270 他のメンバーはそつなく演じてたのに……。


 いつも飄々ひょうひょうとしているヴェリアスだって、意外にもロットバルトの重厚で恐ろしげな雰囲気をちゃんとかもし出していたし……。ふだんあんなにへらへらしてんのに、格好よいロットバルトを演じられるなんて詐欺さぎだろ、詐欺!


 ジークフリート王子役のリオンハルトだって、ジークフリート王子の性格とリオンハルトの性格にズレがあるとはいえ、なんなく演技をこなしていた。


 っていうか、生まれながらの王子様が王子を演じてるんだから、気品があふれ出るのも当然だろう。文句なんかつけようがない。


 王子様の衣装を着てるわけじゃなく、聖エトワール学園の制服姿だっていうのに、背景に咲き乱れる薔薇の幻が見えたもんな……。恐るべし、王子様オーラ!


 もちろん、イゼリア嬢の清楚で可憐なオデット姫が素晴らしいのは言うまでもないことだけどっ!


 過酷な運命に翻弄されながらも、凛と前を向こうとするしなやかさと、気品あふれる光り輝くようなお姿……っ!


 読み合わせをしながらうっかり聞き惚れそうになって、どれほど困ったことか……っ!


 もう二度とうっかり台詞を忘れて流れを止める失敗なんてするもんかと、気を張ってたおかげで、なんとか理性を保ててたけど、ほんっとヤバかった……っ!


 聞き惚れてトリップしなかった俺を誰が褒めてほしいっ!


 だって、最推しのイゼリア嬢が鈴を転がすような可憐な声で、素晴らしい演技をなさるんだぜっ!?


 これをうっとりと見とれられないなんて、どんな拷問だよ……っ!


 もし文化祭で主演女優賞があるんなら、イゼリア嬢が受賞間違いなしですっ! 観客が全員スタンディングオベーションする未来が見えますっ!


 そんな風に、全員がそつなく演じていたっていうのに……。


「他のメンバーと違って、私だけ、巧くオディールを演じられなくて……」


 うなだれた拍子に、自分の予想以上に情けない声がこぼれ出る。


 意見交換会で、面と向かって厳しく言われたわけじゃない。けれど……。


「うーん……。これは、ちょっと時間をとって、ゆっくり話したほうがいいかもしれないね……」


 俺を見つめていたシャルディンさんが困ったように呟く。


「できたら、アリーシャも交えたほうがいいかな。演技に関してのことなら、わたしよりアリーシャが本職だからね」


 シャルディンさんの提案に、俺は驚いて息を飲む。


「ええっ!? そ、そんなっ、悪いですよ……っ! そんなご迷惑をおかけするわけにはいきませんっ!」


 ぶんぶんぶんっ、と千切れんばかりにかぶりを振って遠慮する。


「迷惑だなんて、とんでもないよ」

 シャルディンさんがおっとりと微笑む。


「役者が演技で悩んでいる時に相談にのるのは、脚本家としても、団長としても、当然のことだからね。あ、いや、ハルシエルちゃんは団員ではないけれど、わたしに脚本を任せてくれたからには、ちゃんと責任をとらせてもらいたいんだ。それに」


 くすり、とシャルディンさんが悪戯っぽく微笑む。


「前に会った時に、アリーシャだって言っていただろう? オディールの演技に悩んだ時にはぜひ相談してほしいって。ハルシエルちゃんが悩んでいるのに、放っておいたりしたら、後でわたしがアリーシャにこっぴどく叱られてしまうよ」


「シャルディンさん……っ」


 罪悪感を吹き散らすようなシャルディンさんの柔らかな笑顔に、じんと心が熱くなる。


 うううっ、なんて素敵な人なんだろう……っ! シャルディンさんこそ、紳士の中の紳士だぜ……っ!


「ああでも、まだハルシエルちゃんはアルバイトの最中かな?」


「いや、大丈夫だ。もう終わる時間だよ」

 俺が答えるより早く、ブランさんがシャルディンさんに告げる。


「え……?」


 俺はあわてて壁掛け時計を見た。確かに、そろそろ終了時刻が近づいてはいるけれど、まだ三十分近くはある。


 と、ブランさんにぽん、と優しく肩を叩かれた。


「今日はお客さんも少ないし、早めに上がるといい。もちろん、ちゃんと時給はフルで出すから安心してくれ」


「で、でも……」

 ブランさんにまで迷惑をかけては申し訳ない。


 遠慮する俺に、ブランさんが恰幅のいい身体を揺らしながらにかっと笑った。


「いいっていいって。『コロンヌ』自慢の看板娘のハルシエルちゃんが笑顔を取り戻すほうが大事だよ! 自分じゃあ気づいていないかもしれないが、今日のハルシエルちゃん、何かするごとにため息ばかりついてたよ? シャルディンさんに相談に乗ってもらって、早くいつもの笑顔を取り戻してくるといい。うちの売り上げアップのためにも!」


 ブランさんのおどけた口調に、俺の口からも思わず笑い声がこぼれる。


「本当にありがとうございます、シャルディンさん。ブランさん。じゃあ、今日はこれで上がらせてもらいます」


「うん、そうするといい。さ、早く着替えておいで」


「ハルシエルちゃんが支度を整えている間、わたしはパンを選んでいるから。急がなくて大丈夫だよ」


「すみません、ちょっとだけ待っていてください」


 二人の優しい声に促され、俺はエプロンを外してぺこりと頭を下げると、着替えるためにお店の裏手へと回った。


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