにささやかれており、夜になると人が寄りつかなくなるのだ。


 そんな心霊スポットじみた展望台に里沙がやってきたのは、数日前にふと悠人がこんなことを呟いたからだった。


「里沙がいきたいって言ってた展望台に、最後にいってみてもいいかもな……」


 里沙もほとんど忘れていたのだが、あれは確か二十歳はたちになった年の冬だ。その頃はこの展望台にも自殺の名所という称号がなく、里沙は悠人にこんなわがままを言った。


「星が綺麗に見える展望台があるんだって。今度そこにいってみたい」


 悠人はそのわがままを覚えていてくれたのだ。当時の里沙は体調が思わしくなかったため、結局はいけず仕舞いだった。だが、今日はこうして車を走らせてきた。


 真っ暗な階段に足を向けた悠人は、早足でずんずんあがっていった。里沙が思わず「ちょっと待って」と声をかけても、悠人の歩みはいっこうにゆるまなかった。


 もう、せっかち……


 里沙はさっきと同じように苦笑した。


 必死で悠人のあとを追うこと約一分。唐突に雑木林が途切れて視界が開けた。目的地の展望台に着いたらしい。展望台は予想に反して広々としていたが、人の姿は案の定見あたらなかった。


 悠人は周囲をざっと見ますと、白い息を吐きながら、展望台の中ほどに歩いていった。


 断崖絶壁の上に設けられた展望台と聞いて、里沙はごつごつとした岩肌を想像していた。しかし、足もとに広がっているのは、思いのほかしっかりと手入れされた芝生だった。気温が街中より明らかに低いのは、風が吹き抜ける高台だからだろう。展望台の奥半分に赤錆びた柵が設置されており、おそらく柵の向こうには足の竦む断崖が切り立っている。


 今は深夜であたり一帯が真っ暗だが、昼間は自然の造形美を一望できるはずだ。そして、自殺の名所であるいう不名誉な称号にもうなずけた。不謹慎な物言いかもしれないが、身を投げるにはもってこいの場所だ。ここの断崖から海に飛びこめば、確実に人生を終了できるに違いない。


 ところで、肝心の夜空はといえば、想像以上に澄み渡っていた。満天に輝く星が今にも落ちてきそうで、ときおり流れ星の軌跡も見て取れる。昼間の空に垂れこめていた雪雲は、どうやらどこかに流れ去ったらしい。


「綺麗……」


 里沙が感嘆の声を漏らしたとき、悠人が隣りでぼそぼそと言った。


「あのときの星空と似てるな……」


 実は里沙も同じことを考えていた。だから、悠人が口にしたあのときが、なにを示しているのかすぐにわかった。


「高校の臨海学校で見た星空だよね」


 里沙と悠人は同じ高校に通っていたが、一年生のときに二泊三日の臨海学校があった。夜にふたりでこっそりと部屋を抜けだし、星空が綺麗だという絶景スポットに足を運んだ。そのときに悠人と手を繋いで見あげた星空が、ここの空とどことなく似ているのだ。


 でも……と里沙が思ったとき、悠人がささやくように言った。


「こっちのほうが綺麗かもな……」


 また里沙は悠人と同じことを考えていたようだ。不思議とそういうことが昔からよくある。気づくと同じことを考えているのだ。


 里沙はそれにひとりで照れつつ同意した。


「うん、私もそう思う。最後にここにこれて本当によかった。私がいきたいって言ったのを、悠くんが覚えてくれていたおかげ」


 連れてきてくれてありがとう。そんな感謝も口にしようとしたのだが、悠人がふらっと歩きだしため、言うタイミングを逃してしまった。


 悠人は里沙を置いてけぼりにして、柵があるほうに早足で歩いていった。どんどん柵に近づいていく。そのまま柵を乗り越えてしまいそうな、そんな危なっかしい勢いがその足取りにはあった。


 里沙は思わず悠人の背中に声をかけた。


「それ以上進むと危ないよ」


 すると、悠人は柵の直前で足を止めた。どうやら柵を乗り越えようという意思はなかったようだ。里沙はほっとしながら悠人に追いついた。


 里沙が隣りに立つと、悠人は夜空を見あげて呟いた。


「なあ、里沙……」


 まるで里沙が星にでもなったかのような、そんな眼差しを夜空に向けていた。吐きだす息は相変わらず白く、消えゆく命のように儚かった。


「お前に謝らなければならないことがふたつあるんだ」

「え……」悠人の突然の告白に里沙は動揺した。「……ふたつ?」


 告白自体は別に驚くことでもない。驚いたのはその数だ。


「里沙がいきたいって言ってた展望台に、最後にいってみてもいいかもな……」


 悠人は三日前にそう口にした。里沙はそのときに薄々感づいていた。悠人はあのことに言及するつもりだ。そして、感づくと同時に覚悟もした。


 展望台が最後の場所になるだろう。


 しかし、悠人の言おうとしていることが、ふたつもあるというのは予想外だった。ひとつはあのことだろうが、もうひとつは見当すらつかない。いったい悠人はどんな秘事を口にしようとしているのだろうか。





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