248 きみに、お礼を言いたいと思っていたんだ


「やあ、ハルシエル嬢」


 クレイユやエキューと放課後に残って作業をした二日後。


 授業が終わり、四階にある生徒会室へと階段を上っていた俺は、華やかな美声に呼び止められた。


 振り返った先にいたのは、予想通りリオンハルトだ。


 相変わらず背景に薔薇を背負っていそうな無駄にきらきらしい笑顔を浮かべたリオンハルトが、階段を上がってきて。俺と同じ段に立つ。


「会えて嬉しいよ、ハルシエル嬢。きみに、お礼を言いたいと思っていたんだ」


「お礼、ですか……?」

 リオンハルトの言葉に、きょとんと首をかしげる。


「リオンハルト先輩にお礼を言われるようなことなんて、した覚えがありませんけれど……?」


 何か勘違いをしてるんじゃないだろうか。


 いぶかしげに告げると、目を見開いたリオンハルトが、次いで、ふはっと吹き出した。


「そうか、無自覚だったか……! まったく、きみらしいね」

 くつくつと喉を鳴らしていたリオンハルトが、


「お礼を言いたいのはクレイユのことだよ」

 と種明かしをする。


「ああ、おとといクレイユ君の作業を手伝ったことですか? いえ、あれはたまたまで……」


「いや、それだけじゃなくてね」


 ゆるりとかぶりを振ったリオンハルトが、柔らかな笑みを浮かべる。


「今日、クレイユに相談されたんだよ。クラス間の調整のことで、相談に乗ってほしいとね」


「はあ……?」

 あいまいに頷く俺に、


「これはすごいことなんだよ」


 と、リオンハルトが満面の笑みで言を継ぐ。


「クレイユがエキュー以外の誰かを頼るなんて、今まで一度もなかったことなんだよ。それが、わたしに相談をしてくれるなんて……っ!」


 慈愛と感動に満ちた様子は、まるで我が子が初めて歩いたのを見た父親のようだ。


 いや、生徒会メンバーが仲がいいのは知ってるけど……。ちょっと感動し過ぎじゃないだろうかと、俺は冷めた気持ちで考える。


 たぶん、こういうところが姉貴が腐妄想を加速させる一因なんだろうけど……。


 じと目の俺をよそに、リオンハルトが嬉しくてたまらないと言いたげな笑顔で続ける。


「いったい、どういう心境の変化なんだいとクレイユに尋ねたら、きみの影響だという返事が返ってきてね」


 リオンハルトが優しいまなざしを俺に向ける。


「ハルシエル嬢の言葉に、わたしや生徒会のメンバーに頼ってみる気になったと話してくれたんだ。ずっとかたくなだったあのクレイユが……っ!」


 声を潤ませたリオンハルトが、やにわに俺の手を両手で握りしめる。


「ハルシエル嬢、本当にありがとう! あのクレイユが変わろうと一歩踏み出してくれたのは、きみのおかげに他ならない。いったい、何とお礼を言えばいいのか……っ! やっぱりきみは素晴らしいね!」


「えっ!? いえいえいえっ! ちょっと待ってください! 私、全然たいしたことをしてませんから!」


 リオンハルトの手を振り払おうともがきつつ、あわてて声を上げる。


 ったくお前は! 急に手を握ってくんな――っ!

 痛くはないのに、しっかりと握られた手は、離れる気配がない。


 はーなーせ――っ! 今すぐ放しやがれっ!


「私はただ、クレイユ君に、もっと生徒会のメンバーを頼ればいいと言っただけですよ!? 別に、クレイユ君を変えようだなんて、これっぽっちも思ってませんでしたし、お礼を言われるようなことなんて全然……っ!」


 まったく全然ワケがわからない。


 おろおろとかぶりを振る俺に、リオンハルトが柔らかな笑みを浮かべる。


「きみにとってはそうかもしれないけれどね? だが、クレイユを昔から知るわたしたちにとっては、すごいことなんだよ。幼い頃のあの一件以来、エキューを除いて、クレイユは本当の意味ではわたし達に心を開いてくれなくなったからね……」


 リオンハルトが哀しげな声でひとり言のように呟く。


 いやっ、クレイユの事情なんて、俺は絶対に突っ込んで聞いたりしないからっ!


 何だよ、そのいかにもイベントが起こりそうな罠は! 何があっても、絶対にそこにはふれねーからなっ!


 俺がいま望んでることは、さっさとこの手を放してほしいってだけだから!


 なんとかリオンハルトの手から逃れようと悪戦苦闘していると。


「まあっ! リオンハルト様、ごきげんよう! ……あら、オルレーヌさんもいらしたの?」


 階段を上がってきたイゼリア嬢が、リオンハルトを見て華やかな声を上げる。次いで、俺を見てアイスブルーの目をすがめた。


「何かございましたの? オルレーヌさん。またリオンハルト様にご迷惑をかけているのではなくて?」


「ち、違います! 決してそんな……っ!」


 久々のイゼリア嬢の厳しいまなざしにきゅんとしちゃいますけど、違うんです! 誤解ですっ!


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